第22話 ああどうしよう……


 リアムの執務室に招き入れられたオリヴィアは、木の温もりに癒されて笑みを浮かべた。


 ――マホガニーの艶のあるデスク、窓の洒落た格子、扉上に施された凝ったレリーフ――それらは洗練されているのに、しっとりと落ち着いていて、目に優しい。


 北と西の壁面には、埋め込み式の書棚が取りつけられている。棚の大半は綺麗に片づいていたが、一部は乱雑に書類が積まれ、押し込まれている状態だった。


 リアムが引き継いでからまだ日が浅いだろうから、手が回っていないのだろう。


 執務室への扉はふたつあり、リアムとオリヴィアは前室を抜けて、南側の扉から中に入った。


 右側には大きな掃き出し窓がある。床まであるタイプのものだ。


 正面には大きなデスク。そしてその隣――左側に、適切な距離を置いて、もうひとつデスクが。こちらは少しだけ角度をつけて設置してある。窓のほうを斜め前に見据える形で。


「――左のほうが君のデスクだ」


 リアムが優しく背中に手を添え、「どうぞ」というように微笑みを浮かべる。


 オリヴィアは隣に立つ長身な彼を見上げ、頬が熱くなるのを感じた。


 リアムがこちらを見おろす時、彼の菫色の瞳に、自分はどんなふうに映っているのだろう……そんなことを考えながら、口を開く。


「すごくしっかりしたデスクですね。もっとこう、折り畳みの簡素なものかと」


「このデスクは君に使ってもらって、幸せなはずだ。使われない家具は可哀想だから」


「重そうだわ。運ぶのは大変だったんじゃあ……」


「侍女のゲルダが頑張った」


「え」


 オリヴィアはびっくりして目を瞠った。


 ――昨日、彼女には色々お世話になった。晩餐後にもまた部屋を訪ねてくれて、設備の使い方を色々教えてくれたし、お風呂の準備もしてくれた。


 洗濯物は蓋つきの藤籠に入れておくように言われたので、なんとなく申し訳なく感じたのだが、そうさせていただくことにした。


 ゲルダは強面の女性で、素っ気ない話し方をするのだが、少しやり取りしてみると、彼女がとても面倒見の良い性格であることがオリヴィアにも分かった。


 ――リアムはたぶん、オリヴィアが微妙な立場の客人であるから、ゲルダのようなベテランの侍女を担当にしてくれたのではないだろうか。


 ゲルダのオリヴィアに対する態度には、敬意が滲んでいた。へりくだる、ということではなく、接し方に誠意があった。


 初対面の時に彼女は『オリヴィア様は奥様ではないので、髪を整えたり服を着せたり肌の手入れをしたりといったお世話はできませんが、できる限りわたしが生活のご面倒を見ます』と言っていたけれど、あれにはたぶん『本当は色々してあげたいけれど、客人として滞在している今、あなたにそれをするのはおかしいことになるので、ごめんなさい』という、お詫びが込められていたのだと思う。


 オリヴィアからすると、ゲルダがオリヴィアの肌の手入れをしないのは当然の話だから、申し訳なく思う必要はないのに。


 ゲルダがこちらによくしてくれるのは、リアムが事前に根回しして、彼女の理解を得るという手間をかけてくれたからだろう。


 そしてベテランのゲルダがオリヴィアに敬意を払えば、ほかの使用人もそれにならう。セントクレア公爵家の使用人は皆プロフェッショナルだから、しっかりと教育が行き届いているだろうけれど、それでも立場の怪しい人間が長期で居座るとなると、反感が高まって、おかしなことになる可能性もゼロではない。


 使用人が偽装結婚の内情をどれだけ把握しているかは分からないが、マシューが亡くなったあとも縁談が白紙にならず、二十七歳の訳あり女性がやって来て、『今度は弟に鞍替えしたから、結婚式はまだだけど、こちらでお世話になります』ということになれば、良い気持ちはしないはずだ。オリヴィアは屋敷の使用人を全員敵に回してもおかしくなかった。


 けれどそうはなっていない。こうして温かいもてなしを受けている。


 こうなるよう細やかに気遣ってくれたリアムには感謝しかなかった、


 ……彼はとても親切だし、すごくちゃんとしている。


 オリヴィアは感動してしまって、無意識のうちに両手を持ち上げ、胸の前でモジモジと組み合わせていた。


 ああどうしよう……頬の熱が引かない。


 リアムはリアムで、美しいアメジストのような瞳をこちらに向け、何も言ってくれない。この時の彼はどこか艶っぽくて、大人びて見えた。


 ――もしも今、彼が気まぐれを起こして、オリヴィアを好きに扱おうと思えば、彼は自由にそうすることができるだろう――オリヴィアはぼんやりとそんなことを考えていた。


 リアムが微かに身じろぎして、口を開きかけた、その時――


 パチン、と窓のほうで音が響き、ふたりはビクリと肩を揺らした。


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