第35話 闘争・先生(1)
その男は
本当の名前は別にあるが、もう何年も使っていない。
智下で実際に教師をしていたことはないが、こちらでは長いこと教師をやっている。魔術という、この世界の神秘を解き明かす学問だけが担当だ。その気になれば道徳なんかも教えられるかもしれないけれど、説教くさいのはあまり好きじゃない。
雪枝たちがこの場を離れたことを確認し、先生は退屈そうにこちらを眺める松城に目を向けた。
「おめでとう。君は入学試験合格だよ」
「はあ?」
「今のは抜き打ちテストみたいなものでね。魔術書についてそこそこ詳しくないと見破れない難問だったろ?」
「そうかい。だが俺は仲良しごっこに興味はない。今ここで、自分の腕を試したくなった」
エアガンを構えて、松城の魔術が発動する。照準に収めた対象からモノや概念を奪い、自分のものとする魔術。
しかし、先生にはその魔術が失敗していく様子が見えていた。魔術の効果を視覚的に感じ取ることができる魔術師は、おそらくこの世界でたった1人だけだろう。他のどんな魔術師よりも特異な経歴を持つ先生の瞳には、神秘が確かな現実として映る。
「相手が持っていないものを取ろうとすると、奪えず失敗に終わるってところか」
何を奪おうとしたのかまではわからなかったが、少なくとも今ので松城が何も得ていないことはわかった。
「対抗された……いや、違うな。お前、強化を使っていないのか」
強化? そうか、なるほど。
「使わないさ。こんなのはちょっとした隣人トラブルだろ? 喧嘩までする必要はない」
「これは喧嘩じゃない。狩りだよ」
「そ。なら熊には気をつけなよ。反撃されるから」
親指と人差し指を伸ばして、先生は右手をピストルのかたちにした。それを松城の方へ向けて、魔術を発動させる。対象は、松城の足元に落ちている本だ。
「こんなふうに、ね」
先ほど松城に送りつけた偽物の魔術書。あれは確かに魔術書ではないが、同時にただの本でもない。魔術で作った、特殊な加工品だ。
先生の魔術により、本は起爆して松城を吹き飛ばした。
本と爆弾のあいだには、イメージの
「……あんた、教師のくせに戦い方は汚いんだな。いや、悪くない。最高だよ」
松城は既に全身ぼろぼろだ。爆風に吹き飛ばされたのか、エアガンも持っていない。けれど、戦意を失っているようには見えなかった。しかし、勝敗はもう決している。何があったとしても、ここから松城が勝つことはない。
松城をここまで狩りへ駆り立てる要因は一体何か。その答えには、心当たりがあった。
「君、狩りで得た情報を誰に売っている?さっき改良版をよこしてきた連中がいるって言ってたけど、それは嘘だろ」
狩猟者の雇い主は、魔術の情報と引き換えに客に報酬を支払う。力関係は当然、雇い主の方が上だ。わざわざ客のために魔術を構築するなんて、まずありえない。
「さっき、だと? お前——」
「あ、そうか。わかった」
松城の話す隙間をなくすように、先生は適当な声を発した。人生経験が増えるとともに、自然と人を見る目は養われていくものだ。これはアタリで間違いない。
「君は改良版を買ったんだ。ただし、後払いで。強力な魔術があればこれまでよりも狩りがしやすくなるから、君はそれで問題ないと考えた」
けれど、それが罠だった。
「雇い主は君の支払いに中々満足してくれず、何度も情報の追加を求めてきただろう。そして君も気づいた。自分が
商品を先に買っている手前、雇い主の依頼を断れない雰囲気が生まれることは想像に難くない。そうして、松城は雇い主にとって都合のいい手駒に成り下がった。
「……だったらどうする。情けで情報を提供してくれるか」
「もちろんタダではあげない。取り引きをしよう」
「……聞こうか」
「俺の知り合いを、狩りの対象から外してほしい。それと、できればそのことを君の知り合いにも広めてくれると助かる」
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