第30話 闘争・美鳥編(2)

 スマートフォンを取り出すため、肩にかけていたポーチに手を伸ばそうとして、気づいた。さっきまで持っていたはずのポーチがない。戦っているうちに落としてしまったのか。


 さっきの男から情報を聞き出すつもりだったが、ここは雪枝たちとの合流を優先するべきだろう。ポーチを探しながらもと来た道を戻り、洸を拾ってビルへと向かうことにする。


 そうして男に背を向けた直後、アミは魔力の動きを知覚した。すぐさま振り返り、こちらも循環を始める。


「おいおい、噂以上じゃねえか。つつしんで訂正しよう。俺は松城まつしろ龍河りゅうがだ。アンタは」


 どうやら使ったのは治癒魔術だったようだ。攻撃の意思はないように見えるが、油断はできない。


「……私はアミ。で、何か用?」

「ああ、簡単な話だ。一回の模擬戦でいい。リベンジがしたい」

「そんなのやるわけないでしょ」


 あまりにも時間の無駄だ。もうこの男——松城に用はない。


「つれねえな。ならこのポーチは俺がもらってもいいのか?」

 松城が持っていたのは、アミがなくしたと思っていたウエストポーチだ。どうして。


「なんで貴方がそれを」

「その問いはナンセンスだな。もう一戦付き合ってもらえりゃ返す。それでいいだろ」


 ここで強引に取り返そうとしたところで、松城にまたしぶとく逃げられる可能性がある。なら、一回で終わらせた方がいい。


「わかったわよ。先に有効打1回で決着、先手は私。それでいいなら、さっさと始めましょう」

「ああ、それでいい。その代わり本気を出せよ、アミ」


 たったいま負けたくせに偉そうな態度だ。松城に言われなくても、最初からアミはそうするつもりだった。この勝負は、一瞬で決着をつける。


 深く息を吸って、意識はできるだけクリアに。媒介との接続、そして循環。


 魔術戦闘の定石では、初手は強化を使うべしとされる。確かにそれは間違いないが、場合によっては他の魔術を使った方が良いときもある。たとえば、油断している相手を不意打ちできるとき。あるいは、一手で相手を「詰み」まで持っていけるときだ。


 今回は、その両方が該当する。


 アミが最速で「恵み」を使用すると、松城の足元から大量のつたが生えてくる。それが一気に全身に巻きつき、ものの数秒で松城は身動きがとれなくなった。


 有効打判定を出すにはこれでは足りないため、一発くらいは拳を入れにいく。蔦の出現とほとんど同時に強化を使用し、松城に向かって跳んだ。


「はい、終わり」


 松城はもう目の前にいる。蔦から抜け出したところで、アミの攻撃は避けられない。


 まったく無駄のない動作から繰り出されたアミの右腕は、しかし、松城に届くことはなかった。その直前でぴたりと停止して、そこから先へと動かない。いや、それだけではない。腕だけでなく、全身が動かない。これは、いったい何が起こっている?


「凄まじい実行速度だ。だが、出力が足りなかったな」


 松城を覆っていた蔦が、ぱらぱらと崩れていく。「恵み」の効果が切れたわけではない。何らかの魔術によって、対抗されたのだ。これまでの状況と合わせると、松城の魔術にいくつかの想像がつく。しかしだとすると、今のはまさか。


「概念レベルでの実行……!」

「ま、さすがに知ってるか」


 動けないアミの額にエアガンの銃口を突き付けて、松城は得意げに笑った。


 魔術は基本「実体あるモノ」を対象とする技術だ。小石も人体も、程度の差こそあれ原子の集まったモノである。媒介にも同じく何らかの実体を使い、対象となったモノに魔術の効果が作用する。


 しかし今アミの動きを封じたのは、アミという人間の体を物理的に拘束したからではなかった。


「さすがに気づいているだろうが、これはモノを奪う魔術でな。普通に使えば、何らかの実体を奪うことができる」


 たとえば、アミが持っていたポーチ。ポーチは実際に手で触れられるモノ、つまり実体だ。


 もちろんこのままでも強力な魔術だが、どうやら松城はそれをさらにひとつ上のレベルで使えるらしい。


「元々は弾を当てることが概念対象の条件だったんだが、これに目をつけてきたやつがいてな。礼だと言って改良版をよこしてきたのさ。とんでもない連中だよ」


 モノ対象ではなく概念対象。魔術の一般的な枠をひとつはみ出す、高度な魔術だ。それを実戦で問題なく使える松城の実力は、間違いなく本物だ。こんなことができる魔術師が、ただの荒らしであるはずがない。


「貴方が、ガンナーだったのね」

「ださいあだ名で呼ぶのはやめろ。本当の名前を明かしたのは、お前への賛辞でもある」


 だとすると、拠点ビルでアミの探知に気づいたのは何者だったのか。陽凪の荒らしには、実は優れた魔術師が多かったということか。


「勝負は俺の勝ちとして、このポーチは返そう。それでここからが重要なんだが」

 松城が銃口を下ろすと、今までまったく動かなかった体が途端に自由を取り戻した。

「お前、俺と組まないか?」


 まったく想定外の提案に、アミは困惑する。

「どういうこと」

「俺が雑魚どもの親玉なんてやってるのは、ひとえに優秀な魔術師を探すためだ。お前みたいなやつが来るのを待ってたんだよ」

「……私に何をさせたいの?」


 松城は間違いなく魔術師として優秀だ。けれど、今は「生徒」という立場を確立させたい時期でもある。魔術の知識を得るなら、先生の下にいるのが最も効率的だ。


 だから松城が何を言ってきても、アミは断るつもりだった。しかし、松城の口から出てきた意外な名前に、アミの心はわずかに揺れた。


「ここらで最も魔術に詳しい人間。先生を叩く」

「……それは」


 とても興味深い話だ。そして無謀だ。たとえ多対一でも、あの人は簡単には倒せないだろう。


 だがその分、上手くいった場合のリターンが計り知れない。生徒として地道に教わるのではなく、脅してまとめて情報を引き出す。効率という点では、圧倒的に後者に軍配が上がる。


「勝算はあるの? あの人、本当に化け物クラスの強さよ」

「そこそこ使える前衛がひとりいる。そいつに足止めさせて、その間に俺たちが後ろから刺す。以上だ」

「貴方の魔術、もう少し詳しく教えてくれない? でないと判断できない」

「俺の提案に乗るなら、すべて包み隠さず教えよう。そっちが先だ」


 見た目によらずに慎重なやつだ。おそらく、松城と組むのも悪くない手ではある。だが、最善ではない。


「残念だけど、遠慮させてもらうわ。私、先生の生徒になったの」

「そうかい。なら、仕方ないな」


 そう言いつつも、その声はまったく諦めた風ではなかった。違和感を覚えた時にはもう、アミの体は再び動かなくなっていた。


「お前の研究成果すべてで妥協しよう。魔術書を出せ」

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