第6話-1 月をみるひと

 見渡す限りのラベンダー畑。

 青空の下に広がる紫色の絨毯は誰もが心を奪われるだろう。


 めいの前に立っていたのは美青年だった。

 艶やかな黒髪、整った顔立ち、ラフなTシャツの下には筋肉質な肉体が隠されている。

 青年はめいを一瞥し、去っていく。

「待って!」

 ラベンダー畑を走る。


――おい、近寄るんじゃねえ、化け物にゃ、俺の腕は百年はええっての。


――悪魔の子。


 かつて言われた言葉がフラッシュバックする。

 歩き去る後ろ姿は、めいの父親の若い時の姿だった。

 立ちつくすめいの後ろから、誰かの足音がする。

「あなた……」

 綺麗な長い金髪、白いワンピースを着た女性が父親を見つめていた。

「母……」

 めいは母親に向かって走る。

 けれど、めいの身体はスッと透明になり、母親の身体を通り抜けてしまって触れることができない。

「駄目よ、まだここに来ちゃ」


 気がつくと、目の前は黄昏時の河に変化していた。

 母親は対岸に居り、めいに背を向け、去っていた。

 めいの後ろから無数の手が忍び寄り、身体の至る所を掴まれる。

「離して、離して、母! いやっ! やめてぇぇぇっ!」



 目覚ましのアラームが鳴る。

 手探りでそれを止めた。

「……夢?」

 自分の口元に違和感を感じると、金髪が一本。

「……母……?」

 否、その髪の正体は、めいのベッドに潜り込んでいたステラのものだった。

「タイチョー……もう食べられないや……」


――そういえば彼女もここで暮らすんだっけ。


 あの後、島風しまかぜ ステラも私立星見学園に編入、そして十六夜寮で生活する事となった。

 めいみさおが変な事しないか心配で心配でたまらなかった。

 けれど今は、そんな些細な事に思考するほど余裕もない。

 悪夢による倦怠感が身体をむしばんでいた。



 みさおがタオルで顔を拭きながら食卓へと入ってきた。

「待って、今から朝食作るから」

「ん……」

 私服に着替えためいは暗い気分のままみさおを見る。

「体調がすぐれないのかな? テレビでも見てて待ってるといいよ。ちょっとかかるから」

 めいはおぼつかない足取りでリビングに行き、テレビを付けた。

『決まったァーーー、ステゴロ・ジョートーのジャーマン・スープレックスだァーーー!』

『怪盗ハリーマウス、ここに見参!』

 エデンの方で情報統制されているのか、昨日の合同軍事演習での出来事は報道されていない。



 みさおは冷蔵庫から卵やバター、ケチャップやレタス、チーズなどをキッチンに並べる。

 最後に、赤ちゃんの人形を台所の横においた。

「さて!」

 まず、鍋に水、そして塩を少々。

 沸騰させている間に、玉ねぎをみじん切り。

 フライパンで北海道産十勝バターを溶かし、中火にして先程刻んだ玉ねぎを投入。

 鍋が沸騰したらそこにマカロニを投入。

 壁掛けのホログラムタイマーに時間を入力し、その間にケチャップライスを作る。

 玉ねぎの色合いを見て、火が通ったことを確認すると、そこにご飯を入れて炒め、ケチャップを加えて混ぜ合わせる。

 ケチャップライスが出来たところでフライパンから皿に盛り付けていく。

「朝だし僕はこれくらいでいいか……。天城あまぎさんと大宮おおみやさんと所長はいっぱい食べるからなぁ。あ、島風しまかぜさんが一番食うんだったか。ったく、あの身体の何処にそんな入るんだか……エンゲル係数がどうなるか、考えたくもないな」


 そこでセットしたタイマーが鳴った。

 マカロニが茹で上がったらお湯を切り、それを皿に盛り付ける。

 フライパンでバターを溶かし、そこにチェダーチーズと道産のエージェント十勝牛乳を入れて中火に。

 そのフライパンに蓋をして、卵をリズミカルに台所の角に打ち付け、ボウルの中に入れる。

 そこに牛乳、塩コショウを加え、菜箸で素早く溶く。

 フライパンの蓋を開けると、湯気が広がり、チーズの匂いが台所を支配する。

「いい香りだ~」

 弱火にして塩コショウを混ぜ合わせ、茹でたマカロニにそれをかけ、上からパセリを乗せてアメリカ風チーズマカロニ完成。


 フライパンに高いところからオリーブオイルを垂らす。

 それから、溶いた卵をそこに広げる。

 半熟状態になったらラップに乗せ、人数分に分けながら形を整える。

 そして、それを次々弱火で炒めて、ケチャップライスに盛り付けていった。

 真ん中に菜箸を入れて割り、半熟卵を広げて、ふわとろオムレツの完成。

 最後にレタスを手頃なサイズにちぎって、ミニトマトを乗せて……。

「出来たぞ!」

 食卓に次々と並べ、食器やケチャップ、ドレッシングも置いて寝ている皆を起こしに行く。



 まずは副長の部屋。

 開けると広がるのは酒とヤニの匂い。

「タバコ、やめられなかったんですね……」

 布団を敷き、その上でお腹を出して一升瓶片手にだらしなく眠る副長。

 綺麗な長い青髪でスタイル抜群、普段は知的な白衣に身を包む美人秘書でもPSIサイ研究における優秀な博士でもある。

 しかし、今の姿を見るとそんな幻想は簡単に砕かれてしまう。

 例え半裸でも呆れが勝ってしまうほどの汚い部屋とその寝相。

「副長、起きてください、ご飯できてますよ」

「んあ……あー、いまいく……」

 あくびをしながらムクリと起き上がる。

 みさおはカーテンを強引に開け、朝の日差しを入れ込んだ。


 リビングに戻ると所長がコーヒーを淹れていた。

 彼はいつも気づいた時には起きている。

「やはり朝のキリマンはいいな」

 上の階へ、そして廊下に出ると、ステラが半裸姿でフラフラと歩く。

島風しまかぜさん、ご飯できてるよ」

 肩を軽く叩いて目を覚まさせる。

「あ、指揮官!?」


 それぞれの個室が並び、その一番奥。

 そう、朝最強の難敵とのご対面だ。

『GOOD SLEEPING ~起こさないでください~ むつき(ハート)』

 その札が掲げられた扉を容赦なく開ける。

 ファッション雑誌、いつも首から下げている宝石、所狭しと並ぶコスメグッズ。

 ベッドの上で全裸で眠る美少女。

 大宮 睦月おおみや むつき

 ウェーブロングの茶髪に溢れんばかりの胸、モデル顔負けのプロポーション。

 普段は抜群のファッションセンスに持ち前のコミュ力で学園でも男女問わずたちまち人気者。

 二分間隔で鳴るアラームを無視して彼女は眠り続けていた。

「これがまさに眠れる森の美女……ですか」

 全裸で堂々と大の字で寝ている姿から目を逸らしつつ彼女に近寄る。

 周りを見渡すと、派手な装飾のランジェリーが脱ぎ散らかされていた。

「おい、起きてくれ」

 全裸の彼女を直視しないように恐る恐る肩を揺さぶる。

「ん……ん……」

 睦月むつきは寝返りを打ち、みさおを巻き込んでベッドから転がり落ちた。


「どうしたの!? すごい音したけど……」

 物凄い音にめいが駆けつける。

 そこで彼女が見たのは、みさおが全裸の睦月むつきを押し倒している光景だった。

「人が朝っぱらから気分悪いってのに、何してんのよ、この破廉恥ッ!!」

 赤雷レッドスプライトが迸る。

 危機感ですぐに目を覚ました睦月むつきは廊下への空間跳躍ジャンプでそれを避けた。

 取り残されたみさおだけが電撃を浴びる。

「ぎゃあああああああぁぁぁぁぁっす!」

 これが十六夜寮のいつもの朝だ。



「私、ミニトマトは嫌いだっての、朝から勘弁してほしいわ」

 オムライスの上にケチャップを大量にかけるめいは、サラダのミニトマトだけを綺麗に残した。

 悪夢、みさおのいつものアレに加え、ミニトマトでめいの不機嫌度はマックスだ。

「はい、パンケーキ。これで機嫌直してよ。蜂蜜たっぷりで甘いよ」

 新たに焼いた十五段のパンケーキを食卓に並べた。

「別にそういうのじゃないわ……」

 そう言って膨れながら、パンケーキを頬張る。

 みさおは彼女の機嫌を取ろうと、話を振る。

「その、部活とかはどう?」

「別に」

 即答。

 睦月むつきは気持ちを察してその話を広げた。

「そーいや、竜蛇りゅうじ君はアメフト部のキャプテンになるんだってさ! あーしもチア部に入ることにしたんだけど……」

 そこに明日編入予定のステラも乗っかる。

「ボク、空手部に興味ある! 腹筋・背筋・胸筋って感じで鍛えていきたいなって」

島風しまかぜさんは近接パワー型、強化系って感じなんですね。僕も何か部活考えたいけど忙しいしな」

 みさおが楽しげに話していると、めいはつまらなそうに呟く。

「そう」

 そのそっけない返事に、睦月むつきみさお耳打ちする。

「……ねえ、朝からああなの?」

「知らないよ、多分今日は重いんじゃないかな」

 その悪意無く放たれた言葉に、睦月むつきは眉をひそめる。

「……それ、マジで口に出さないほうが良いよ」



 めいが机を強く叩き、立ち上がる。

「聞こえてるわよ。もういい」

「タイチョー!」

 ステラが立ち上がり、去るめいに向かって手を伸ばす。

 金髪である彼女の姿はめいの夢に出た母親やPSIサイヴィーナスを想起させた。

「来ないで! 私、今はアンタを見たくないの」

「……」

 睦月むつきみさおが落ち込むステラを慰める。

「本当に情緒不安定なお子様ね」

 副長がコーヒーを飲みながら呟いた。

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