4、

1限目。数学の授業。

「よし、この問題を橘。前に出てきて解いてみろ」

「は、はい!」

「うん、別に手は上げなくていいぞ」

 こけないように、ぎこちない歩き方で前に歩く。狭い通路なのに、尚且つ机の横に鞄を引っ掛けている為更に歩きづらく、カーヤにとってもはや冒険だ。

「だ、大丈夫か。そんなロボットみたいな動き方をして」

「!!!!!!」

 思わずガバッと、数学教師に詰め寄った。

「ろ、ロボット!私、ロボットですか!」

「いや、そう見えるだけで、別に橘がロボットとは言ってないから」

 昨今、なんでもかんでもセクハラと認定されるためか、数学教師は慌てて訂正する。

「じゃあ、私、人間ですか!」

「お、おう。人間だ。だから、さっさと解いてくれ」

 カーヤは胸を撫で下ろして、自信満々にチョークを持ち、黒板に書かれている方程式に向かい合い、固まった。

「‥‥‥‥‥」

 カーヤの学力は変に怪しまれないように、橘柚月の脳にインプットする時に高校一年生の平均的学力の少し下に設定してある。外部からの知識によって、脳が刺激を受けやすいように考慮してのことだ。

 編入試験の時は時間がなかったので、一時期的に元の学力に戻したのだが、今のカーヤの脳には。

「わ、わかりません。申し訳ありません」

 泣きながら、教師を見て、そう訴えてくるカーヤ。

「わ、わかったから。泣くことないから。まるで俺がいじめているみたいじゃねぇか!」


 2限目 化学。

「その薬品は刺激臭がするから、決して直接かがないように」

 同じ白衣とは思えないぐらいに、ちゃんとした白衣を着た化学教師が教壇から、各自の班で実験をしている生徒にそう叫んだ。

「‥‥‥‥刺激臭」

 興味を持ったカーヤ。

 確かに、この前匂った納豆の匂いは刺激臭だった。とてももう一度嗅ぎたいとは思わなかった。

 でも、刺激臭=脳に刺激を与えやすい。という法則が成り立つのではないかと思った。

 ホラー映画を観た時だって、後ろからクラクションを大きく鳴らされた時だって、テレビの向こうで男女がキスをしていた時だって、なんかわからないけど、脳が大きく刺激を受けた気がした。

 だからきっと。

「ちょっと、何やってんの柚月!」

 クラスの女子に止められるのを無視して、柚月はそのまま試験管の口に鼻を近づけて。

「!!#$%%%&&’(%$”#%)」

 自分でも何を言っているのかわからない、奇声を発しながら、白目をむいてその場に倒れた。

 確かに刺激的でした。


3限目。調理実習。

「いいか、火の扱いや、刃物の扱いには十分気をつけろよ!」

 エプロンよりも柔道着が似合いそうな男勝りの家庭科教師は快活な声でそう叫んだ。

「柚月、野菜切れた、って、柚月、手て、手!」

「へぇ?」

 気づくと彼女が刻んでいたクルミは赤色に染まっていた。

 まごうことなき、彼女の血なのだが。

「お、お〜」

 擦り傷は転ぶので、よくあるのだが切り傷は初めてで、これだけ真っ赤な血を見るのも初めてだった。

「血です!血です!」

「何を馬鹿なことを言っているのよ!」

「痛いです!」

「いいから、さっさと手洗って止血しなさい!」

 保健係の女子は救急箱を持って彼女に押し付けた。


「良い匂いです」

 部屋中にクッキーの焼ける香ばしい匂いが立ち込める。

「そろそろだね。じゃあ、柚月。クッキーオーブンから出して、って!」

「あっつい!」

「当たり前じゃない!何素手でプレート持っているのよ!」

 慌てて、柚月の手を流水につけた。

「おい、お前ふざけてんのか」

 目の前に、家庭科教師がまさに鬼そのものの表情で仁王立ちしている。

 カーヤはホラー映画よりも遥かに怖い恐怖を知った。

 感情にも度合いがあるようだ。


4限目。体育。持久走。

 準備体操をした後、学年色の緑色のジャージに身を包んだ女子生徒は学校の外周400メートルを30分間、ぐるぐる回る。

「いいか、大事なのはペースを守ること!遅くても良いから、走り続けるよう」

 思わず言葉が途切れる。

 カーヤが道の真ん中で倒れていたからだ。

 二度目ともなると、体育教師は全く動揺しない。

「いい加減、学べ」

 教師は呆れたようにそういった。

 まるで短距離走のようなスピードでスタートダッシュをしたカーヤ。当然そんなペースで走り始めたら、体力がもつわけもなく、道の真ん中で行き倒れているというわけだ。

「人間、体力なさすぎです」

 ロボットの頃はこれぐらいのペースで裕に数10キロは走れたというのに。

 しかも長年寝たきりの橘柚月の心肺能力は普通の人より、劣っている。すぐに息を切らして、全く動けずに。

「おい、体育委員」

「は〜い」

 馴れた手つきで、柚月はそのまま引きずられるように保健室に運ばれた。


 お昼休み。

「本当に、よく食べるよね」

「しかも美味しそうに」

 人間って、不便で何もいい事ないと思っていたカーヤだったが、これだけは本当に素晴らしいと思った。

 味覚だ。

 酸味、甘味、辛味、苦味。

 柔らかい。硬い。弾力。歯応え。

 瑞々しい。温かい。冷たい。

 そのどれもが当たり前だが、カーヤが経験したことのないものだ。

 そしてどれもが素晴らしかった。

 今でもコンビニのサンドイッチを美味しそうに食べるカーヤを見ては、クラスメイトが「明日は私もそうしようかな」と思えるぐらいに。

「これもあげる」

「じゃあ、これも」

「ありがとうございます!」

 思わず餌付けしたくなるぐらいに。

 どれもこれも美味しそうに。

 しかし当然、そんなに大量に食べるものだから。

 慌てて席を立ち上がり、クラスメイトの奇異な目も気にせず、トイレに慌てて駆け込む。

 しかしそこで問題が生じた。

 トイレレッスンは家でしてきたのだが、たまたま空いていたトイレは見たことのない、家にも研究所にもない形だった。

「あの、すいません」

「ん?」

 水洗い場でメイク直しをしている生徒にこう問いかけた。

「あの、このトイレのやり方を教えてください」

「‥‥‥‥‥‥はぁ?」

 彼女が人生で一番の衝撃を受けたのは言うまでもない。

 こんな感じで、橘柚月としてのカーヤの日々は過ぎていく。

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