【完結済】悪役令嬢卒業後のゴージャスな偽装結婚

山田露子☆12/10ヴェール漫画3巻発売

第1話 浮気と暴力


 婚約者である男性と、初めて対面することになり。


 オリヴィア・クロエ・ワイズ伯爵令嬢は念入りに準備をした。


 友人のマーガレットからアドバイスをもらい、ドレスを決め。


 メイクの仕方も相談した。


 オリヴィアとマーガレット、ふたりはともに十七歳だった。婚約者に決まったディランはひとつ上の十八歳。


「相手をよく知ることよ」


 マーガレットが熱心にレクチャーする。


「たとえばね、お相手のディランが『派手で勝気な女性が好き』なら、とにかく目立つドレスを着て高慢に振舞えば、彼はあなたに夢中になる。そうではなく『地味で癒し系の女性が好き』なら、派手な格好で会いに行ったら、すぐに嫌われるでしょう」


「そうね」


「友人であるあなたのために、私がディランのことを詳しく調べておいた」


「ありがとう」


「私の言うとおりにすれば、絶対に間違いなしよ」


 マーガレットの指示は細かかったが、オリヴィアはメモを取りながら耳を傾けた。


 なぜなら必死だったから。


 この顔合わせではひとつのミスも許されない。


 オリヴィアは気弱に眉尻を下げた。


「ああ、マーガレット――私、上手くやりきる自信がない。あなたも当日付いてきてくれるといいのに」


 顔合わせは当事者だけで行うとして、両家の親は来ない予定になっていた。気軽な場で互いに親交を深めなさい、ということらしい。


 けれど初対面の男性といきなり一対一で会うことが、オリヴィアにとっては恐怖でしかなかった。


 マーガレットが申し訳なさそうに詫びる。


「……ごめんなさい、私はその日、用があるから」


 マーガレットは確かにそう言ったのだ。


 そう言ったのに。


 当日、彼女は現地にいた――伯爵令息ディランの横に。




   * * *




 顔合わせは美術館で行われた。


 オリヴィアはマーガレットから指示されたとおり、深紅のドレスを身に纏っていた。癖のない髪をコテでくどいほどに巻き、アイシャドウはとても濃くした。これもマーガレットのアドバイスどおり。そして血の滴るような口紅を塗っている。


 お相手のディランはすでに展示場にいた。


 ディランは女性にとても人気があるとのことだ。名門伯爵家の嫡男で、見た目も良い。


 オリヴィアが歩み寄って行くと、彼がこちらを見て目を瞠り、衝撃を受けたらしいのが分かった。


 オリヴィアは声をかけようとして気づいた――彼、ひとりじゃない。


 真横に友人らしき青年を連れている。


 そしてもうひとり、女性の姿が。


「どうして……マーガレット」


 ディランにピタリと寄り添っているのは、先日までオリヴィアがあれこれ相談していたマーガレットだ。


 心細いから当日一緒にいてと頼んだら、「私はその日、用があるから」と彼女は断ったのに。


 オリヴィアは動揺しきっていたが、流れが止まることはない。


 もう始まってしまったのだから。


「ディラン様、そちらの方たちは?」


 オリヴィアが問う声はきつく響いたかもしれない。


 問われたディランが不快そうに顔を顰める。


「友人たちだが、何か?」


「ふたりきりでお会いする場だと伺っていました」


 友人を連れて来るなら、あらかじめそう言っておいてほしかった。


 元々オリヴィアはマーガレットに付いて来てもらうことを希望していて、現状彼女はこの場にいるから、そのとおりになったわけだが、経緯がよろしくない。


 マーガレットが怯えたようにディランに縋る。


 そしてディランの隣にいる青年は気が強いらしく、はっきりと敵意を浮かべてこちらを睨んでいる。


「――なぁディラン、まさかこの女が縁談の相手?」


 侮蔑的な口調。


 当事者であるディランの顔は晴れないが、一応友人の口調を注意する。


「ペアソン、『この女』呼ばわりはよくない」


 たしなめられても、ペアソンの興奮は治まらない。


「だがこの女、ずいぶんな態度じゃないか! ディラン、本当にこの女――クロエ・ワイズと結婚する気か?」


 ちなみにここイーデンス領バンクス帝国では、ミドルネームがある場合はそちらで呼び合うのが慣例となっているため、オリヴィア・クロエ・ワイズなら『クロエ』あるいは『クロエ・ワイズ』と呼ばれる。


「……まぁそういうことになるのだろうか」


「おい冗談だろう」


「冗談ならいいが」


「あの、ディラン様」瞳を潤ませるマーガレット。「私、ここにいると邪魔みたいなので、これで……」


「マーガレット!」大声で引き留める粗暴なペアソン。「君が去ることはない! あの女の嫌味なんか聞く必要はないんだ!」


「ですが……オリヴィアさんはこちらを睨んでいらっしゃるわ。怖いです」


 揉めごとの気配を感じ取ったのか、美術館の職員が近づいて来た。しかしオリヴィアにとって不運だったのは、その職員が死角から現れたことだ。


 不意に左横に人の気配がして、オリヴィアは驚いた。慌てて反対側に避けたところ、ドリンクを盆に載せた給仕が通りかかっていたので、オリヴィアの肩がその盆を強く押す形になった。


 ガシャーン!


 大理石の床にグラスが落ち、割れる音。


 それを見たペアソンが激高する。


「――おい! 気に入らないからって、そこまでするのか!」


 ふと気づいた時にはペアソンが目の前に来て腕を振りかぶっていた。


 ――殴られる!


 オリヴィアは呆気に取られた。


 しかしディランが慌ててペアソンの腕を掴んで止めた。


「女性を殴るのはだめだ、ペアソン」


「しかし」


 オリヴィアは一時棒立ちになってしまったものの、ペアソンを真っ直ぐに見据えた。


「いきなり無抵抗の相手に殴りかかるなんて、どうかしているわ」


「なんだと、この――お前はどうなんだ、無抵抗の給仕を突き飛ばしただろうが!」


「私は――」


「黙れ!」


 突き飛ばされそうになり、オリヴィアはそれをサッと避けた。運動神経は悪くない。しかし近くにあった彫刻に触れそうになってしまい――。


 気づいた時には腕を捻り上げられていた。押さえ込んでいるのは美術館の職員だ。


 職員はディランをよく知っているらしい。


「ご無事ですか? ディラン様」


「ああ、僕は大丈夫だ」


「こちらの女性を放置しておくと器物破損の恐れがあるので、拘束させていただきました。お知り合いの女性でしょうか?」


 ディランは答えるのを躊躇っている。


 するとペアソンが横から叫んだ。


「ここから摘まみ出してくれ! 我々全員に暴力を振るおうとしたんだ! 信じられない! 恐ろしい悪女だ!」


「――やめて! 離して!」


 手首を折られるかと思った。


 オリヴィアは罪人のように引きずられ、美術館から乱暴に放り出された。


 転んで地面に強く膝を打ち、あまりの痛みで立ち上がれない。


 オリヴィアは地べたに縮こまったまま、震える手で口元を覆った。


「……なんてこと」




   * * *




 数カ月後――……。


 オリヴィアは賑やかなパーティ会場で、ディランから婚約破棄を告げられた。


「――クロエ・ワイズ、君との婚約を破棄させてもらう! 君はマーガレットの可愛さに嫉妬して、彼女に悪質な嫌がらせを繰り返していたそうだな。がっかりしたよ」


 その場には可憐なマーガレットもいたし、粗暴なペアソンもいた。


 一方的に責め立てられ、オリヴィアは退散した。


 


   * * *




 オリヴィア・クロエ・ワイズは貴族社会から弾き出され、それから十年間、表舞台から姿を消すことになる。


 祖国を出た彼女は、隣国パールバーグに移り住み、そこで十年間暮らした。庶民として町に溶け込み、仕事をして。その間、恋人も作らず、結婚もせず。


 そんな彼女にこの度おいしい話が舞い込んできた。


 なんでも三十手前のゲイの貴族様が、世間体を気にして偽装結婚することにしたらしい。そのお相手に選ばれたのが、誰あろう、オリヴィアだったというわけだ。


 お飾りの妻を欲している貴族様とやらは、イーデンス帝国の公爵家の御方とのこと。


 オリヴィアの祖国はイーデンス領バンクス帝国であるので、この偽装結婚の話を受けた場合、祖国を統治していた大帝国イーデンスに移り住むことになる。




   * * *




 自邸で茶会を開いたマーガレットは、久しぶりに『彼女』の名前を聞いた。


「ねぇこの話、知っている?」対面の夫人が面白そうに話し始める。「クロエっていたでしょう? ほら、あの、オリヴィア・クロエ・ワイズ! 彼女今度、大帝国イーデンスの公爵家に嫁入りするらしいわよ」


「そんな、まさか!」


 初めマーガレットは冗談だと思った。


「だって彼女、もう二十七よ!」


 貴族令嬢で二十七といえば、もう行き遅れだ。大国の公爵家に嫁げるわけがない。


 マーガレットはクロエが独身でいるべきだと強く思った。互いに同い年だが、自分はすでに結婚している。だからクロエは独身でいるべきだ。百歩譲って結婚するとしても、現在のマーガレットよりも家格が低いところに嫁がなくてはならない。


「……きっと公爵家といっても借金だらけか、相手はヨボヨボのご老人ね」


 平静を装っていたけれど、マーガレットの声は震えていた。


 それから話題は変わり、夫人方と談笑を続け――……。


 客が帰って行き、マーガレットは自室に戻った。


 ひとりになった途端、顔から笑みが消える。それから段々と憤怒の表情に変わり……。


 マーガレットはギリ、と奥歯を噛みしめた。


 衝動的に卓上の花瓶をなぎ倒す。床に落ちて壊れる音が響いた。


「どうしてクロエが公爵家に嫁入りできるのよ……!!」


 マーガレットはテーブルを拳で叩き、肩で息をした。――夕刻、日が陰り始め、部屋の風景は侘しい。

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