第21話 会同(1)

 *2*


 見慣れた空だった。


 それは夜というには明るく、昼というには暗い。そんな風にしか表現できない空だった。分厚い辞書で調べてみたら、もしかすると、この景色を適切に表現できる言葉はあるのかもしれない。けれど少なくとも、洸はそれを持ち合わせていなかった。


 あるいは、その情景を別の尺度を用いて説明するなら、それは智上世界の4時10分の空だった。


 栗山神社の境内にある広場の片隅で、洸は大の字に寝ていた。少し身をよじると、地面に敷き詰められた角の丸い石が背中や首を刺激する。その無機質でささやかな痛みすら、今は暖かく思えた。


 空に向かって叫ぶようにして、投げやりに洸は尋ねる。


「これ、いつまで続けるの?」


 返事は真上から返ってきた。


「私から1本取るまで。忘れたの?」


 こちらを覗き込むように見下ろすアミの顔は、上下がひっくり返って見えた。そこに疲労の色はない。一体どうなっているんだ。


「いつまでも休んでないで、始めるわよ」


 仕方なく体を起こして、洸はため息をつく。アミによる魔術講座も、今日が最終日だった。そしてその内容は、「魔術を用いた戦闘について」というものだ。


 洸は自分のことを「どちらかと言えば落ち着いたタイプの人間」だと思っている。これまで誰かとめ事になったときは、冷静に話し合いで解決しようと努力してきた。まして殴り合いの喧嘩けんかなんて、ほとんどしたことがない。


 しかし、どうやらいま求められているのは、その殴り合う喧嘩の経験のようだった。

 アミによれば、現代における魔術の使われ方は大きく分けて2つある。ひとつは、智上世界の運営のため。そしてもうひとつは、いわば喧嘩の道具として、である。


 魔術師の家同士は互いに協力しあうこともあれば、過去の因縁から敵対関係が構築されている場合もある。そんな仲の悪い相手とばったり出くわしてしまったときに、ちょっとしたいさかい——魔術を使っての戦闘行為が発生することは今でも珍しくないという。


 しかしここ数年で、その無駄な衝突を避けるために簡易なルールが設けられ、ずいぶんと対処が進んでいるという話だ。それはお互いが頻繁に利用する地区はその家の拠点として定め、部外者による無用な立ち入りは推奨しないという決まりだ。とはいえこの規則は明文化されておらず、「あの地域はどこそこの家がよく使っている」という空気を、他の魔術師たちが察して出来上がったものである。


「それなら、拠点に近づかないようにすればよくない?」

「昔はね。最近はもう少し面倒なのがいるのよ」

「それは?」

らしや狩猟者しゅりょうしゃと呼ばれる魔術師。実力はピンキリだけど、そいつらは割と無差別に攻撃をしかけてくる」


 洸が智上で最初に会った田原は確か、荒らしという言葉を使っていた。そのことについてもう少し訊いてもいいのか、判断に迷う。


「自分の身を守るために、戦うための技術は必要よ。でないと、いつか後悔する」


 その言葉には、今までとは質の違う明確な重みがあった。洸が何も言えず黙っていると、アミは地面に落ちている魔術書を拾いあげる。それは洸の魔術書だった。


「試しに、本なしでやってみる?」

「……いいの?」

「このままだと、絶対にクリアできなさそうだし」


 洸はアミから魔術書を受け取って、そのまますぐにそれを消す。媒介を経由しない方法で魔術を使いたいことは、以前からアミに伝えていた。けれどこれまで、「基本の範疇はんちゅうを超えすぎている」という理由から許可されていなかった。そのゆるしが、たった今おりた。


「うん、やっぱりない方がしっくりくる」

「本当に? とりあえず、ルールはそのままで試してみましょうか」


 魔術を使った模擬戦闘のルールにはいくつかのバリエーションがあるが、今回は「有効打となる攻撃を先に1回当てれば勝ち」となっている。


 互いに距離を空けてから、アミが堂々と言い放つ。

「いつでもどうぞ」


 開始の合図は、先手を任された方の人物がひとつ魔術を使うこと。事前に強化などの魔術を使用しておいて、あらかじめ準備を整えることはできないルールだ。


「よーい……」


 深く息を吸って、洸は魔力を全身でとらえる。媒介はいらない。ただ、魔力と己のイメージだけで、未知なる現象を引き起こす。


 それは異端とも言える方法だ。魔術の定義をくつがえす、ありえざる方法だ。


 ——でもそんなの、知ったことか。


 魔術をどうやって使うか、なんてことはまったく重要ではない。望む結果さえ実現できれば、過程は何でも構わない。魔力というエネルギーと魔術という技術を、いかに上手く使うか。それだけだ。


 洸の魔術が、媒介を経由することなく直接実行される。


 ——どん。


 強化の魔術で身体と感覚の能力を向上させ、洸は即座にアミの方へ距離を詰める。


 これに対し、アミはバックステップで下がりながら魔術——まず間違いなく身体強化だ——の使用に入った。その顔から、わずかなあせりが読み取れる。これは今までにない展開だ。


 模擬戦でアミに1勝すること。それが最後の課題だった。ところがここまでの間、洸は20連敗という散々な結果に終わっていた。そこで気分転換的に用意されたのが、媒介なしでの魔術の使用を許可された、このお試し回——とアミは思っているだろう。しかしこの勝負で、洸は本気で勝ちを狙うことにした。


 直行は使用者がまずいないと言っていいほど希少な技術だ。それが魔術戦闘においてどんな影響をもたらすのか、洸はひとつの仮説を立てていた。さっきの展開をふまえれば、それはおそらく間違っていない。


 アミが後退することを選択した。それはつまり、このまま距離を詰められては分が悪いと彼女が判断したということだ。


 いま洸がとった「強化使用と同時に接近」という手は、すでに何度か試している。しかしその時アミは後方へ下がることはなく、同じく強化を使用してからの近接戦闘になる流れだった。


 ではなぜ今回、アミは下がったのか? 洸の推測では、こういうことになる。


 ——直行ちょっこうは、魔術効果の表出が通常に比べて速い。

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