最終章 願い。そして祈り。

1、

「本当に良かったよ〜」

「う、うんごめんね心配かけて」

 そう言って抱き合う柚月と、舞香と仲良くするまで、一緒にいた中学時代の彼女の友達。

「おい、あれ、本当に橘かよ」

「まるで、別人じゃないか」

「いや、あれが中学時代のあいつ。むしろ最近がおかしかった」

「てか、あの二人。すっかり忘れられてて、うける」

 そんなクラスメイトの声に、二人は全く動じてないと言えば嘘になるが、それでも何も言葉を発することはしない。

「え、うそ。私あいつらと仲良くしていたの?ありえないし。あんな根暗な二人と」

 それでもカーヤの声でそう告げられたら、流石に答えたらしく。ホームルーム中に気分を悪くした舞香は保健室に行った。


 一限目の授業を終えた宏太は保健室にやってきた。

「失礼します」

 扉を開けると、保健室独特の鼻に吐く薬品の匂いが彼の鼻口を刺激する。

 別に久しぶりでも、初めてでもない。カーヤが怪我をした時に一緒にきたからだ。

「うう、お花と違って、ここの匂いは好きになれません」

 べそをかきながらそういう彼女の姿を思い出して、思わずほくそ笑む。

 どうやら保健の先生はいないらしく、二つあるベッドのうちの一つはカーテンを閉じていたので、その前に立つ。

「開けるぞ」

 返事がないので、ゆっくり開けると、毛布にくるまる舞香の背中が目に入った。

「大丈夫か?って、そんなわけないよな」

 普段人に無関心で、クールぶっているが、それは本来の絹延舞香の姿じゃない。

 本当は脆く、動じやすく、とても不安定。それがカーヤを通じて知った彼女の本来の姿。

 傍にあった丸椅子に座り、その背中に告げる。

「戻るだけだ。あいつが転校してくる前のお前の日常に」

 たっぷりの沈黙。中々返事は返ってこない。それでも宏太は待った。休み時間終了のチャイムが鳴っても、彼はそこから動こうとしなかった。

「‥‥‥宏太君も?」

 休み時間独特喧騒がなくなったこともあってか、その声はやけにはっきり聞こえた。

 突然名前で呼ばれて、一瞬驚いた。どうやら相当参っていると思った。

「ああ。お前俺のこと怖いんだろ?」

「‥‥‥‥今は、あの女ほど怖いもなんてない。

 カーヤちゃんの声で変な声発して、カーヤちゃんの綺麗な髪を無茶苦茶にして、カーヤちゃん綺麗な肌に穴をあけたあの女のことを私はバケモノにしか見えない」

 震えながらもはっきりとそこには憎悪がこもっていた。

 宏太は盛大にため息を吐いた。

「あれが本来の橘柚月の姿だ。そして切り離せ。あれはカーヤじゃない。俺らが知っているカーヤは研究所にいたあいつ、ただ一人だけだ」

 自分で言いながら実に薄っぺらい言葉だと思った。

 なぜなら宏太自身も全く納得してないし、舞香を励ませるほど、メンタルは強くない。舞香に見られてないことをいい事に、彼の手は小刻みに震えていた。

「失礼しま〜す。って、誰もいないじゃん」

 その時扉が開いて、保健室に入ってきた柚月に視線を送る宏太。そしてその視線に気づいて、柚月はニヤリと笑う。それは決してカーヤが浮べない笑顔だった。

「何、逢い引き中だった。これは失礼しましたね。授業中に良いご身分ね」

 扉を閉めて、何かを探すように棚を物色する柚月。

「お前こそ」

「あんたにお前なんて言われたくないわよ。

 でか、あんた達みたいな根暗な奴が学校で発情するとか、身の程弁えろって話よ」

 思わず握り拳を握りしめる。

 こんなやつのために。

 こんなやつのために。

 次の瞬間だった。舞香が飛び起きて、宏太の横を通り抜け、上靴を履くこともなく、柚月の胸ぐらを掴んだ。

「返してよ。返してよ。カーヤちゃん返してよ!」

「はぁ、何よこいつ」

「おい、やめろ。舞香!」

 慌てて舞香を止めにかかる宏太。

「変な喋り方しないで!変な髪型しないで!カーヤちゃんはそんな子じゃない。ねぇ、返してよ。私の親友を返してよ!」

「意味わかんないこと言うなし、この根暗女!」

 取っ組み合いの喧嘩になりそうなところを、騒ぎを聞きつけ、先生が飛び込んできて、二人をなんとか引き離した。

「落ち着け。舞香」

 宏太に両脇を掴まれても尚暴れる舞香。

「離してよ。私は、私は」

「はぁ、根暗には根暗がお似合いよね。室井も自分の彼女ぐらいしっかり躾ときなさいよ!」

「頼むから!」

 宏太の叫び声が保健室中に響いた。

 時間が止まったかのように、誰もがその声に動きを止め、彼に注目する。そして俯いていた顔を上げた。泣いていた。

 これから橘柚月がどんな人生を歩もうとも、どんな風に過ごそうとも知ったことではないし、干渉をする権利がないこともわかっている。

 わかっている。わかっているのだが。

 カーヤ。人間には理性とか常識ではどうしようもないことがあるんだよ。

「あいつはすげー頑張っていた。お前がいつでも帰ってきても問題ないように、頑張ってた。だから、頼むから、あいつの努力を無駄にすることだけはしないでくれ!」

 痛く、痛く。とても痛い叫びだった。

 宏太の叫び声に呆気に取られ、静寂に包まれた保健室に。

「うわぁぁぁぁぁんんん」

 舞香の泣き声だけが響いた。

「意味わかんないし」

 そう吐き捨てて、先生の手を振り払い、保健室を飛び出した柚月を先生が追う。

「あ、こら。お前らも後で職員室にこいよ。話を聞くから」

 再び保健室に二人っきりになった。

 あの時は必死で我慢した。

 カーナも舞香も泣くんだから。

 でも、今回だけはどうしようもなく、宏太は舞香を後ろから抱きしめるようにして泣いた。彼女を抱きしめるその手には否が応でも力が加わった。

 十二月二十五日。ある意味二人にとって、絶対忘れられられないクリスマスになった。手にいれるはずの方が多いはずのクリスマスに、彼らは大事なものを失った。

 その日の未明から雪が降り始めた。シンシンとシンシンと。まるで二度と帰らない日々が、二度と戻らない日々が、風化するように、長年置きっぱなしにしているものに埃が被るように、雪が降り積もっていく。

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