第46話 釣りをするクラリッサと小悪魔オリヴィア


 今度はオリヴィアがクラリッサのドレスを見る番だった。


 クラリッサがいくつか試着したうち、オリヴィアは濃いキュートなピンク色のドレスが似合っていると思った。


 それを伝えたところ、クラリッサは、


「――でも私、やっぱり黒にするわ」


 と言って、ダッシュで奥に引っ込んでしまった。


 そう待たされることもなく、黒いドレスを身に纏ったクラリッサが出てきた。


 ……確かに似合っている。


 肩部分が葉っぱのような変わったカットになっていて、妖精のドレスのようでもあったし、気まぐれな彼女に合っている。


 けれどやはりクラリッサには、もっと明るい色のほうが合うような気はした。ピンクやレモンイエローというような。


「クラリッサはキュートだから、もっと明るい色のほうがよくない?」


 オリヴィアがそう言うと、クラリッサが口角をにんまりと上げる。


「そうね、そうかも」


「二着前のドレスのほうが、あなたらしいわ」


「でもね」クラリッサが素早くウインクした。「今度の夜会はダークモードで臨みたいから。返り血が目立たないように、やっぱり私は黒のコレにする」


「…………そう」


 オリヴィアは平坦な呟きを漏らした。


 ……返り血が目立たないように、ですって? あなた、何をする気なのよ。


 たとえ話というか、クラリッサ特有のエッジの効いたジョークだと思うのだけれど、半ば本気のようにも聞こえてしまい、二の句が継げないオリヴィアだった。




   * * *




 夜会はすでにもう数日後に迫っている。


 セントクレア公爵家からビッセル伯爵家までは馬車で四日の道のりだった。


 現地に向かうのは、リアム、オリヴィア、クラリッサ、そして侍女のゲルダ、執事のハーバートの五名。馬車は二台に分け、リアム、オリヴィア、クラリッサの三人が同じ馬車に、ゲルダとハーバートのふたりは別の馬車に、という編制になった。


 ――途中、ビッセル伯爵領の西端にある大きな湖のところで、クラリッサが「釣りをしたい」と言い出して、馬車の進みを止めて少し遊ぶことになった。


 彼女は地元のお爺さんを捕まえてきて、釣り道具一式を借り受けた上に、釣りのコツを要領良く聞き出すことに成功した。そうしてしまいには小柄なお爺さんと仲良く肩を組み、イーデンス帝国に伝わる民謡を教わりながら、高らかに歌い上げ始めたのだった。


 それを見ていたリアムが、


「……あの子、ただ者じゃないな」


 と感心した様子で呟きを漏らしていた。


 オリヴィアはなんとなく恥ずかしくなって、頬を赤らめてしまった。


 ……いえ、可愛らしいとは思うのだけれど、さすがにあれはどうなのかしら? なんか喉を潰しながらアヒルの鳴き声をリアルに真似して、自分でツボにはまって爆笑しているのだけれど……。


 クラリッサは年齢のわりにクールな女の子だと思っていたのだけれど、実家のワイズ伯爵家に押し込まれていたあの彼女は、本当の姿じゃなかったのね。ずっと猫をかぶっていたんだわ。


 解き放たれたクラリッサは野生児そのもので、感情的で、自由気ままだった。


 そしてとびきりキュートだった。


 子供らしくもあった。


 ――十一歳の多感なクラリッサにとって、こうして実家から遠く離れたイーデンス帝国へやって来たことは、とても良いことだったのかもしれない。クラリッサ自身もここへ来てみて、本当の自分というものを初めて知ったのではないだろうか。


『素の自分はこうなのだ』という自覚があるのとないのとでは、大違いだとオリヴィアは思う。周りからの圧に屈して、知らず知らずきつく自分を押し込めていると、かつてのオリヴィアがそうなってしまったように、最悪の形で爆発させてしまう可能性がある。


 けれどクラリッサは強い子だから、本当の自分を見失いさえしなければ、ワイズ伯爵家に戻ったあとも上手く対処できるはずだ。彼女はきっと巧みに自分の主張を押し通すことができる。母親であるワイズ伯爵夫人にだって負けはしないだろう。


 ――湖のヘリに設けられた木の柵に手を載せ、オリヴィアは隣に立つリアムのほうを見上げた。


 お爺さんと釣りをしているクラリッサを眺めていたリアムが、視線に気づいたらしく、こちらに顔を向ける。


「どうかした?」


 彼の紫色の虹彩に湖の青緑色が反射して、複雑な色合いの輝きを放っていた。


「今夜の宿ですが、どちらに泊まるのでしょうか? マーガレットからの手紙には確か、『ビッセル伯爵領で一番上等な宿に泊まっている』と書かれていました。もしかして宿泊先がかぶってしまうかも、と思って」


 貴族が泊まる宿となると、選択肢はそうないだろう。彼女たちと同じところになる可能性は高い。


 夜会で顔を合わせるのも気が重いのに、宿も一緒となるとかなりキツい。


 顔を曇らせるオリヴィアであったが、リアムは悪戯な笑みを浮かべる。


「そういえば言っていなかったね。――僕たちはビッセル伯爵の屋敷に泊めていただけることになった」


「え?」


 思ってもみなかった話に、オリヴィアは目を丸くしてしまった。


「伯爵にね、『婚約者を紹介したいから、夜会に出席してもいいですか』と手紙を出したら、ぜひ当家にお泊りくださいと返事をいただいた。僕の結婚をとても喜んでくれていたよ」


「そうでしたか」


「イーデンス帝国には独特な慣例があって、当主が亡くなったあとは、次期当主はなるべく早く身を固めたほうが良いとされている。――悲しみを、おめでたいことで打ち消して、勢いで乗り越えてしまおうということなのかな。――後退せず、前へ――この国はそうやって成長を続けてきたんだ。現セントクレア公爵である父は健在だが家に居着かないから、兄のマシューが当主のようなものだった。だから周囲は兄が亡くなったあと、僕が一刻も早く身を固めることを望んでいた」


 他家のこととはいえ、セントクレア公爵家がグラつけば、近しい貴族は何かしらの影響を受ける。だからマシューの死は各方面に大きな動揺を与えたのかもしれない。だからリアムが身を固めるとなれば、それは明るいニュースなのだろう。


 オリヴィアからすると、『兄の喪中に年上女が押しかけてきて、弟と結婚すると言い出した』というふうに、ネガティブな受け取り方をされたらどうしようという心配もあったので、今の話を聞けて安心することができた。


 そしてリアムは『喪中に身を固めることは伝統のようなものだから、ビッセル伯爵も喜んでくれた』と言っていたけれど、オリヴィアからするとそれだけではないような気もしていた。


 ビッセル伯爵はマシューとずいぶん懇意にしていたという。だから残されたリアムのことを心配していただろう。


 結婚の話を聞き、リアムが前を向いていると知れて、純粋に嬉しく感じてくれたのではないだろうか。――おそらくリアムからの手紙に、オリヴィアとの結婚を楽しみにしているという感情が滲んでいたのだろうから、それが伝わったのかもしれない。


 オリヴィアはにっこりと笑ってみせてから、リアムの手に自身の手を重ねた。するとリアムが愛おしげにオリヴィアを見おろして、呟きを漏らした。


「……君に触れられると、胸が高鳴る」


「そう?」


「うん」


「じゃあ、こうすると?」


 オリヴィアはそう言って、さっと手を持ち上げて離してしまう。


 ――ふたり、至近距離で見つめ合った。オリヴィアはニコニコしているけれど、どこか小悪魔的でもあるし、リアムは訴えかけるように彼女を見返すしかない。


「ああ、ひどい。君って人は、意地悪だ」


「私ね……可愛いあなたをいじめるのが、癖になりそう」


 オリヴィアは小首を傾げながら、ふたたび彼の手に触れる。


 リアムは可愛く笑うオリヴィアを見つめてから、彼女の指に自身の指をからめてしまった。


「これでもう逃げられない」


「そうかしら?」


「そうだよ。試してみて」


 確かに今後はオリヴィアが手を持ち上げても、繋がったリアムの手も一緒についてきてしまう。


 ふたりは顔を見合わせて笑い合った。


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