第8話 私は二十七歳です
「それにしても君は――ワイズ伯爵令嬢よりだいぶ年下のようなのに、彼女に語学を教えているのか」
リアムにそう言われ、オリヴィアはパチリと瞬きした。
――え、まさか! 『だいぶ年下に見える』って、あの子はまだ十一歳よ! では彼は、私を十歳以下だと思っているの?
いえ、待って……オリヴィアはふとある可能性に気づいた。
彼は兄を亡くしたばかりだし、色々バタバタしていたでしょうから、偽装結婚に心を砕いている場合ではなかったのでは? つまり、まだこちらの身上書に目を通していない可能性がある? ワイズ伯爵家の詳細もよく知らない?
「あのぉ……私は二十七歳なのですが」
「は?」
彼の菫色の瞳が、驚いたようにこちらに据えられる。オリヴィアは居心地の悪さを覚えた。
「二十七歳です」
「十七?」
「いえだから、に、にじゅうなな、です」
何度言わせるのぉ……オリヴィアの頬がどんどん赤くなる。恥ずかしくて仕方ないし、どうしていいか分からなかった。オリヴィアはドレスのスカートをキュッと握り締め、俯いてしまう。
リアムはしばらくのあいだ無言だった。そうしてだいぶ時間が経過してから、少し掠れた声でこう呟きを漏らしたのだった。
「……嘘だ」
えー、なんで。嘘つき呼ばわりはひどいと思う。オリヴィアはさすがにムッとして、少し前のめりになり、彼に訴えかけた。
「本当ですってば! あのですね、バンクス帝国――特に私が生まれ育った東部には、童顔の人が多いんです。遺伝です」
「そうなのか」
リアムはものすごい衝撃を受けていた。――『彼女が二十七歳で、自分よりもだいぶ年上だから嫌だった』とかではなく、『この外見で二十七歳ってありえるのか?』という驚きがとんでもなかったのだ。
こういう言い方もどうかと思うが、当国の二十七歳の女性は、もっとなんていうか……オリヴィアの母親くらいの感じに見えるのだが。この『わりと年上に見える』現象は、イーデンス帝国でも女性に多く、男性はそうでもない。
女性は二十三、四歳までは年相応で、そこから体内時計の速さが十倍くらいになったかのように、一気に年上の貫禄が出てくる人が多い気がする。これは女性が使用している化粧品に何か問題があるのか、それとも男女間の遺伝情報に起因するものなのか、リアムにはよく分からなかった。
とにかく自国で培った価値観から『二十七歳の女性は大体こんな感じ』というイメージがあったので、オリヴィアの存在はとにかく驚きのひとことだった。
ということは、そうか……オリヴィアはクロエと同い年なのか。まぁクロエのほうもオリヴィアのように童顔とは限らないが。
ふたりは年が同じだから、親しくなったのかもしれないな、とリアムは思った。
――目の前にいる女性は、二十七歳の職業婦人で、十九歳の自分よりも多くの人生経験を積んできている。
リアムは改まった気持ちでオリヴィアを見つめた。そしてなんだか説明のつかない衝動めいたものが込み上げてきて、考えを纏めることもなく尋ねていた。
「なぜ……君だけ先に? ワイズ伯爵令嬢はまだ来ないのに……」
オリヴィアは戸惑った様子でこちらを見上げてくる。少し不安そうな影が、そのおもてによぎった。
「それは……だって今日お訪ねするという約束でしたから。せめて私だけでも来ていないと、って……」
「そうか」
ワイズ伯爵令嬢が土壇場になって、『セントクレア公爵家に行くのを遅らせたいわ! 私は数か月後に行くことにするから』と我儘を言い出したのかも。けれど約束してあった日に誰も来ていないのはマズイから、誠意を見せるために、家人代表としてこの家庭教師の女性が寄越された。
彼女は女性の身で供も付けず、たったひとりでやって来た。もしかすると途中までは護衛を雇い、付いてきてもらっていたのかもしれないが、ゴール地点であるここへ着いた時はひとりだった。ずいぶん身軽だし、もっと言えば女性の身でわりと危険なことをしている。
けれど不測の事態が起こっても、自力で対処できるという自信が彼女にはあるのだろう。見た目は可愛らしいけれど、おそらく芯はしっかりしていて、適応能力も高く、語学も堪能。
C・ワイズの手紙に記されていた『オリヴィアは私の言語の家庭教師をしてくれるほど、賢く、立派な女性です。オリヴィアはそちらで絶対に役に立つし、来てくれてよかったと必ず思うはずです』という文は、実は的を射ているのかもしれない。
オリヴィアから自分が学べることは、たくさんあるのかも。
リアムは彼女が当家に滞在するかぎり、丁重にもてなそうと心に誓った。
――オリヴィアがポツリと尋ねる。
「あの……あなたはワイズ伯爵令嬢のことをいやに気にしていますが、今日、彼女に会って、お伝えしたいことでもあったのでしょうか?」
伝えたいこと……リアムは奇妙な胸の痛みを覚えた。たぶん少し動揺もしていて、言うべきではないことを口にしていた。
「――君を愛することはない、と」
「え?」
「兄が纏めた偽装結婚の尻拭いだなんて、気が重いばかりだ。けれど五年は我慢する。契約だから」
こんなことを言われても、無関係なオリヴィアは困惑するばかりだろうに、彼女は小さく頷いてくれた。……お気の毒に、とでも言いたそうな顔つきで。
リアムは瞳を伏せた。――もしも――クロエとの偽装結婚の話がなかったら、目の前のオリヴィアと結ばれるという未来はあったのだろうか。
彼女はオリヴィア・ギル――子爵家の出だと語っていた。つまり貴族令嬢なわけだから、当家に嫁いだとしても、身分的には問題がない。
もしも――ああ、だけど、もしもだって? 馬鹿馬鹿しい! 人生に『もしも』なんてない。自分はクロエ・ワイズと結婚する。彼女が到着したら、ちゃんと割り切って、心を殺して受け入れなければならない。
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