第28話 弁護士
その日の夕刻、リアムは弁護士を呼び出した。書斎で人払いをしてから、弁護士にあることを依頼する。
セントクレア公爵家の弁護士を務めるやり手のローマスは、雇い主である年若いリアムにしっかりと敬意を払いつつも、内心では『まいった』と考えていた。
しかし彼はそれをおくびにも出さず、賢くもポーカーフェイスを保った。
「すぐに取りかかります」
そう言ってセントクレア公爵家をあとにし、馬車に揺られ、近場の小さな町に辿り着いた。
そこでワイズ伯爵家側の弁護士であるホリーと会うためだ。
* * *
安酒場には揚げ物の香りが漂っていた。そこここで賑やかな笑い声が起きている。
ジョッキでビールをグイグイ飲んでいるホリーを眺め、ローマスは丸テーブルに肘をついてグイと身を乗り出した。
「困ったことになったぞ、ホリー」
「もう一杯飲ませて」
「この飲んだくれめ。酔っぱらう前に話を聞け」
「なんだってのよ、うるさいわね」
ホリーもローマスも四十手前の同年代で、昔馴染みだ。
ホリーは美人だが、口を閉じていてもおっかないし、口を開いていてもおっかない。笑っていてもおっかないし、怒っていると飢えたサメよりもおっかない。
対しローマスは折り目正しく、魅力的な紳士に見える。しかし彼は基本的に女性にだらしなく、仕事はできるがロクデナシという、どうしようもない男だった。
「――俺の雇い主が、偽装結婚の契約書の不備を見つけろと言ってきた」
ホリーはパチリと瞬きをし、唇からジョッキをそっと離した。……それを静かにテーブルの上に置く。
ふたり真顔で見つめ合う。シュワシュワとビールの泡が弾けては消えていく。
「……まずいわ」
「そうだ、まずい」
ホリーは円卓に肘をつき、手のひらで口元を覆った。彼女の眉間には深い皴が寄っている。
ホリーはしばらくのあいだ視線を巡らせていたのだが、たっぷり時間を置いてから、目の前のローマスに向き直った。
「あー……彼はオリヴィアが気に入らなかったってこと? 八つ年上だから?」
「うーん、会う前までは凪いだ海みたいな状態だったんだが」
「どういう意味よ」
「泰然自若――すべてを受け入れているというか、『ゴタゴタするのも面倒だから五年は我慢する。結婚の予定もないし』と言っていたんだ」
「それがオリヴィアと会って、ことを荒立ててでも、契約を解消したくなった、と……」
解せん、とホリーの顔が語っている。
「えー! えー! 嘘ぉー!」
ホリーが上体を揺らしながら、突然大声を出す。結構なイカれ具合だが、安酒場なので、騒いでも誰も気に留めない。
「えー、じゃない。嘘ぉー、じゃない。その口調、年に合っていないぞ、もう四十だろうお前」
「あー、今の問題発言よ。訴えてやるから。あんた今、全国の四十以上の婦女子を敵に回したからね」
「やかましい、いいからお前は仕事をしろよ。どうするんだ」
「リアム坊ちゃまはオリヴィアちゃんに会ったら、すっかり乗り気になると思ったんだけどなぁ。……なんで? 見た目が好みじゃない?」
「さぁ……でもおかしいんだよなぁ」
ローマスが首を傾げる。
「何が?」
「夕方屋敷を訪ねた時、一瞬だけツーショットを拝むことができた。すっごい遠目にだけど。――ほら、セントクレア公爵邸は、エントランスから二階の回廊の一部が見えるだろう? たぶんあのふたり、俺が訪ねる直前まで一緒に過ごしていたようなんだ。使用人が来客を告げて、リアム坊ちゃまが彼女を伴って二階のどこかの部屋から出てきた」
「……嫌っている相手と一緒に過ごすかね?」
「そうなんだよ。しかもだな――ふたりは階段の手前で別れて、オリヴィア嬢はそのまま自室に向かったようだが、あの時のふたりの醸し出す空気感が、なんていうか……すごく幸せそうに見えたんだよな」
「ていうかさ」
ホリーが唇をへの字に曲げる。
「妻に逃げられた男が、男女間の空気とか訳知り顔で語ってもね。説得力がないわけよ」
「うるせぇ」
「あんたの奥さんあれでしょ? 男作って逃げたんでしょ?」
「黙れ。俺も浮気していたから、ドローだ」
「ださい。結局捨てられているし」
ホリーはくく、と含み笑いをしてから、また顔を顰めた。……だめだ、気分を紛らわそうとローマスをからかってみても、問題は片づかない。
「……私たち、結構マズい立場よ」
「だからさっきからそう言っている!」
「契約書の不備、ですって? そりゃあ見つかるわよ。不備があるんだから」
「弁護士としては、雇い主から要求されたら、嘘は言えない」
「契約がご破算になったら、私たち、これよ」
ホリーは親指を首に当てて横に搔っ切るようなジェスチャーをした。ふたりの顔がますます曇る。
今回の契約には各所の思惑が複雑に絡んでいる。ひとことでは語れないくらいに、複雑に。
今ふたりがもっとも脅威を感じているのは、ワイズ伯爵夫人だ。オリヴィアの継母である彼女の実家は非常に裕福で、力がある。夫人は継子である厄介者のオリヴィアを、ここでどうしても片づけたがっていた。
この縁談がご破算になったら、それを防げなかったふたりの弁護士たちは、サメのエサにされてしまうだろう。
ホリーもローマスもすっかり真顔に戻っていた。
「ホリー、どうしよう?」
「……時間を稼ぎましょう。リアム坊ちゃまがオリヴィアといて幸せそうだったなら、もう少し時間をかければなんとかなるかも。そうね――リアム坊ちゃま対策として、視点をそらすのよ」
「どうやって?」
「まず、『契約書に不備らしきものが見つかった』と彼に言っておいて」
「ええ? だめだろ」
「あの契約書を作成したのは私だから、最終的にリアム坊ちゃまは私――弁護士ホリーとコンタクトを取る必要があるわね? だってリアム坊ちゃまはこの件で裁判までは起こす気はない――おおごとにするとセントクレア公爵家が醜聞まみれになってしまうから」
「そうだな」
「だから私の身柄を押さえられない限り、のらりくらりと時間は稼げる。そうね――私は急ぎの仕事でパールバーグに向かったってことにしましょう。海を渡っているところだから、しばらく捕まらないってことで」
「お前、これから海を渡るのか?」
「まさか。私、激務続きで、やっとお休みもらったところなのよ! この田舎町からしばらく動く気ないから! とにかく私は今この瞬間から、ここには存在しない――いいこと? あんたは時間を稼ぐのよ」
「時間を稼いで、どうにもならなかったら?」
「とにかく神に祈る」
無神論者のホリーは図々しくも、胸の前で両手の指を組み合わせて、祈るポーズを取った。
「オリヴィアちゃんが女の武器を使って――ポロリでもチラリでもなんでもいいですからぁ――どうかどうかリアム坊ちゃまを誘惑できますよ~に! 神様お願い!」
「最低だな、お前」
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