第20話 修練(6)

「それじゃあ昨日の復習から。魔術を使うにあたって、まず最初に用意するものは?」


 どれも同じに見える建物ばかりが並ぶ住宅地の中を、洸は歩いていた。隣にはアミがいるが、その速度は普段とあまり変わっていない。ふたりのあいだに、そこまで身長差がないからだろうか。アミのリズムは、自然と洸にも心地よかった。


「媒介だよね。魔術書まじゅつしょを使うっていうのは聞いてるけど」

 アミの質問に、洸は迷わず答えた。

「そうね。まずは本の呼び出しをやりましょう。智上ならどこからでもできるわ」


 そう言って、立ち止まったアミは右腕を地面と水平になるように前に伸ばした。そのまま手のひらを広げて上に向ける。すると、何もない空中から一冊の本が現れ、アミの手に収まった。


「こんな感じね。媒介は使わずに、イメージと魔力操作だけでできるわ」

「正解のイメージはある?」

「特にはないわね。魔術書、というか本に関係するものなら何でもいいんじゃない?」

「了解」


 アミと同じように手を前に出して、軽く目を閉じる。そして、洸はイメージの海へと潜っていく。


 そこにあるのは、ひとつの大きな扉だ。重厚じゅうこうそうなそれを押して、洸は部屋の中へと踏み込む。その扉の奥には広大な空間が広がっていた。右も左も、手前から奥の方まで、見渡す限りに書棚が並んでいる。


 巨大な図書館が、そこにあった。


「さすがに余裕って感じね」

「……ああ、かもね」


 アミの声で、ふと我に返った。また、イメージに潜りすぎていた。


 洸は自分で呼び出した魔術書を改めて観察する。手触りも重さも普通の本と同じで、特に変わったことはない。


「あれ、でも少し色が違う?」


 アミの持つ魔術書は深みのあるグリーンだが、洸のはどちらかと言うと赤みがかっている。


「ええ、でも特に意味はないわ。最初に呼び出すと、本はその魔術師個人のものになるから、それで見分けるくらいね」

「ふうん。で、これどうやってしまうの」

「……呼び出すのと同じ動きでできるけど」


 先ほどと同じイメージで魔力の操作をする。すると、洸の手から魔術書が消えた。再び同じようにして、もう一度呼び出す。距離感が掴めてきた。


「よし」

 本の呼び出しに関しては、もう失敗しないだろう。


「貴方って、やっぱり変わってるね」

 アミのその声は、クラスメイトとして話すときに似た、少し砕けた語調だった。


「そうかな」

「これから本を使うのに、まず戻し方を訊くのは変じゃない?」

「こうやって、ただ取り出す練習がしたかっただけだよ」


 言いながら、魔術書をしまったり取り出したりを繰り返してみせる。一度コツを掴むと、イメージにそこまで意識を割かずにできるようになってきた。この感覚は、自転車の乗り方を覚えるのに似ている。


 今の言葉に納得したのかそうじゃないのか、アミは「そう」と短くつぶやいた。それで課題が一区切りついて、再び歩き出す。


「これで本は用意できたし、次はいよいよ魔術を使うんだよね」

「その通り。魔術を使う上で重要な、3つの要素は覚えてる?」


 昨日、アミから教えてもらったことのひとつだ。もちろん忘れていない。

「魔力、イメージ、媒介」

「正解」


 アミは自身の魔術書から手を離し、それを宙に浮かせる。先生も使っていた、浮遊の魔術だろう。


「まずは、基礎きそ移動系いどうけいと呼ばれる魔術をやります」


 妙に改まった口調でアミが言った。特に気にせず、「それってどんなの?」と尋ね返す。


「こういう感じね」


 アミが歩いている間、これまでは本もそれに従って同じように移動していたのだが、今度は違う。本だけが、前方へひとりでに空中を滑った。


「対象を決まった方向に動かす。これが、基礎移動系」

「……地味だね」


 思わず本音がれてしまった。ワープとまではいかなくとも、もう少し不可思議な現象でもよかったのではないか。


「言うと思った。けど、今日はこのくらいの魔術しかやりません」

「初学者向けってことかな」

「それは否定しないけど、そんなにやさしい課題でもないわよ。下手をすると貴方あなた、今日は寝られないから」


 それは聞き捨てならない。洸は毎日しっかり9時間は寝ている。睡眠ほど平和で心安らぐものはないと、洸は思う。


 けれど、今のアミの発言で弱気になったわけではなかった。むしろより一層、洸の心はたかぶっていた。


「その課題っていうのは?」

「基礎移動系を含めた基礎魔術、これを20種類マスターすること」


 アミによれば基礎魔術とは、「魔術でなくとも実現可能な現象を、あえて魔術で実行すること」だという。


 たとえば、先ほどアミが使ってみせた基礎移動系もそうだ。「モノを前方へ動かす」という動作は、何も魔術に頼らずともできる。単に、手か何かでそのモノを押せばいいだけだ。そういった、いわば地味めな魔術の総称が、基礎魔術と呼ばれる。


「今日はこれをクリアするまで帰らせないから、そのつもりで。私も責任をもって最後まで付き合うわ」

「それじゃあ、アミにいつも以上の睡眠時間を提供できるよう努めよう。ちなみに、普段どれくらい寝てるの」

「そうね、6時間くらいかな」


 その数字は洸にとって、異世界の存在を知ったときと同じくらいの衝撃だった。


「……これは、なおのこと速やかに終わらせるべきだね」


 自分の睡眠時間だってもちろん大切だ。けれど、だからこそそれ以上に、他人の睡眠時間を奪うことは罪深い。

 この課題がどれだけ難しいのか、洸にはよくわからない。それでも、とにかく全力でのぞむことにした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る