第42話 隠しごと(2)

 身体能力と感覚能力の向上。そして、洸はアミに背を向けて全力で逃げ出した。


 洸がアミに勝つのは、はっきり言って難しい。魔術師としての知識も経験も、アミの方が高いレベルで備わっている。


 だからこそ、アミと正面から戦ってはいけない。アミが先生の隙をついて攻撃を当てたように、洸も一度隠れて不意打ちを狙う作戦をとる。


「逃がすと思う?」


 洸を取り囲むように、地面から木の根が伸びる。アミの魔術だ。


 この魔術は基本分類で言うと「自然現創しぜんげんそう」に属する。自然系は強化や基礎移動系が含まれる変工へんこう系や、実体を生み出す作成系よりも上位に位置づけられる。その理由のひとつは、魔術効果の規模の大きさにある。


 自然とはシステムのことだ。生命活動の源として、人間が生まれるより遥か昔からこの星にあったものだ。


 科学技術が発達した現代においても、地震や津波といった自然災害は人類に甚大な被害ももたらす。たとえ予測することはできても、自然を完全にコントロールすることなど普通は不可能である。


 自然系魔術とは、その自然システムへの干渉を行う魔術のことだ。元々は智上という世界を運営していくために開発された魔術だが、それをスケールダウンさせることで戦闘に応用しているのだろう。


 とはいえ、その効果や規模が変工系や作成系よりも大きいのは明らかだ。システムとはモノ単体ではなく、モノも含めた何らかの連関を指す。そこに干渉するためには、より複合的で難易度の高い魔術操作が求められる。


 運動能力が向上した身体を存分に使って、洸は伸びてくる大量の根を次々と避けた。狙いは大雑把だから、落ち着いて見れば避けること自体は難しくない。だがその間にもアミは距離を詰めてきている。ここで近接戦に持ち込まれるのはまずい。


 どうやって不意打ちを当てるかは考えてきた。けれど、その状況まで持っていくための具体的な方法や作戦はない。なんとかこの状況を切り抜けなければ、作戦を実行する前に負けだ。距離をとって、いったんどこかに隠れなければならない。


 広場を抜けて、石の階段を5つ飛ばしで上る。その先は、本殿や塔が並ぶ、栗山神社の主要な一帯だ。建物を利用して、上手くやるしかない。


 洸が社殿に近づくと、根による攻撃が止まった。壊すのを気にしてるのか魔術を使いすぎたのかはわからないが、これはチャンスだ。本殿の裏まで回り、アミの視界から完全に外れたところで魔術を使う。


 基礎移動系——の少し応用版を、隠密で実行。対象は洸自身だ。放物線を描くようにして空中を泳ぎ、洸は神社を囲む山の中を落ちていった。


 *


 ——なんとか、逃げ切れたかな。


 土まみれになりながら、洸は内心で安堵した。途中で魔術の制御を誤って、勢いよく墜落ついらくしてしまったのだ。山を転がるように落ちて、あやうく死ぬところだったかもしれない。けれど、これはこれで都合がいい。もともと、洸はここまでくるつもりだった。


 洸は転がってきた山を見上げる。森は木々が茂って視界が見渡せず、足場も悪い。ここで姿を隠してしまえば、そう簡単には見つからないだろう。


 ——魔力探知がなければ、だけど。


 アミの探知であれば、おおよその位置は間違いなくバレる。だが、あのまま広場で戦っていても勝ち目はなかった。アミの攻撃は全方位から飛んでくる。障害物となるものがない場所では、物量であっけなく押しつぶされるだけだ。


 洸が森に逃げたことには、おそらくアミももう気づいているだろう。すぐに追って入ってこないあたり、奇襲の可能性を考えているのかもしれない。当然、洸の狙いはそれなのだから、こちらの思惑は敵に筒抜けということだ。


 とはいえ、これは気にするだけ無駄なことだろう。実力差のある相手に勝とうとしているのだから、格下の方が取れる選択肢はおのずから狭まってくる。


 そして、何か策があるとわかっていてもアミならいずれ森に入ってくる。その洸の見立ては、見事に的中した。足で草を踏む音が聴こえる。


 ——来た。


 ここからが、本番だ。


 洸はまず、隠密で使用した聴覚強化以外の魔術をすべて解除した。これで、魔力探知にひっかかるのは洸自身が持つ魔力だけになる。魔力というのは空間に満ちるエネルギーだ。魔術を何も使っていない状態であれば、人ひとり分の魔力くらいは空間中の魔力で誤魔化すことができる。


 続いて、洸はアミに念話を飛ばす。


「やあ、アミ。せっかくだし、話をしよう」


 しばらく待ってみたものの、アミからの返事はない。洸は続ける。


「先生から少し話を聞いたんだ。アミも面接は不合格だったらしいね。いったいアミは先生の質問になんて答えたんだろう?」


 アミの足音はまだ絶え間なく聴こえている。洸を探しているのは間違いない。ただ、ひとりで話し続けるのはやはり虚しい。


「僕を見つけ出すつもりだろうけど、森は広いからね。待ってる方は退屈なんだ。相槌あいづちくらいくれてもいいんじゃないか?」


 もう一度、返事を待つ。たっぷりと間をおいてから、アミの声が返ってきた。


「……それで?」

「ありがとう。返事がないと、僕の言葉が本当に届いているのか不安でしょうがない」


 心の中で声を発しつつ、耳を澄ませる。草を踏みしめる音は、洸がいる所から少しずつ遠ざかっているようだ。


「ああ、アミ、そっちは違う。僕がいるのは反対だ」


 焦ったふりをして、洸は本当のことを言った。


貴方あなた、私のいる位置がわかるの?」

「もちろんだ。でなきゃ、こんなことしないよ」

「探知されてる気配はないけど……音か」


 アミなら当然、気づくと思っていた。これは想定内だ。


「その通り。でも僕を探すには移動するしかないよね。先に隠れた僕は動く必要がないし、音もよく聴こえるってわけ」


「ふうん。それで、どうやって勝つつもりなの? それとも、逃げ続けて引き分けを狙っているとか?」


 もちろん引き分けプランも考えた。けれど、これは違う。明確に、洸がアミに勝つための作戦だ。


「僕が目指しているのはハッピーエンドだからさ。悪いけどこの勝負は、僕が勝つよ」

「そう。でも私も負けるつもりはないから」


 そこで、アミの足音が消えた。ただ立ち止まったわけじゃないだろう。おそらく、アミは何らかの魔術で音を誤魔化している。


「だろうね。それにお互いが本気だからこそ、戦う意味がある」


 聴覚に頼れないなら、別の方法で敵の位置を把握すればいい。魔術を使っている相手であれば、魔力探知が有効だ。

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