4、
呼び出された場所は以前にもカーヤと三人で来たこともあった駅前のスタバだった。あの時と一緒。しばらくは着ることがないと思った制服に袖を通して。
「放課後のスタバ。学生の寄り道スポットです!」
舞香もあの時のことを思い出したのか、店を目の前にして二人は吹き出した。
「でも、結局買えなかったんだよな」
「は、はい。お金が」
スタバ未経験者の彼らは知らなかった。コーヒー一杯でも結構お高いと。
「三人で、一杯だけ注文できたんだがな」
「さ、流石にそれは恥ずかしいですよ」
あんなダサジャージを着てきたやつが何を言っているんだと思いつつ。
「さぁ、時間だ。行くぞ」
「う、うん」
緊張する舞香の手を自然と取り、宏太は店内に入った。
「いらっしゃいませ」
緑のエプロンをつけた店員さんから爽やかな笑顔で挨拶が返ってくる。
さて。
「橘柚月の母の顔って知っているのか?」
「し、知らない」
それは困った。つまり彼らは待ち合わせ場所と時間を決めたのに、お互いに顔を知らないということになる。
「さて、どうしたものか」
しかしすぐにその問題は解決した。
「舞香ちゃんと宏太君かしら」
後ろから呼びかけられて、振り向くとそこには中年の女性が立っていた。といっても、佇まいは落ち着いて、どこか上品で化粧もどこか自然で率直に綺麗だと思った。
そして三人は向かい席に座った。柚月の母が向かいに座り、舞香と宏太は並んで座った。
舞香と宏太の前にはカフェオレが置いている。
「何飲む?」
と尋ねられて、何故謝罪を求める相手に奢ってくれるのかという疑問はあったが、断る方が逆に失礼だと思い、素直に従った。
柚月の母はコーヒーに口をつけてゆっくり啜る。俯きどこか柔和な笑みを浮かべる彼女の真意を捉えようと、宏太はじっと彼女を見つめる。
二人にとって、まさに審判を受ける前の犯罪者の気分。そんな経験はないのだが、焼きそばを食べるときにゴムを噛んでいる。それと同じだと思って欲しい。
長引かせれば、長引かせるほど言いづらくなるので、宏太は意を喫して立ち上がり、深々と頭を下げた。
「この度は本当に申し訳ありませんでした。事情があったとはいえ、僕の友達が娘さんに暴力を振るってしまって」
舞香も慌てて、立ち上がり頭を下げた。
「ご、ごめんなさい!」
頭を下げる二人をぽかんとしながら見つめる柚月の母だったが、やがて思いついたように、慌てて弁明した。
「ご、ごめんなさい。そ、そうよね。このタイミングで私が呼び出したとしたら、そう思っても仕方ないわよね。
違うの。別に二十五日のことを怒って呼び出したんじゃないの!」
突然のことに皆が注目する。どう考えても、店のチョイスを間違ってるのだが、こうなることを彼女は全く想定してなかったので、致し方ないことだ。
顔を上げた宏太は彼女を見る。
「え、じゃあ、どうして僕たちは呼び出されて?」
「え〜っとね。カーヤちゃんのお友達に会いたくなって」
よくわからず、宏太と舞香はお互いを見た。
「とりあえず、座って。詳しく説明するわ」
二人が着席すると同時に柚月の母は笑顔で語る。
いつも夕食を共にしていて、カーヤの話を聞くことがとても楽しく、そして彼女の話の大半が、宏太や舞香の話で。
「宏太君はとても素敵な絵を描いて、舞香ちゃんはいつも素直な気持ちで接してくれるから、とても一緒にいて、居心地が良かったって」
嬉しそうな笑顔を浮かべながら話す彼女の話を聞いて、宏太はようやく合点が言った。
確かに言葉を着飾ることをしながら話すのが人間の喋り方で、それはとても人間初心者のカーヤにとっては難しかっただろう。初めての言語を学ぶようなものだ。
ところが舞香は素直にものをいう。本音をつい口を滑らしていう。人同士なら喧嘩に発展することも、カーヤにとっては、とてもわかりやすかったのだろう。
そして宏太もまたぶっきらぼうながら、言葉を着飾ることはしない。
思わず宏太は吹き出した。
「要するに、馬鹿だから俺たちが選ばれたと」
「し、失敬な。学年三位の私に向かって」
「勉強の話じゃない。人間としての話だ」
「な、何それ」
「馬鹿な君にはわからないよ」
そんな言い合いをする二人を見て、柚月の母はクスリと笑った。
「カーヤちゃんのいう通り本当に仲良いのね。二人は恋人同士なのかしら」
「いえ、違います」
「はい。宏太君が好きなのはカーヤちゃん」
「あら、そうなの?」
視線を向けてくる柚月の母の視線を受けながら、諦めたように息を吐く。
「はい、多分僕はカーヤに惚れていたのかもしれません。でも、安心してください。橘さんにはこれっぽっちも興味がないです」
こんなことを彼女の母にいうのは失礼だと思ったが、別に橘柚月の母に嫌われたところで、なんともないと思ったら、自然に口に出た。
「フフフ、素直ね」
「もうこの気持ちを彼女に話すことは絶対ないでしょうし。だったら、せめて彼女の母であるあなたに聞いて欲しいという気持ちもあります」
そこで、柚月の母はスッと笑顔を消して、一口コーヒーを啜った。先ほどとは違う雰囲気に宏太と舞香はお互いを見て、そしてまっすぐこちらを見る彼女の瞳を見据える。
「さっき、二十五日の件を私から怒られると思ったって言ったじゃない」
「あ、はい」
「私にはあなたたちを怒る権利なんてないのよ」
権利。随分重い言葉を使うなと思いながらも、
「それはどういうことですか?」
どこか辛そうな笑みを浮かべる柚月の母はゆっくりと語る。
「実はね。私も思っちゃったの。また、カーヤちゃんに戻らないかなって」
「え?」
「だって、あの子誰に似たんだがわからないけど、あんな感じじゃない。
もぅ、学校でのことを話すことも、一緒に食事をすることもしなくなっちゃってね。それが少し寂しくなって、ついね」
「じゃ、じゃあ」
「舞香」
何かを期待するような瞳を彼女に向ける舞香を制する。
確かに、できるならそうしてほしいというのが、宏太の本音だ。
しかし、それは絶対望んではいけないことだ。
宏太に遮られて、舞香は言葉を飲み込み、俯く。
「ごめんなさいね。それでも、私の娘はあの子なの。あの子だけなの」
「わかってます」
「それに、もぅ、畦野さんとは連絡取れないから、どっちみちどうしようもないのよ」
聞こうかずっと悩んでいた。
自分は親じゃないし、聞いたところできっと理解はできない。そう思ったからだ。でも。
「どうして、あんな危ない実験に被験者として名乗り出たんですか?」
気づいたら、宏太はそう尋ねていた。
藁をも縋る思いだったかもしれない。植物人間の延命治療には莫大なお金がかかることも、なんとなくは知っている。
それでも下手したら、あの方法は僅かな可能性をゼロにする可能性だってある。植物人間から脳死状態にしてしまう可能性だってあった。
それなのに。どうして。
宏太の質問に柚月の母はまたクスリと笑った。
「そうよね。あんな成りだもんね。信じられないのも当然よね」
誰の話をしているのか、なんとなくわかった。
「あ、あの酔っ払いおじさんって、やっぱりすごい人なんですか?」
舞香の質問に、柚月の母はコクリと頷いた。
「畦野さんは脳科学の最先端の研究者。その界隈では知らない人はいないわ。
私の夫もその手の研究員だけど、彼から突然メールをもらった時の驚きようはなかったわ。まるで、神からの啓示を受けたみたいに」
「そ、そんな凄い人だったんですか」
「ええ。失踪して行方知らずになってから五年。その彼が突如新しい実験をして、被験者を探していると言ってきた」
「そ、それでも」
「ええ、もちろん。私は最初反対だったわ。でも、彼が研究者になった理由を聞いて、承諾したわ」
「理由?」
「妹さんを亡くしているの。柚月と全く同じ植物状態で。そして貧乏な家系の彼の実家は諦めざるを得なかったらしいの」
「だから、今回のような実験を?」
「ええ、だから私たちだけで独り占めするわけにはいかないの。
もしかしたらカーヤちゃんは今も誰かの体に入って、その子の覚醒を目指して努力しているかもしれない」
そう言われたら、もぅ、二人は反論できなかった。
「で、でも。私はカーヤちゃんの一番の親友。それは変わらない」
舞香のその一言に、宏太も柚月の母も優しく微笑んだ。
店にオレンジ色の西陽が差し込む。それと同時に、
「そろそろいきましょうか。暗くなったら危ないし」
柚月の母が立ち上がったので、二人はコクリと頷いた。
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