3、
「ここがどこだかわかりますか?」
放課後の教室。自席でいつものように絵を描く宏太に、カーヤはそう言って、写真を差し出す。
「‥‥‥‥」
全くの無反応。何事もなかったように、宏太のタブレットペンの動かす手は止まらない。
その様子を見て、カーヤは一つ首を傾げたと思ったら、何かわかったような表情を浮かべて、深く息を吸った時だった。
「大声出すなよ。聞こえてるよ」
突如そう言われて、カーヤは困惑する。
「どうして無視するのですか?」
「関わりたくないから。面倒だから。メリットがないから。以上だ」
端的にそう述べる宏太の手は止まらない。目線もじっと、タブレットに向けたまま。話しかけるな、邪魔をするな、と言っているようなもので、彼を纏う空気はとても冷たく、表情も冷淡だ。後ろで聞いているだけでも、舞香は震えた。だが。
「お願いします。少しで良いのでご助力ください。
室井君にとってはどうでも良いことで、面倒なことなのですが、私たちにとってはとても大切なことなのです」
頭を深々と下げたカーヤを見て、宏太は思わず手を止めてしまう。
頭を下げている。あの、橘柚月が。
『はぁ、私が頼んでいるんだから、聞きなさいよ!』
これが、宏太の知っている橘柚月だ。記憶を失っているとはいえ、ここまで人は変わるものなのだろうか。
別人だ。見た目は橘柚月の体なのに、中身はまるで別人だ。
「‥‥‥お前」
口に出しかけて、すぐに引っ込めた。あまりにも突拍子もないことを言おうとしたことを自覚したからだ。
大体、宏太はクラス以外の柚月の顔を知らない。それだけで目の前の女が彼女らしくないと考えるのは、あまりにもおこがましい。
コツコツ。
イライラなのか、戸惑いなのか、宏太はタブレットペンで机を叩く。
それでも彼女は変わらず頭を下げている。
「わ、私からもお願いします」
カーヤ一人に頭を下げている現状に遅ればせながら気づいた舞香も横に並んで頭を下げた。流石に女子二人に頭を下げ続ける現状に罰が悪くなり、机を突く動作が不意に止まる。
「‥‥‥‥まぁ、見るだけなら」
「ありがとうございます!」
本当に喜んだ顔。まるで何も知らない赤子が微笑むような、そんな笑顔のカーヤから思わず目を逸らした。
「わかりますか?この写真を完成させたいのです」
「完成という言葉の意味はいまいちわからないが‥‥‥多分、知ってる」
しばらく吟味した宏太はそう言った。
「本当ですか!」
「ああ、ここから数駅先のところにある」
「まだあるんですね!」
「ああ、でも数ヶ月には取り壊されると聞いている」
まさに滑り込みセーフというやつだ。
お互いの表情をずっと見つめていたカーヤと舞香だったが、その表情が一気に綻んで。
「「やった!!」」
抱き合いながら微笑んだ。まるで何かの大会で優勝したかのような、喜びっぷりだ。
二人の姿を見て、照れ隠しなのか、目線を逸らして頭を掻く宏太。
「場所を教えてください。今度いってきますので」
宏太の表情が不意に曇る。そのことに二人は気づいてない。
「え、一緒に行ってくれるの?」
「当たり前です。それに場所がわかっただけで、まだこの写真を完成させるということができてませんし」
「ありがとう!」
そう言って喜ぶ二人に、
「でも、二人じゃ多分たどり着けない」
宏太は静かにそう言った。
「え、どういうことですか?」
「この風車は山の上にあった公園に立っているんだ。
でも、その公園は数年前に閉鎖。今は廃墟となっている。当然その山は入山禁止。登山道はまだ登っているだろうが、暗い中登らないといけないとなると、かなり厳しい」
カーヤは首を傾げる。
「暗い中?」
「ああ、この写真はなんとなくだが、未完成のように思える」
さっきのカーヤの言葉に引っ張られたような表現になってしまったが、もし、この写真が未完成だというのなら、確かにこの写真は物足りないと宏太は思えた。
「この写真の完成形がわかるのですか!」
興奮で距離をつめたカーヤから頬を赤くして逃げるように壁際に逃げる宏太。
「は、離れろ」
「あ、すいません」
ゆっくりカーヤが離れていき、宏太は一つ息を吐く。
「あの、それで、どうしてこの写真を完成させるには、暗い中山を登らないといけないのですか?」
「時間の問題だ」
「時間?」
「ああ。まぁ、とにかく初見で真っ暗な中登るは危険だ。諦めろ!」
そう言い捨て、去ろうとする宏太の手をカーヤは掴んだ。
「おい、離せ」
「それじゃ、場所だけ教えてください。後はなんとかしますので」
宏太は振り払うようにその手を解いて、大仰な溜め息を吐く。
「‥‥‥なんとかって」
「まず、明るいうちに下調べをして、万全の状態を喫して、挑みます」
「お前の体力じゃ、とてもじゃないが、登りきれるようには思えないが」
ようやく体力がついてきたと思ったら、今度はようやく慣れてきた体が、また思い通りに動かなくなってきた。日常動作なら問題ないのだが、運動時は神経を使うためか、体力の消耗が激しく、なんとか体育の最初のランニングで皆についていけるレベル。体育は男女別といえども、カーヤの体力のなさは周知の事実。宏太の懸念は最もだった。だが。
「それでも、私は絹延さんと一緒にこの場所に辿り着きたいです。
足手纏いになるでしょうし、ご迷惑をおかけすると思います。それでも私はここで投げ出すわけにはいかないのです!」
「わ、私も橘さんと一緒に登りたい!」
女子二人に詰め寄られて、面倒そうに頭を掻く宏太。
「お前、この体力のない奴を支えられるほど、体力あるのかよ」
舞香の目は一瞬、泳ぐ。だが。
「で、できます。引きずってでも、何時間かかっても、必ず橘さんと一緒にこの場所に辿り着く!」
「お願いします。お礼は必ずしますので!」
俯き、そう訴えかけてくるカーヤ達に宏太は嘆息する。
「‥‥‥お前らが、望むのなら連れて行ってやらんこともない」
目を見開く二人。
「ついてきてくれるのですか?」
「ああ。俺が紹介して、同級生が遭難とか目覚めが悪すぎるからな」
大袈裟だった。元々家族連れが登るような観光登山。ピクニック気分で登れる山だ。道を外れない限り、遭難することはないだろう。
宏太が案内役を買って出たのは単に気になったからだ。
「なんでそこまでする?聞いていた限り、これはお前のことじゃないよな?」
彼女のことが。自分の知っている彼女とは全く違う、過去の彼女とは全く違う現在の彼女のことが。
「はい、私の大事なお友達の願いです」
隣で舞香が頬を赤らめている。
「友達ってだけで、なぜそこまでする?俺はお前の行動原理が理解できない」
自分より少し高い宏太を見上げるように、視線を向ける。
「私は人間っぽくありませんか?」
いや、そこまで言ってないし、そんなに可愛く首を傾げられても。
「まぁ、有体に言えばそうだな。俺はお前が何故そこまでやるのか理解できない。得体の知れないものに警戒するのは当然のことだろ?」
なるほど。それならカーヤにもわかった。
「仰る通りだと思います」
ロボットだって、理解できないものに対して、頭の中にないものに対してエラーを起こすものだ。
現にここ数ヶ月人間になってから、カーヤは既にロボットなら修復不可能なぐらいの重大なエラーを抱えている。
そして更にタチが悪いことに。
「お恥ずかしい話ですが、私は私がわかりません」
「はぁ、なんだよそれ」
怪訝な顔をする宏太にカーヤはまっすぐ瞳を向ける。
「私は私が理解できません。本当は順序立てて説明したいのですが、私の語彙力がないせいか、私はこの重大なエラーに対しての対処方法を全く持ち合わせていません。
前者なら勉強すればなんとかなるかも知れません。でも、後者の場合、私はここで立ち止まっていたら、絶対理解できません。
それだけはわかります。
ですから、私は突き進みます。
答えがあるような気がするのです。絹延さんと一緒にたどり着いたその場所に。
私は知りたい。この感情の正体を。この感情を自分で説明する方法を。
わかっています。これが絹延さんに対して、とても不遜な態度だということも。それでも、私は知りたい」
カーヤは真っ直ぐ宏太を見る。先ほどまで充血したような赤い瞳が、今はルビーのように光り輝いていた。
「ですから、私は私の願いを叶えるために頭を下げます。願います」
カーヤは再び頭を下げた。
「お願いします。室井さん。私に力を貸してください。
私にあなたの質問に対する答えを得るための機会をください」
「‥‥‥‥‥」
正直全く理解できなかった。
何を言っているのか宏太にはさっぱりわからなかった。
だが。
「わ、私もお願いします」
「お、おい」
今まで立ち尽くしていた舞香も深々と頭を下げた。
「お、お願いします。私を祖母が望んだその場所連れていってください」
「わ、わかったから。二人とも頭をあげろ」
流石にこの状況を見られたら変な誤解が生まれてしまう。別に宏太自身は構わないのだが、流石に彼も親に迷惑かけるような事態は避けたかった。
今まで誰とも関わらず、邪魔されずに自分の流れで進んでいた学校生活は瓦解してしまう。それだけは避けたかった。
宏太が返事した瞬間、二人は顔を上げて。
「やった!!!」
涙を目に浮かべながら、抱き合った。
厄介なことを引き受けたと俯く宏太だったが、本当に嬉しそうにする二人を見ていたら。
まぁ、良いか。
そう思えた。
「ところで、お前ら自転車持ってるか?」
カーヤはキョトンとする。
「自転車ですか?」
「ああ、言った通りに山は隣町にある。でも電車が動いている時間に出発したら間に合わない。だから、山の麓まで自転車で行く」
「わ、私は持っています」
「確か家にあったと思います」
ガレージに一台使われてないママチャリがあったことを思い出す。随分の間使ってないのか、かなり古びていた印象。でも動かなかったら、畦野に整備してもらおうだけだとカーヤは頭の中で算段をつける。
「ならいいな」
宏太はスマホを開いて、何かを検索するように指を動かす。
「よし、問題ないな。じゃあ、今週の土曜日の午前四時に駅前に集合。お前ら、登山したことは?」
カーヤはもちろん、舞香も首を振る。
「じゃあ、今から持ってくるものいうぞ」
「あ、はい」
二人は慌てて、メモを取り出した。
宏太が言ったのは基本的なもの。
動きやすい靴に長袖、長ズボン。雨具にタオルに水分。それと懐中電灯。
「大体、二時間ぐらい登るのにかかると思う」
「そ、そんなに険しい山なの?」
「いや、普通に登れば一時間ぐらいだ。
ただ、今回は安全を考慮して整備された道路を沿っていく。それでも時間に余裕を持っているのは」
宏太の視線の先にはカーヤがいた。
「なるほど」
「わ、私の心配ですか!」
当然だと訴えかけてくる宏太の視線と、哀れみの目で見てくる舞香に言葉が出ない。
元ロボットのカーヤにとって、人間に体力の心配をされるのはいまだになれないし、やっぱり悔しい。
「一応、もう一度聞くが、本当に行くんだな?」
「はい、もちろんです!」
「わかっているのか?隣町まで自転車で漕いで、すぐに登山するんだぞ」
「うっ」
「わ、私も。自信がない」
「だから、時間に余裕を持っていく。それでも辿り着けなかったら、それはお前らの責任だ。後、当然だが遅刻したら容赦無く置いていくからな。じゃあ」
そう言って去っていく、宏太の背中にカーヤはいう。
「あの、一つ問題が」
「ん?」
「私、自転車漕いだことありません」
「‥‥‥‥はぁ?」
「へぇ?」
宏太はもちろん、舞香も目を丸くした。
それから三日間。舞香との放課後自転車レッスンが決まった。
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