第41話 隠しごと(1)

 *2*


 翌日、学校で美鳥とは一言も話さなかった。これまでは隣の席ということもあり、「ただのクラスメイト」として会話をするのが普通だった。


 学校にいるときの美鳥は落ち着いていて、クラスの中心にいるというよりは少数の友人と一緒に過ごすタイプのようだった。今日も休み時間の間は普段通り彼女たちとお弁当を食べていた。洸は誰に言われるまでもなく、そっと自分の席を離れた。


 *


 栗山神社に複数ある入り口のうちのひとつは、周りを木々に囲まれた長い階段を上った先にある。洸は決意を固めるように一歩一歩段差を上る。その途中の踊り場で、意外にも見知った顔が洸を迎えた。


「よ。先生から事情は聞いてる」

「アミちゃんと戦うんでしょ、頑張ってね」


 洸がこれから上るつもりだった階段に、雪枝と本多がちょこんと座っていた。


 事情を知っているなら話は早い。アミが先生を狙う危険な人物だったことについて、この2人はどう思っているのだろうか。洸は率直に尋ねた。


「怒ってないんですか。アミが、僕たちを騙していたこと」

「ああ、そのことなんだがな」


 と雪枝が話し始める。


「オレたちはアミの素性すじょうを最初から知っていた。その上でお前たちをチームに入れたんだ。ま、これも全部先生の指示だけどな」

「だからだましてたのはむしろ、わたしたちの方……涼風君、ごめんね?」


 ——んん、なんだって?


 どういうことなんだ、この状況は。先生は一体何を考えている? わけがわからないが、洸はとりあえず話を進める。


「……そうだったんですか。どうりであんまり驚いてないわけです」

「まあな。それよりも、お前とアミが勝負することの方が驚きだ」

「負けたら先生の本盗られちゃうんでしょ。涼風君、勝たなきゃダメだよ」

「本が盗られるって、何のことです?」


 アミがほしいのは、先生がもつ魔術の知識ではないのか。


「本にはね、その人が使った魔術が記録されてるんだよ。魔術を奪うっていうのは、魔術書の中の記録を抜き取ることだね」

「そういう意味じゃ、本は魔術師の生命線だからな。魔術書を失ったら、魔術師としてのそいつは死んだも同然だ」


 知らなかった。それに先生はそんなこと一言も言わなかった。


「記録がられるだけなら、また記録しなおすことはできないんですか?」

「それは無理だ。魔術書はひとり一冊しか持てない仕組みだからな」


 魔術書の細かい仕様なんて当然に初耳である。不親切な設計も気になるけれど、問題はそこじゃない。


「……ということは、僕が負けたらだいぶまずいじゃないですか」


 今になってようやく、事の重大さが見えてきた。アミが勝てば、先生の魔術書はアミのものとなる。


 アミは先生の魔術で何をしようとしているのか。詳しいことはわからないけれど、きっとまともなことではないのだろう。洸と同じく、アミも入学試験の面接には不合格だったのだ。


「涼風君とアミちゃんを戦わせようってしたのは先生なんだよね? なら、先生には何か考えがあるんじゃないかなあ」

「オレもそうだと思いたいところだが……今回の先生の依頼は謎が多すぎる」

「だよねえ」


 どうやら雪枝と本多にもすべての事情は明かされていないらしい。こうなると先生の真意を知るのは本人以外にはいなさそうだ。


 先生はそこらの魔術師よりも圧倒的に魔術への造詣が深い。ただアミに対処するだけなら、自分で追い払えばいいだけの話だ。わざわざ洸たちにチームを作らせる必要はない。そうなるとやはり、あのふざけた理由が本当ということになるのか。


「あ、アミちゃんだ」


 立ち上がった本多が階段の下の方を指差して、彼女の名前を呼ぶ。アミは洸が立っている踊り場までやってきてから、ようやく口を開いた。


「あの人はいないの?」


 先生のことだろう。雪枝と本多がいることが予想外だったのか、アミはどこか居心地の悪そうな様子だ。


「先生なら上で待ってる。2人で行ってこい」


 入れ替わるようにして、雪枝と本多は階段を下りていく。どうして2人がここにいたのか、その理由はよくわからなかった。


 アミとふたり、無言で階段を上り切った先で、先生はいつもの袈裟けさを着て待っていた。


「来たね。さっそくだけど始めようか」


 先生はやけに軽い調子で言った。あまりに緊張感に欠けた態度で、洸はなんだか腹立たしい気持ちになる。これから自分の魔術師人生がかかった勝負が始まろうとしているということを、この人は理解しているのだろうか。


「ええ。それでルールは?」


 さっさと始めたいのだろう。アミは前のめりに尋ねた。


「基本なんでもありの真剣勝負。ただし神社より外に逃げるのは禁止。相手を殺した場合は、殺した方の負けだ」

「……決着は貴方が判断するの?」

「そうだね。判定は公正にやるから安心してほしい。もちろん、勝てないと思ったときはギブアップしてもいいよ」

「わかりました。私は問題ありません」


 洸もうなずくと、先生は「それじゃ」と言って指を弾く。瞬間、洸の視界が切り替わった。先生の魔術でワープしたのだ。場所は入学試験のときにも使ったあの広場だが、今回戦う相手は狛犬ではなくアミだ。相対したときの緊張は狛犬の比ではない。


「先手は洸だ。これくらいのハンデはもらってもいいだろう?」


 先生の声が頭の中に聴こえた。どうやら先生はこちらにワープしてこなかったようだ。栗山神社の境内はそれなりに広く、ここは先ほどまでいた入り口からは離れている。決着の判定を出すためには戦いを見守る必要があるが、おそらく何らかの魔術でこちらの様子は把握できるのだろう。


「それじゃあ、洸。始めてくれ」


 それから先生の声が届くことはなかった。深く息を吸ってから、洸は数メートル先のアミをじっと見つめる。


 ここから先は、一瞬でも気が抜けない。戦闘開始直後の流れを何パターンか想像して、洸は最初の一手を決めた。


 ——よし、はじめよう。


 洸は魔術を使った。

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