第7話 キュートさを通り越して凶悪


 リアムは微かに眉根を寄せた。


 ――手紙はワイズ伯爵の名代(みょうだい)として、『C・ワイズ』なる人物の手により記されていた。C・ワイズ――クロエ・ワイズ――我が妻になる予定の人物が書いたものらしい。


 実際のところこれは、十一歳のクラリッサ・ワイズが書いたもので、せっかちな彼女はしばしば自らの名前クラリッサを略して『C』と記す癖があるのだが、それをリアムが知るはずもない。


 手紙にはこう書かれていた。




『オリヴィアは私の言語の家庭教師をしてくれるほど、賢く、立派な女性です。オリヴィアはそちらで絶対に役に立つし、来てくれてよかったと必ず思うはずです。私はすぐにそちらに行けませんから見守れませんが、オリヴィアはそちらにずっと滞在しますから、偏見から差別せず、セントクレア公爵家で、ちゃんと家族として丁重に迎えてください。部屋は一番眺めの良い、居心地の良い場所を用意してください。食事はご家族と同じ席に着かせてください。使用人と同じテーブルに着けてはいけません。オリヴィアを下に見て、軽く扱ってはいけません』




 十一歳らしい率直な文面であるが、これを『二十七歳の貴族令嬢が書いたもの』として眺めると、また別の意味になる。


 リアムは『なんて礼儀を知らない女だ』と思った。


 家格で差別する考えは好きではないが、とはいえ、明らかに格下の相手が図々しく対等ぶってくると、やはり苛立ちは覚える。『もう少しわきまえたらどうなのだ、クロエ・ワイズ――お前、もういい歳だろ、分別もないのか』、と。


 相手方は、ここイーデンス帝国の属国であるバンクス帝国の、『伯爵』家――対し、こちらは『公爵』家。


 力関係を考えたら、なぜにこんなに上から目線で指示できるのか、まったくの謎である。


 ……ただ、この手紙からは、オリヴィアに対する純粋な愛情のようなものが感じられた。ワイズ伯爵令嬢は、オリヴィアが軽く扱われるのが、どうしても我慢ならないらしい。




 リアムは手紙から目を上げ、目の前のオリヴィアを見遣った。


 彼女は行儀よく静かに待っていて、なんだか健気に見えた。


 ……なんだろう、彼女を見ていると、子犬の幻影がチラつく……


 リアムは弱り切って尋ねる。


「あー……君が寝泊まりする部屋だが、何か希望はある?」


 オリヴィアはこの意外な問いに、快活に瞳を輝かせた。


「ええと、あの、日当たりの良いお部屋だと嬉しいです」


 彼女の頬は赤らみ、希望を伝えたことを、気恥ずかしく思っている様子。


 リアムは心臓を誰かに乱暴に握りつぶされたような、奇妙な息苦しさに悶えそうになった。……うぅ! と呻きたい気分だったし、思わず額を押さえたくもなっていた。


「……分かった、君に最適な部屋を用意しよう」


「ありがとうございます」


 へへ、と嬉しそうに笑うオリヴィア。――対しリアムは、色々ありすぎて突き抜けてしまったような心地で、一周してゼロの状態に戻り、賢者のような顔つきになっていた。


「食事は基本的に私と同じテーブルに着く――それでいい?」


「あ、はい、すみません。そちらのルールに従います」


 オリヴィアの緑の虹彩が陽光を反射しキラキラ輝いている。きゅっと胸の前で拳を握り、一生懸命喋っているのがリアムにも伝わってきた。


 ――たぶんこの、キュートさを通り越して凶悪極まりないところに到達してしまった、可愛いを煮詰めたような仕草も無意識にしているのだろう。肩は強張って少し上がっているし、声もか細い。もしかすると彼女は人見知りなのかもしれず、出会ったばかりのリアムに対して、緊張しているのかも。


 もうなんなのこの子……とリアムは絶望を覚える。この絶望は彼女に対してというよりも、深みに嵌まりつつある、自分自身に対するものであったのかもしれない。


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