9、

「じゃあ、私はここで。室井君は必ずカーヤちゃんを送り届けるように」

「わかっているよ。絹延も気をつけろよ」

 そう言って電車から降り立った舞香を見送った。カーヤは自然と舞香がいなくなったことによって空いたスペースを埋めた。二人の肩がぶつかり合うぐらいにとても近く。

 その車両にはほとんど人が乗っていなくて、二人の両脇も広く空いているのだが、宏太が動くことは決してなかった。

「私、未だにソワソワしてます」

 宏太も違う意味で、現在そわそわしているのだが、決して口に出さない。表情を堪える。

「そうか、よかったな」

「はい。宏太君。人間って本当に凄くて、難しいですね」

 思わず苦笑いを浮かべる。なんだ、その表現。

「そうだな」

 でも凄く頷けた。

「少し、私の話をしても?」

「何を今更。好きに話せ」

「ありがとうございます。私、ロボットの頃から常に人間に興味を抱いていました」

「ああ」

「そんな本当のロボットの私の耳にとある曲が入ってきました。その曲では人間であることは仕事だとおっしゃってました。どういう意味だと思いますか?」

 普段の宏太なら流していただろ。

 曲の歌詞なんて、色々意味があるし、多分それは何かの比喩だろうから、そんなの無限に解釈があるだろうし、歌詞を書いた人も決して、それが何を表しているのかなんて、絶対口にしないだろうから。

 でも、カーヤは宏太に意見を求めた。なら。

「多分人間社会に対してのアンチテーゼみたいなものだろう。 

 世の中にはルールというものがある。誰もが思い通りに、好き勝手に生きていたら、社会は成り立たないから、それを律するためにな。

 でも、それが時にはとても息苦しく感じることがある。お前も経験したようにな」

 舞香と仲良くなったことで、カーヤは今までの友達を切り捨てることになった。そんなルールないのに。舞香とも他の友達とも仲良くすればいいだけなのに、社会が、あの教室のルールがそれを許さなかった。

 電車は減速して何もないところでゆっくりと止まった。

『信号待ちをしています。しばらくお待ちください』

 そのアナウンスが鳴り終わると同時に、宏太は天井を見上げてゆっくりと口を開いた。

「だから、自分らしさを押し殺してまで生きていることがまるで仕事のようだと、そういう意味に俺は解釈する」

『お待たせしました。発車します』

 ガタンと一度大きく揺れて、電車が前に進む。

「大変、貴重な意見をありがとうございます」

「どうも」

「私の意見を聞いて頂いても?」

「一々許可はとるな。俺は隣に座る友達の話を無視するほど狭小な人間じゃないつもりだ」

 カーナに見られてそれから逃げるように、宏太はそっぽを向いた。その瞬間、スマホが震えたのを見て、思わず画面を見た。

「ありがとうございます。

 私にとって、人間というのは本当に仕事でした。

 次々に沸き起こるよくわからない感情を顔や動作や言葉で表現したり、本当に言いたいことを何故か言ってはいけないと言われたり、気が狂いそうでした。

 息が詰まりそうで、苦しくて、それでも息をしなければならないし、沸々と同じように沸き起こる感情が突然、全く違う方向にベクトルを向けていたり、先ほどまで悲しくて泣いていたのに、心が痛くて泣いていたのに、いつの間にか心が満たされて泣いていたりしました。

 寒いのに、光を見ただけで温かくなり、先ほどまで空腹を感じていなかったのに、匂い一つで一気に空腹を感じ。

 歪みあったと思ったら、愛し合い。舞香ちゃんが楽しそうにしていたら、私も楽しくなり、宏太君が寂しそうにしていたら、私もなんだか寂しくなりました。

 本当にロボットの時では考えられない情報量です。いつオーバーヒーとしてもおかしくない状態でした」

「そうか。それはとても大変なしごとだったな」

「はい、とても大変でした。何度も悩んでは挫けかけて、最善の策を講じても全く上手くいかず。

 時間は惜しいのに、お腹は空くし、眠くもなる。実にもどかしかったです」

 普段常に明るく、全力疾走で駆け抜けていたカーヤがそんなに色々考えていたことは少し意外だと思った。

 でも、それこそ人間だとも思えた。カーヤは立派に人間をやっているんだと思えた。

 電車が駅に止まり扉が開いた。宏太達以外の乗客は降りて、車両には二人だけになった。

 電車が再び走り出したと同時に喋り出したカーヤの声は、

「でも、凄く楽しかったです。とても充実していました。人間をやれてよかったです。とても素晴らしい仕事を与えられたと思っています」

 そこで、ふと口を閉じたと思ったら、

「そして今はとても怖いんです。その仕事がなくなることが」

 そう言った彼女の声は震えていた。

 思わずそちらを見るとカーヤは涙を流し、小刻みに震える膝の上に乗せた手をじっと見つめている。

「私は最初から、橘柚月さんが目覚めるまでだと知らせていましたし、それが当たり前だと思っていました。

 でも、今は怖い。ロボットに戻るのがとても怖いのです。

 どうして怖いのかも、これが怖いという感情なのかもわかりません。

 でも、最近は毎晩寝る前に思ってしまうんです。朝、起きて目覚めたら、私はロボットに戻ってしまっているのではないのかと。

 そして何より怖いのが舞香ちゃんや宏太君とすれ違った時に無視されるのが、何より怖いんです」

『そんなこと絶対ない!』

 舞香の声に思わずカーヤはそちらを向く。

 宏太が掲げたスマホ。そのスピーカーから舞香の声が響き、そしてその画面には涙を流す彼女の姿が映っていた。

『ご、ごめん。盗み聞きして。でも、絶対そんなことないから。

 私たち見たから、カーヤちゃんの姿を。ロボットのカーヤちゃんの姿を。

 だから、私たちすれ違ったら、必ず気づけるから。そしたら私から必ずいう。お友達になろうって!だから、悲しまないで。怖がらないで!』

 スマホを掲げていた宏太も「まぁ、俺もそんな感じ」とボソリと呟いた。

 次の瞬間、カーヤは宏太の首に手を回し、思いっきり抱きついてきた。

「うわぁぁぁぁンンンン」

 そして堰を切ったかのように、カーヤは号泣した。大泣きした。周りの目も憚らず、ロボットのカーヤじゃなく、もちろん橘柚月としてではなく、人間のカーヤとして。

『うぇぇぇぇぇぇんん』

 堰を切ったように、舞香も号泣する。

「ったく。お前ら勘弁しろよ」

 大きく溜息を吐く宏太は、目を赤くし大きく鼻を啜り、必死で涙を堪えた。

 だって、左耳からカーヤの泣き声。右耳からは舞香の泣き声が聞こえてきているのだ。そんな状況で女の子二人が泣いている状況で男の自分も泣くわけはいかないと思い、必死で堪えた。

 二人の泣き声は宏太達の最寄り駅に電車が着いても泣き止まず、開いた扉から雪がチラホラふり始めた真冬の空に大きく響き渡った。

 その涙を止める方法なんて分からず、ただ、いつもは堂々と真っ直ぐ前に進む彼女の背中がとてもか弱く見えて、その背中をさするぐらいしかできなかった。

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