第2話 邂逅(1)
*1*
きっかけは職員室を訪ねたことのはずだ。確証はないけれど、そう考えるのが一番自然なように思えた。けれど、今になって考えてみても、そこに何か前触れのようなものは一切なかったと言える。
そのとき
短く息を吐き出して、心のリズムを整える。それから扉を軽くノックして、からからと横に滑らせた。一歩だけ中に踏み込んで、部屋全体を見渡してみる。洸の目に映る景色の中に、目的の人物の姿はなかった。それどころか、その部屋は無人だった。
今日が休日で、たまたま教員も不在だった、なんてことではもちろんない。あわただしい時期だから教員が出払っている可能性もあるとはいえ、1人もいないというのは少しおかしい。
——まあ、プリントを提出するのは来週でもいいか。
不思議なこともあるのだなと思いつつ、洸は仕方なく自分の教室へ引き返すことにした。職員室があるのは昇降口と同じ1階だが、
なんだか不気味なくらいに静かな廊下を進む。歩きながら、洸はぼんやりと外の風景に目をやる。グラウンドで運動部が活動している様子はない。そのせいか、4月の昼間にしては辺りが暗いような気がした。
教室に帰った洸を待っていたのは、またしても無人の部屋だった。石黒が先に帰っていることはさておき、他のクラスメイトが誰もいないのは違和感がある。放課後の教室というのは、誰かしら生徒が残って談笑でもしているのが普通だ。
これまた不思議ではあるが、たまにはそんな日もあるかもしれない。気にせず自分の机に向かい、鞄を手に取って教室を出る。それにしても、学校はこんなにも音の響く場所だったか。さっきから自分の立てる足音がよく聴こえる。そういえば、教室の時計が壊れていたから先生に教えた方がいいな、と洸は思った。
けっきょく、職員室から教室、そこから下駄箱に移動するあいだに誰ともすれ違うことはなかった。この物音ひとつしない校内に、洸は廃校という言葉を連想する。当然この学校は違うのだが、それほどまでにしんとしていた。
その静けさで、洸の中の小さな不安がそっと音をたてた。常識的に考えて、学校の中に人はいる。そんな当たり前のことを確認したくなった。取り出した外履きの靴はそのままにして、廊下を引き返す。どうせすぐ見つかる。そう考えながら、洸は校舎の中をあちこち歩いて回った。ところが、教師にも生徒にも会うことはなかった。
それから、洸は校内の至る所をくまなく調べることにした。すべての教室、体育館、それからグラウンドに中庭。まだ時期には早いが、念のためプールも確認した。しかし、結果は変わらずだった。どこに行っても、誰の姿も見当たらない。
そうして学校中を探しまわってから再び中庭に戻ってきて、ため息とともに洸はベンチに腰を下ろした。スマートフォンを取り出して、石黒に電話をかけてみる。いくら待っても繋がらなかった。嫌気がして、空を見上げる。視界の端に、校舎の時計が映った。短針は4に向かっている。これは、おかしい。
学校から人が消えた。そうとしか表現できない事態だった。記憶をたどり、最後に誰かを見たのはいつだったか思い出す。職員室に向かう前は、まだ石黒や他のクラスメイトが教室にいた。それから職員室に向かう途中の廊下で、何人かすれ違った。その後、無人の職員室を確認してから、ひとりとして人が見つからないまま現在に至る。やはりポイントは、職員室を訪ねる前後だ。
当たり前に考えれば、まだ学校の中に生徒や教職員が残っていなければならない。なぜなら放課後が始まってからのたった数分で、学校中の人間が一斉に外へ出るなんて不可能だから。それに生徒はまだしも、教員が即座に全員退勤するなんて状況はありえない。
何かがおかしい。強まる疑念が洸を駆り立てた。校門から学校を出て、通学路を小走りに最寄りの駅へ向かう。予想通りと言うべきか、駅に到着するまでのおよそ10分間で人とすれ違うことはなかった。自動車が通ることも、自転車とすれ違うこともなかった。
それから洸はとにかく学校周辺を歩いて回った。コンビニ、図書館、市役所などなど。近くの住宅街にも行ったみたが、結果は同じだった。どうやら人がいなくなったのは、学校だけではないらしい。ここまでくると、最初に抱いた不確かな疑念は、今となっては本格的な混乱へとかたちを変えていた。
街から人が消えた。いや、もしかするとこの表現は適切ではないのかもしれない、と洸は思う。いま起きている事態をより正確に捉えるならば。
――消えたのは、僕の方か?
あまりにも信じがたい推測だが、おそらくここは、異世界である。
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