水底で光る

第15話 修練(1)

 *1*


「さて皆さん、今日は大事なお知らせがあります」


 月曜日の朝のホームルームで、教壇の上に立つ秋野あきの千枝ちえが改まった調子で告げた。


「今日からこのクラスに転校生がきます。新学期も始まったばかりで私も驚いていますが、温かく迎えてあげましょう」


 転校生を呼びに行ったのだろう、そう言って彼女は一度教室を出た。


 秋野は洸のクラスの担任教師で、授業は現代文を担当している。若い女性教師ということで多方面から人気のある先生だが、洸は特に秋野の授業が気に入っていた。小説も評論も、教師らしからぬ物言いで解説するのだ。それは乱暴な言葉を使うという意味ではなく、たとえば評論文の読解では「なんか小難しい言い方してるけど、これはただ『人間は頭で考えることができる』って言ってるだけだよね」というふうな説明する。


 それから秋野と一緒に教室に入ってきた人物の顔を見て、洸は思わず顔をしかめた。他のクラスメイトたちは、転校生が女子だったことに少しざわついている。その声は主に、転校生の整った容姿について言及していたように聴こえた。


「じゃあまず自己紹介から」

 秋野に言われて、転校生が名乗る。


美鳥みとりあみです。これからよろしくお願いします」


 特に目立ったところもない平凡な自己紹介に、洸は真剣に耳を傾けていた。それから秋野は教室の窓際後方を指さして「席はあそこね」と転校生に指示する。美鳥と名乗った女子生徒の顔が示された方に向けられて、彼女と視線がぶつかった。瞬間、転校生の目がぱっと見開かれたことに洸は気づいた。それで、確信する。


 平静を取り戻した転校生はすらすらと教室の後ろまで歩き、洸の隣の席に座った。これは、どうすればいいのだろう。


 美鳥編という転校生が、一昨日おととい智上で会ったアミであることは間違いない。はじめましてではないのだが、会った場所が場所なだけに、この状況における適切な距離感がわからなかった。


 ホームルームはそれで終わって、1時間目は現代文。秋野がチャイムとともに授業を始めた。


「教科書、見せてもらっていい? まだ持ってないの」


 美鳥があまりに普通に話しかけてくるものだから、洸は反射的に「あ、うん」とうなずくことしかできない。机をくっつけて、その真ん中に教科書を開く。


 魔術師も普段はこっちの智下世界にいるとは聞いていたが、実際に経験してみるとなかなか慣れない。転校生の正体が実は魔術師であるなんてこと、クラスの誰も知りはしないだろう。


 新学期が始まって初めての本格的な授業だからか、進行のペースは落ち着いていた。これなら、多少他のことに集中しても問題はない。洸はノートを1枚ちぎってそこにメッセージを書き、隣の机へ滑らせるようにして差し出す。怪訝けげんそうにしながらも美鳥がそれを取って、返事を書いて戻してくる。内容はこんな具合だ。


「やっぱり、魔術の話はしない方がいいよね」

「当たり前でしょう。いろいろ話したいから、昼休みに上来れる?」


 智上で内緒話をしようということか。しかし洸の返事は決まっていた。


「接点以外から渡航したことなくて。できるかわからないな」

 再び手紙を渡すと、またすぐに返ってきた。

「なら放課後まで余計な干渉はしないようにしましょう。話は上で会う時に」


 これで、ひとまず共通認識はとれた。とりあえずはこんなもので良いだろう。洸はノートの切れ端を丁寧にたたんでポケットにしまった。


 それから何事もなく学校での1日は終わって、あっという間に放課後になった。クラスの女子と話している美鳥を横目に席を立つ。帰る前にやっておくべきことがあるので、教室の前方へ歩みを進める。


 目的の人物は、教壇の上で手帳を確認していた。洸は遠慮がちに声をかける。


「秋野先生、今いいですか」

 まず視線だけが一瞬こちらに向き、それからすぐに彼女は顔を上げた。


「涼風、どうかした?」

「このプリントを」

「ああ、春からひとり暮らし始めたからっていう、あれね。書類なんてどうせ適当に保管されるだけなのに、面倒だよね」


 教師としてその発言はどうなんだ。プリントを手渡しながら、洸はなんとか苦笑いする。


「無遠慮な発言は授業中だけにした方がいいんじゃないですか、千枝先生?」

「おや、石黒は私の授業をそんなふうに思っていたのか」


 近くにいた石黒が会話に入ってきて、悠々と話し出す。


「もちろん褒めてますよ。ただ最近は不祥事ふしょうじを起こしたがる人が多いじゃないですか。先生がクビになるのは、私も困るんです」

「今の、遠回しな告白と受け取っても?」

「早々に問題発言を増やさないでください」

「もちろん冗談だよ」


 教師と生徒が過度に交友をもつことは、一般的には避けるべきことなのだろう。しかし、洸の目から見て石黒と秋野の相性が良いことは確かだった。上手く説明するのは難しいが、端的に言えば他の人とはどこか雰囲気が違う。


「私はまだ仕事があるけど、ふたりとも、気をつけて帰れよ」


 そう言って秋野は教室を後にした。洸もそのまま帰ろうとすると、石黒が「そういえば」と話しかけてくる。


「きみ、美鳥さんとは知り合い?」

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