第11話 一緒に楽しめる
オリヴィアは自分の格好を『服も質素だし、公爵家の方から見ればすごく貧乏に見えると思う』と言っていたけれど、そんなことはないのだった。
彼女の身に纏っているドレスは、はやりすたりのないシンプルなデザインで、上品で清潔感がある。襟部分と袖部分だけ白で、地の色は淡い水色。ゴテゴテしていないけれど、ちょっとした飾りやリボン、ボタンが可愛らしい。
彼女は故郷とイーデンス帝国では流行が違うというのも気にしていたようだし、それは確かにそうなのだが、彼女が今着ているドレスなら、こちらでも別に浮くことはないだろう。
リアムとしては、当国の流行最先端のドレスより、オリヴィアの格好のほうがよほど好ましいと感じていたくらいだ。
……いや、待てよ。当国の流行最先端のドレスをオリヴィアが身に纏った場合、それはそれで可愛いのでは? くっきりしたチェック柄とか、大判のドット柄とか、癖が強めのデザインも似合うかもしれない。
身の安全が心配で買い物に付き合うと申し出てみたのだが、なんだか楽しみになってきた。
このところずっと気分が塞いでいたので、こんなふうに何かを待ち遠しく思う日がまた来るなんて、夢にも思っていなかった。
――誰かと視線が合って、つい笑みを零してしまうことも。陽光の穏やかさに心癒されることも。もうないかと思っていたのに……。
「――私、イーデンス帝国に来たらやりたいと思っていたことが、たくさんあって」
部屋は二階なので、ふたり並んで階段を上がりながら、彼女がお喋りを続ける。裾を踏んずけないように、ドレスのスカート前部をちょっと摘まんで、軽やかに足を進めているのだが、リアムとしては彼女が転びやしないかとすごく心配だった。
オリヴィアは喋る時に相手の目をなるべく見る人で、ニコニコしながらこちらに度々顔を向けるので、『足を踏み外さないか』と恐れたリアムは、彼女の背中に手を回していた。
「足元、気をつけて」
自分の口から出た言葉の響きが、とても柔らかいことに気づく。
「ごめんなさい、ありがとう」
オリヴィアの表情はくるくると動く。『ほんとにそうね』という反省と、気恥ずかしさを感じている気配。彼女に照れたように微笑まれると、リアムはどうしていいか分からなくなる。
それで誤魔化すように微笑み返してみせた。
「……それで、君がやりたいことって?」
「観光地巡りです」
オリヴィアがまたニコニコと笑う。頬に朱が差していた。
「行きたいところをね――事前にガイドブックでチェックしておいたんです。気になったら、端を三角に折っておいたの」
「それは賢いね。手間が省ける」
「でもね、結局全部のページを折ってしまって、意味がなかった」
リアムは笑い出してしまった。
「じゃあ、全部行ってみたらいいんじゃないか?」
「私もそう思っていたところなんです。お天気が良い日に、ちょっとずつ回れたらいいなぁ、って」
「付き合うよ」
「え、本当ですか?」
「うん」
「ありがとうございます」
オリヴィアは嬉しそうだった。それでリアムも嬉しくなった。
……あ、でも。ふとあることに気づく。
「ずっとイーデンス帝国に住んでいるのに、観光地をちゃんと巡ったことがないな」
「えー、どうして?」
「地元だと、意外と行かないものなんだよね」
「ああ、分かるかもしれません」
「面倒くさがりな性格というのもあるかもしれないが」
「そうなんですか?」
オリヴィアがふふ、と笑う。リアムもつられて笑みを浮かべた。
「申し訳ないが、ガイド役は上手く務まらないかも。ふたりで迷って、帰ってこられなくなったりしてね」
「悪いことばかりではないですよ」
オリヴィアが気休めめいたことを言うので、リアムは彼女の瞳を覗き込んだ。
――新緑を思わせる優しい色――今この瞬間、彼女の瞳に映っているのは自分だけなのだと気づくと、この時間が永遠に続くといいのにと思った。
「なぜ?」
「ええとね、私がパールバーグ国に移住したばかりの頃」
またパールバーグの話だ。こうして頻繁に話題に出るということは、それだけ彼女にとって重要な場所だったということだろうか。
……そこでどんな暮らしをしていたのだろう? 今自分がこうしているように、当時、彼女の背中に手を回して、転ばないようにと案じた男がいたのだろうか。
彼女が続ける。なんともいえない、微妙な顔つきで。
「あそこは貿易が盛んでしょう? 大きな船がたくさん港に泊まっていて、壮観だった。それで私が『すごいですね! あれを見て!』って言うんですけど、ガイド役は冷めたもので、『ずっと住んでいると、別にすごくない』って言うの。テンションが合わなかった……」
「ガイド役は男性?」
つい尋ねていた。
「え?」
オリヴィアはキョトンとしてから、小首を傾げた。
「いえ、女性です。あー……あれ分かります? パールバーグの神話なんですけれど『トリーチャー』っていう岩の神」
「ああ、分かる」
オスゴリラをもっとマッチョにしたような、ものすごい頑健な神様だったな……リアムは昔見た絵画を思い出しながら頷いてみせた。パールバーグ神話は人気があり、他国でもその内容が知られている。
「私はパールバーグで、『トリーチャー』というあだ名で呼ばれていた女性にお世話になっていたんです。六十代くらいかな、すごく筋肉質で、強い女性だった」
「……女性で『トリーチャー』と呼ばれるって、相当すごそうだね」
港町だから男性もマッチョそうだけれど、それらを差し置いて、女性でその名を冠するって、どれだけ強いんだか。
「ええ、もう、伝説の人でした。懐に入れた相手には優しいので、私はとても楽しく過ごせましたが、でも怒ると怖いの。大きな男の人でも、『トリーチャー』さんには絶対に逆らわなかったわ。私は彼女と住んでいたので、トラブルも回避できて、すごくありがたかった」
……なるほど。リアムは感心してしまった。
オリヴィアはこんなに可愛くて、これまでの人生、大丈夫だったのだろうかと思っていたのだが、守護神に護られていたのなら納得である。
彼女が続ける。
「でも『トリーチャー』さんは基本クールだから、私がはしゃいでも『たいしたことないよ』『びっくりするこっちゃない』『あたしはいつも見ているから、当たり前の光景だよ』って、こんな返しばかり。……だからね? リアムさんが観光地を知り尽くしていなくてよかったわ。だって一緒に『あれ、すごいね!』って驚けるでしょう?」
パールバーグから話が急に元に戻った。
長旅を終えたかのような会話の着地っぷりに、リアムは思わず笑みを零してしまう。
「確かにそうだね。一緒に楽しめると思う」
「『びっくりするこっちゃない』って返されるより、一緒にびっくりして、最後は道に迷ったほうが楽しそう」
会話が盛り上がっていたので、調整するように、リアムは足取りを緩めていた。彼の歩みにオリヴィアも合わせるので、ふたり並んで、お喋りメインでちょびっとずつ前進ということ繰り返していのだ。
二階に上がり廊下を進んで、会話が一段落した頃、ちょうど扉の前に辿り着いた。
「――君の部屋はここだよ」
そう彼女に告げてから、リアムは扉を開け放った。
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