第32話 闘争・雪枝透矢(1)

 雪枝が3秒で考えた作戦は、自分でも驚くほどすんなり成功した。


 頭数だけはそれなりにいる連中のことだ。全員が顔見知りではないと踏んで堂々と潜入し、結果、面白いくらいに上手くいった。


「よう。今度は逃げるなよ」


 荒らしたちをまとめていたのは、2週間ほど前にも見かけた田原という男だ。


 ——こいつがガンナーだったのか?


 ビルに侵入する前に、アミとは念話で連絡をとっている。アミによれば、ガンナーはビル内にいる可能性が高いだろうということだ。だが、この中でまともに戦えそうな魔術師は田原くらいしかいない。確信はないが、直感を信じるならそういうことになる。


「全員そいつを捕えろ!」

 田原が叫ぶと、荒らしたちがわらわらとこちらに向かってくる。


 ——まずは取り巻きを片付けるか。


 オフィス内の通路は狭い。これだけの人数が一か所に集まっているから、余計にそう感じられる。しかし、雪枝にしてみればその方が助かった。


 相手は魔術のレベルで言えば取るに足らない雑魚だが、シンプルに数が多い。広い場所で四方を囲まれたら多少は対応に困ったことだろう。しかしここなら、正面から突っ込んでくるやつを順番になぎ倒すだけ。ほとんど単純作業のように、何も考えずに片が付く。


 荒らし集団というのは、そのほとんどが魔術を思うように使うことができない魔術師未満の人物で構成されている。そして、彼らの行動基準は「この世界でいかに楽しむか」ということにある。


 そもそも魔術師だけがその存在を知っていることから、智上において魔術とは「使えて当たり前」の技術と捉えられがちだが、実際はそうではない。智上に上ってきたり多少の基礎魔術が使えたりするくらいで、それ以上となると途端に何もできなくなる魔術師は山のようにいる。


 しかし、魔術は智上という世界そのものを支える基本原則だ。魔術を満足に使えないことが、魔術師に与える絶望は大きい。そうした人たちが集まり、智上で魔術に頼らず、何か有益なことができないかと考え始めたのが荒らしの発端とされる。


純真じゅんしんに負けるほどヤワじゃないんで」

 雪枝はオフィス内にひとり残った田原に目を向けた。


「……ま、でなきゃこんなとこに首突っ込まねえよな」

「当然だろ。で、あんたがここのリーダーだったのか」


 囲んできたやつを全員返り討ちにすると、他の荒らしはさっさと逃げていった。建物の中は、さっきまでと打って変わってすっからかんだ。


「なわけあるか。ボスなら今ごろ、お前の仲間を可愛かわいがっているころだ」


 やはり、田原はガンナーではなかった。いや、それよりも。 

「那由奈、こっちはいいから2人を探せ。近くにいるはずだ」


 ビルの廊下に待機させていた那由奈に告げると、彼女は軽い調子で質問を返してくる。

「逃げてった人たちはいいの?」

「そっちは後でどうにでもなる。アミが簡単に負けるとは思わないが、万が一だ」

「わかった、透矢君も気をつけてね」


 そう言うと、那由奈はすぐに2人を探しに向かった。那由奈は戦闘よりも探知や治癒を得意とする魔術師だ。戦闘で大きな魔術が使用されれば、すぐに位置を突き止められる。


「ああ、それが正解だよ。さすがに俺は2対1じゃ分が悪いんでな」

「なんだ? オレひとり相手なら勝てるって言いたいのか」

「そう聞こえなかったか? こないだみたく終わると思ってんなら、考え直した方がいいぞ」

「そうかよ」


 右手首にはめたシルバーの腕輪が輝きを増す。強化――連装。


「ならやってみ、な!」


 そして、跳ぶ。瞬間移動とも思える速度での跳躍。その勢いのまま、田原の左肩めがけて右足から蹴りを繰り出す。


 連装は、一度に同じ魔術を2回繰り返すだけのテクニックだ。シンプルで強力なのだが、好んで使う魔術師は少ない。その理由の大半は、「単純に無駄が多い」ということにある。


 魔術というのは大抵の場合、全力で発動する方が上手くいく。威力を抑えるために下手に魔力を調整しようとすれば、魔術そのものが失敗に終わってしまうことが多いためだ。だから、連装するときも魔術は思い切り発動する必要がある。だがそうすると、基本的には無駄が出る。


 たとえるなら、ゲームで残り体力が75%の勇者に回復魔術を使い、一度で100%まで戻るのにもう一度回復させてしまう、というようなことが起きる。強化を連装する場合においては、2回目の強化が能力の向上をもたらすことはほとんどない。


 ゲームのパラメータと同じように、現実の身体能力にも最大値というものがある。赤ん坊にどれだけ身体強化を使ったとしても、生身の大人には勝てないのと同じだ。魔術という特別な技術をもってしても、くつがえせないことは当然ある。


 そこで、雪枝はこれまで「身体能力パラメータの最大値」を引き上げるための訓練に全力をそそいできた。強化を一度に複数回使用しても、自身の100%を超えた能力を発揮できるように、ひたすら己の限界を否定し続けた。そうして雪枝は「単純な殴り合いの喧嘩」なら無類の強さを誇る、近接特化型魔術師となった。


 並みの感覚強化では対応できないはずの雪枝の渾身の一撃はしかし、虚空こくうを裂いた。雪枝は自分の右足が、田原の体に触れることなく透き通っていくのを見た。こいつは、実体じゃない?


「言ったろ、考え直せってな!」

 田原の掌打しょうだが来る。だが問題はない。身体強化の強さなら、間違いなく雪枝が勝る。


 しかし次の瞬間、打ち込まれた衝撃で雪枝は後方にふき飛び、窓を突き破って外に放り出された。


 ――なんだと⁉


 わからないことはふたつ。ひとつは雪枝の攻撃がすり抜けたにもかかわらず、田原からの攻撃は通ったこと。もうひとつは、強化の大きさはこちらが上回っていたはずなのに、力比べであっけなく敗れたこと。


 ふたつめに関して言えば、空中で踏ん張ることができなかったからだと考えることもできる。しかしそれにしても、ここまで一方的に負けるというのは考えにくいことだ。


 オフィスのテナントがあったのはビルの3階。空中でなんとか体勢を立て直して、地面に着地する。そのとき、体に違和感を覚えた。何か調子がおかしい。


「手負いじゃなきゃこんなもんだな。お前の強化がいくら強力だろうと、俺には通用しない」

 田原もビルから飛び降りて雪枝の正面に立つ。ここで追撃しに来ないのは、余裕の表れか。


「いや、お前の使った魔術は見当がついた」

「お? やるじゃねえか。それが正しいかはさておきとして、だが」

「あんま調子のらない方がいいぞ、おっさん」

「てめえこそ、学生がそんな格好つけて黒歴史になっても知らねえぞ」


 再び強化を使用し、田原にとの距離を詰めていく。やはり、間違いない。


 先ほど力負けした原因は、雪枝の強化が弱まっていたからだ。自然に効果がなくなるまではまだ時間があったから、田原の魔術による影響と考えて間違いない。すり抜けた理由はわからないままだが、強力な魔術には何かしら制限があるものだ。どこかに抜け道は必ずある。


 正面から突っ込むと見せかけて、雪枝は田原の背後に回った。インパクトの瞬間をずらすことで、すり抜け魔術を使わせるタイミングを外させる作戦だ。おそらく、すり抜けられる時間はそう長くない。


 その読み通り、田原の想定からワンテンポ遅れたことで雪枝のミドルキックが決まる。しかし、不思議と手ごたえはなかった。


「本当に当てにくるとは思わなかった。ま、それでも意味はねえんだが」


 田原のカウンターを、片足で後方へ宙返りするようにしてかわした。続く拳銃からの発砲も、強化された視覚で見切る。やはり田原にダメージが入った様子はない。足が届く直前に、なぜだか強化が弱まってしまっているらしい。


「いや、次で終わりだ」


 魔術というのは、その仕組みやそこで起きた現象がよくわからないからこそ、不思議で厄介なものに見える。しかし逆に言うと、そこを理解してしまえば、魔術ももはや一般的な物理現象と同じということになる。


 魔術という超常現象に慣れること。それができれば後は、ただの殴り合いの喧嘩と同じだ。


 強化を連装で使用し、先ほどと全く同じ動きで突進する。田原の思考は読める。今度は一発でくるか、それともまたフェイントか。だが、その二択はどちらも間違いだ。


 再び強化を連装。手首につけたシルバーの輝きが一層強さを増して、急加速する。今度は予想のワンテンポ先。最短最速で田原の懐に潜り込み、その勢いのまま腕を振るう。


 インパクトの直前、田原の魔術により自身の身体強化の効果が薄れていくのがわかった。重ねがけで強化された知覚は、微細な魔術の働きすら読み取る。ここまでは、想定通り。


 田原の弱体化魔術が発動してから拳がぶつかるまでのコンマ数秒、雪枝はもう一度強化を連装で使用した。針に糸を通すような緻密ちみつな発動タイミングと、その一瞬で効果を表出させる俊足の起動スピード。身体強化の魔術を使用することにおいて、雪枝は他の魔術師を圧倒的に凌駕する。


 強化六連きょうかろくれん減衰げんすいされてもなお、通常の強化を大きく上回る膂力りょりょくを発揮し、田原の体は拠点のビルめがけて吹き飛んだ。

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