第8話 邂逅(7)

 目的地に着いた時、本多ほんだはだいぶ息があがっていた。


「ここが、目的地。陽凪ひなぎ駅、だね」


 陽凪駅は陽凪市で最も主要な駅のひとつだ。複数の路線が通り、新幹線にも乗ることができる。


「どうしてここに?」


 こうの質問に、本多ではなく雪枝ゆきえだが答える。


「それはここが接点せってんだからだ」

「接点?」

渡航とこうは覚えてるな? 2つの世界の移動は、基本的にはどこからでもできる」


 渡航は智上世界と智下世界を移動する魔術。いわゆる現実世界である智下ちかと、魔力に満ちた別世界である智上ちじょうは、この特殊な技能によってのみつながる。


「だが場所によってその難易度に差が生まれる。接点は、世界の上り下りが簡単にできる場所のことだ」


 おそらく智上と智下という名称から、世界を移動することが「上る」とか「下りる」と称されることは察しがついた。


「ちなみに、上っても下りても、場所は変わらないよ。その場で世界だけが、切り替わる感じ」


 はあはあと短く呼吸を挟みながら、本多が付け加えた。魔術で身体能力が強化されたとはいえ、休まず永久に活動できるわけではなさそうだ。本多ほどではないが、洸も体の疲労を感じていた。


「お前がもし本当に一般人だったら、帰るのに苦労したところだが」

 一拍おいてから、雪枝が告げる。

「お前は魔術師だ。渡航を使えば問題なく智下に帰れる」


 理屈はわかるが、そう簡単に上手くいくのだろうか。洸は率直に尋ねる。


「いきなり魔術とか使えるものなんですか」

「確証はないが、できる。細かいことは省くが、渡航は特殊だ。必要なモノは特にない」

 代わりに必要なのは、と雪枝は言った。

「魔力の操作。これさえできればいい」


 洸は紙に魔力を流すことができた。操作というのも、似たようなものだろうか。


「オレがやるのを見てろ。まず」


 雪枝は軽く膝を曲げる。ジャンプしたと思いきや、続く言葉は聴こえないまま、雪枝の姿が消えていた。数秒後、消える直前までいたその空中に雪枝は突然現れた。そしてそのまま何事もなく着地。まるで上手く編集された動画を見ているようだった。


「こうして戻ってくることもできる。わかったな」


 これは雪枝なりのジョークに違いない。


「とてもよくわかりました」


 もちろん、何もわかってなどいない。洸が見ていたのは、雪枝が一瞬にしてその場から消えたことと、ほどなくして一瞬で現れたことだけだ。なんだこれ。本当に魔術は、常識に反している。


「涼風君ならできる!」


 本多も乗っかってきた。この2人、本当に仲が良い。


「真面目なアドバイスもすると、大事なのは想像力だよ。『変化のイメージ』ってよく言われるね。たとえば、粘土を両手で引っ張ってぐにゃっとさせる、とか」

「適性検査はできたんだ。これができなきゃ、逆におかしいくらいだ」


 急な展開ではあったが、「そんな無茶な」とは言わない。洸は自然と笑えた。


「とりあえずやってみます」


 目を瞑って、魔力を操作する。魔力が何なのか、洸はよく知らない。しかし、それは洸の周囲に自然とあった。息を吸って吐けば、そこら中に魔力はある。それは粘土よりもずっと柔らかい何か。とはいえ、実体はないから本当に柔らかいわけではない。触れられないそれを集めてかたちをつくる。


「涼風君、できるよ」

「……やっぱセンスありってわけか」


 ふたりの声が聞こえた。

 洸は確信する。これが、魔術。このままいけば、世界を渡る。


 顔を上げると、雪枝と本多はどこか満足げな表情をしていた。それに洸も安心して、気づけば口を開いていた。


「そういえば、おふたりも智下で普通に暮らしてるんですよね?」


 洸の質問に、雪枝は「そうだな」と当然のようにうなずいた。

「うん。もし下で会ったら、気軽に声かけてくれていいからね」

 と本多も笑った。


「わかりました。じゃあその時は――」


 言いかけた直後、まるで荒波に巻き込まれたみたいに、体がぐわんぐわんと揺れた気がした。世界を移動する影響だろうか。今まで経験したことのない、奇妙で不思議な――いや、これは。


 現実の記憶か夢の記憶かの判断もつかない、あやふやな映像が頭に浮かぶ。それは触れれば消えてしまいそうな、もろくておぼろげなイメージ。それを壊さないよう気を付けながら手繰たぐり寄せようとして、しかしそれでもやはり、それはかすみのようにすり抜けてしまった。


 *


 無意識に閉じていたまぶたを開けると、せわしなく行きかう人々の流れが映った。


 時刻を確認する。陽凪駅に掲げられた時計の短い針は5を指していた。


 どうやら元の世界――智下世界に帰って来たらしい。


 深く息を吐いて、洸は歩き出した。この世界は、向こうに比べればずいぶんと賑やかだった。近くからも遠くからも、様々な音がよく聴こえる。それは多くの人が生きている証だった。


 さっきまでの出来事は、実は全部おかしな幻でした。そうやって、まるでマジックの種明かしをするみたいに、こちらの世界は普段と変わらない日常が繰り返されていた。世界がそう簡単に滅びはしない。そのことに少し、安心する。


 けれど、心持ちの変化はそれだけではなかった。


 ——魔術。非常識な現象を引き起こす、ありえざるわざ


 それがあれば、きっと世界を作り変えることすらできる。

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