第2話-2 羽をください
朝日が街を照らす。
藻岩山が近くに見える程の、郊外に位置する木造洋式の喫茶店。
立て看板には『バー・今夜はビール・イート 本日休業中』と『喫茶店アルカディア 本日営業開始』と書かれている。
窓はステンドグラス、ドアにはCLOSEDの札が掛けられていた。
自転車に乗った新聞配達員が店の方を見て、白い牧柵に囲まれた庭に新聞を投げ込んだ。
内装は広めでカウンター席や中二階席もあり、吹き抜けとなった天井にはシーリングファンがある。
入り口の頭上には大型の立体投影テレビがあり、野球中継の真っ最中だ。
正月、サンクスギビング、イースター、月見、マザーズデイ、お盆、バレンタイン、東西日本統一記念日、クリスマス、ハロウィン、ひな祭り……とイベント毎に装飾が変わり、それを見るためだけに訪れる客も居る。
カウンターにはF-14戦闘機のプラモデルが飾られており、壁にはフライトジャケットやオレンジ色のダウンベスト、ハレー彗星の写真が掛けられている。
アーケードゲームやビリヤード、ダーツ、ボドゲも大量に揃えられており、時折お客さんと大会を開いて盛り上がり、オープンテラスにはパラソル付きテーブルの他、プールもあり、夏場では子供たちが遊ぶという。
店長の趣味なのか、ジュークボックスからはバーの名前と同名の曲が流れているのだ。
そのジュークボックスが土台ごと下降し、やがて戻ってきたときには
席に座ると、カウンターには、バーテンダーのような服装を着こなす所長が立ち、話し始めた。
「ここが俺が経営しているバーだ。お前達には新たにここで始める喫茶店の店員になって欲しくてな。お前は経理、
突然のことに思わず声が上ずる。
「む、無茶苦茶な! スタービジョンだけでも手一杯なのに……」
所長はサングラスを光らせて続けた。
「これも社会勉強のためだ。万が一、彼女が粗相をしてもここならどうにでもなる」
「何も彼女を隔離しようってわけじゃない。ただ、このご時世だ、世間の当たりは強いだろう」
それはもっともな意見だった。
――
「選択肢はない……か……」
所長はそんな彼を見かねて水を提供した。
「邁ここで働く分には我々も手厚くサポートする」
「しかし、僕が経理を担当するのは問題ないけど、あの子が接客かぁ……」
「俺はプラグマティストだ。世の中はやってみなければわからん事の方が多い。人間の知るデータなぞ地球上の砂粒にも満たないもんだ。運命を知り得ない限りはな。昔、そう言っていた男がいたのだ」
所長はしんみりとした表情で虚空を見つめながら語りだした。
「だったらどうして、今まで
「俺は
「子供の気持ちなんて理解できない。
彼は昔を思い出すように語る。
「副長とはどういう関係?」
所長はしばらくの静寂の後に応えた。
「義理の親子と言ったところか。
「父親らしいことなんてできなくて、酒とコーヒーとエデンで辛うじて繋ぎ止めている、脆い絆だよ」
「俺は子供に好かれない。
彼女はアーケードゲームに夢中だ。
――僕だって完全に彼女の理解者になれる訳ではない。
――自分自身に都合よく重ねてるだけだって、でも……。
――なるべく、努力してみる。
先程所長が見ていた写真には白衣の男女が数人写っていた。
「これが制服ですか……」
ベージュローゼのカッターシャツに腰掛けタイプの臙脂色のエプロン、その下には長くスリムな黒ズボン、黒のローファー。
いつもの
「どう?」
「なんか、こういう雰囲気の喫茶店だとウェイトレスってイメージだったから意外だよね」
全く求めていない返答に
「えっ、なんで怒ってるの!?」
首を傾げる
「はぁー、知らないわよ……」
彼は知る由もないが彼女はスタービジョン制服を着た時に褒められた事が嬉しかったのだ。
「その、それよりさ……」
意を決したのか、勢いよく飛び出して、所長に問い詰める。
その格好は
つまるところ、女物の制服を着こなした小学生男子がいた。
「なんで僕がこの格好しなくちゃならないんだ!」
所長は何食わぬ顔で伝票のチェックをしながら応えた。
「すまんな、サイズがなくて女性ものしかなかったんだ」
横では
「わ、笑うなよ!」
恥ずかしがる
「だって、あまりにもおかしくてぇ!」
「本当に女の子みたいね」
「せめて接客マニュアルくらいは読む時間がほしい。本当にこのまま
すると、所長は笑いながら答えた。
「まさか、今日は掃除を手伝ってもらうだけだ」
そして、彼は窓枠を指でなぞると、埃の塊が落下した。
「ここ最近忙しくてな、色々な場所が埃かぶってるんだ」
「あの……そのために僕達を雇ったわけじゃないですよね?」
「まさか、ま。これも社会経験、かもな」
予想通りの返答に
一部始終を聞いていた
「大人ってズルいのね。まあ、なんでも、いいですけど」
――
所長はサングラスを外し、青色の瞳で一瞥すると、少し声色を変える。
「こういうのはな、ズルいくらいがいい。ズルさを覚えるってのも大事なモラトリアムだ」
「そこが終わったら中二階も頼む」
所長は片手で四個程の椅子を軽々と抱えている。
――所長も人使いが荒いなぁ。
そのせいでモップがけしたばかりの濡れた床に足を滑らせる。
「うわっ!」
バランスを崩して、何かに掴まろうと手を伸ばすも、勢いよく前に倒れてしまった。
ドンガラガッシャーン!
膝小僧に痛み。
それに、右手の中には柔らかな感触。
目を開くと臙脂色と黒い布切れを掴んでいた。
腰掛けエプロンとズボン。
何をどうしたらこうなるのかという奇跡のずり落ち方をしていた。
そして
「アンタねぇ……!!」
そして、
「うわああああああああっ」
「そんな……パンツ見られたくらいで怒ることないだろ……それに電撃って一歩間違えたら僕死んでますけど……」
「死ね! 二~三回死ね!」
電子機器を搭載したテーブルが
そして、一斉に
「いやいや、それは本当に死んじゃう、死んじゃうから!」
慌てて制止を試みるも、返ってきたのは次々飛んでくる金属類だ。
「うっさい!」
壁や床に鈍い衝突音が響く。
それを見ていた所長は、「巻き込まれたくないな」と諦観を決めつつ、店内の強度に安堵した。
「壁や窓が防弾仕様で良かったな……」
騒ぎを聞きつけてか、副長が正面の扉から入ってきた。
「またやってるのね……」
呆れた表情でやれやれと肩をすくめる。
「……
そして、赤面する
「私は悪くない!」
見えない火花が両者の間に散る中、所長は遠い目をしていた。
「また険悪なムードだ……子供ってのは難儀だな」
――副長は明らかに子供って歳じゃないでしょ。
という突っ込みは胸に秘め、
「あの、所長……。こんな険悪な仲だと作戦に支障を来すのでは?」
しかし次の瞬間、
「ふむ、ティンときた! こりゃ四人で一緒に生活してみるしかないかもな」
所長はこう返したのだ。
そう、共同生活を提案したのだった。
店内に静寂が訪れる。
「ええええっ!?」
各々の上ずった声が響いた。
所長は何食わぬ顔で掃除を続ける。
「そのてんは問題ない。俺は女に興味ない。
その言葉に副長は慌てふためいた。
「で、ですが!」
副長が何か言う前に
「なんでコイツと一緒なの! 所長はそうだとしても、コイツはケダモノよ! さっきだって!」
指を差された方も思わず言い返した。
「
「うっさい変態!」
その後、
「それにあの女も居るなんて!」
水と油とはこの事を指す。
「それはこっちのセリフです。貴方のような癇癪持ちと同じ屋根の下なんて、台風の日にベランダで逆さ吊り生活する方がマシだわ!」
「なんですってぇ!?」
「あらあら、まるでサーカスのウォール・オブ・デスみたいにうるさいことうるさいこと。シベリアの狼ですら吠えるタイミングはわきまえるというのに」
相変わらずハリウッド映画並によくわからない例えを使う副長。
言い争う二人に困り顔の
「虎穴に入らずんば虎子を得ず。ま、何事もやっていかねば現状は変わらん。宛てならある。この店の裏の十六夜寮ってマンションだ」
そう言いながら所長は腕を組んで笑っていた。
あまりにも強引で唐突な決定に
「もう、なんなのよ……」
怒ると怖いらしい。
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