第9話 とても優しい


「……少し待っていてくれ」


 リアムがそう言い置いて応接間を出て行き、数分して戻ってきた。


 戻った際にオリヴィアがまだ窓際に佇んでいるのを見て、歩み寄りながら、彼がくすりと笑う。


「君は窓際から動かない主義なの?」


 オリヴィアは少し驚き、『え』と思いながらリアムの顔を見返した。それでなんだか……彼の菫色の瞳は、とても優しい色をしていると思った。


 オリヴィアには厄介な癖があって、一対一で男性と話す際、過剰に緊張してしまう。いわゆる男性恐怖症というやつである。だから偽装結婚の相手が次男にスライドしたと聞かされ、『上手くやれるかしら』と不安だった。


 男性と話す際に緊張するといっても、相手がうんと年上だったり、仕事で絡む場合だったりすればまだ平気なのだが、夫となる人と関わるとなると、もっと密になるから誤魔化しがきかない。部屋の中で、一対一で話す機会も多いだろうし、距離だって近くなる。共に暮らす相手が苦手なタイプだったら、正直、乗り切れる自信がなかった。


 ――リアムは『君を愛することはない』と言っていた。それはそうだろう。当然の感情だし、気の毒にも思う。


 だけど彼なら大丈夫な気がした。彼がオリヴィアに恋焦がれることはないけれど、だからといってひどいことをするような人じゃない。誠実で優しい人だと強く感じる。


 ……とはいえやはり一対一は緊張するので、オリヴィアのほうはすぐに頬は赤くなるし、慌ててしまうのだけれど。


 彼はそれを笑ったりしないから、オリヴィアは感謝していた。――笑ったりしないどころか、オリヴィアが慌てれば慌てるほど、なぜか彼も弱り切った顔になるように感じたくらいだから、きっと底抜けにいい人なのだろう。


 彼の良いところを心の中で挙げていたら、なんだか照れてしまって、はにかんだ笑みを浮かべる。


「あの、私、応接間の窓際が気に入りました。たぶんあと三時間くらいはここにいられると思います」


「なぜ? 何が楽しいんだ?」


「だって、すばらしい眺めです」


 オリヴィアはニコニコしながら、人差し指を窓の外に向け、『ね?』と訴える。


 もしもオリヴィアが落ち着いていたなら、彼がからかっているのが分かったのだろうけれど、彼女は自分の考えを伝えるので精一杯だった。


「私、庭の手入れをしている職人さんと話してみたいです」


「話してどうするの?」


 リアムは『訳が分からない』というように微かに眉根を寄せてそう問うのだが、口角は上がっていて、このやり取りを楽しんでいるのが分かった。


「こだわりを聞くんです」


「聞いても君の役には立たないと思う」


「聞くだけでも楽しいですよ」


「そうかな?」


「そうですよ」


 ふたり、そのまま意味もなく数秒見つめ合って、互いになんだか馬鹿馬鹿しく感じて、同時に笑みを漏らした。


「――さぁ、君の部屋に案内しよう」


 彼がエスコートするように促すので、オリヴィアはびっくりしてしまう。


「え、もう準備ができたのですか?」


 彼は数分程度、応接間から外に出ただけだ。――ついさっきオリヴィアに寝泊まりする部屋の希望を訊いたばかりだから、あらかじめ準備していたわけでもなさそうなのに。


「君の荷物が少なすぎるからね。部屋さえ決めてしまえば、運び込むのはすぐだ。……女性なのに、スーツケースひとつで海を渡ってこんな遠くまで来るって、すごいよね」


「服はこちらだと流行が違うだろうと思って。あまり持って来なかったんです」


「確かに流行は違う」


「近いうちに、町に買いに行こうと思います」


 そう告げると、歩き始めていた彼がピタリと足を止めた。まじまじとこちらを見おろしてくる。ほとんど真顔だった。


「いや、服を作るつもりなら、ここにテーラーを呼ぶが」


「え?」


「ん?」


 冗談ではなく、彼は本気でテーラーを呼ぶつもりなのだと理解したオリヴィアは、ビクリと背筋を伸ばし、両手を持ち上げて、慌てて左右に振ってみせた。それは優雅さの欠片もない、バタついた動作だった。なんというかもう、回し車の中を走るハムスターくらいバタついていた。


「いえいえ、それはちょっと」


「なんで?」


「あー……えーと……なんと言ったものか」


「細かいことは気にしないで、思いついたことを順番に言ってみたら?」


 リアムがそうアドバイスしてきたので、オリヴィアは小さく頷いてみせた。


 並んで歩き始めたふたりであるが、ふたたび話し始めたため、また向かい合うかたちになる。そして互いの距離は先ほどよりも近くなっていた。


 だからオリヴィアは余計に首を後ろに傾けて、長身の彼を見上げないといけなかった。


 なんだか不安定な体勢なもので、バランスを取ろうと無意識に体が動くのか、両手を持ち上げて胸の前できゅっと握り締めてしまう。このポーズは彼と話している時何度かしているのだが、オリヴィア自身はよく分かっていなかった。


 ……なんだか彼の目元に赤みが差しているように感じるのだけれど、窓際だから光線の加減かしら? ふと、現状とは関係のない感想が頭に浮かんだ。


「――あの、私、こう見えてちょっとした小金持ちなんです」


 オリヴィアの突然の告白にびっくりしたらしく、リアムが目を瞠る。


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