第32話 困らせてしまったようで、すまない
オリヴィアは小部屋に連れて行かれた。
突き当りの壁には大きな鏡が取りつけられている。そのほかは部屋の三方に扉があるという、不思議な作りだった。
大鏡の前には、背もたれのない使い込まれたスツールと、大きめなテーブル。
スツールは着替えの際に腰かけるためのものだろう。靴下など、立ったままだと着脱が難しいものもある。
テーブルは着替え類を置くためのものかもしれない。ハンガーかけも室内にあるのだが、次々に脱ぎ着するとなると、仮置きできる台があると便利だろうから。
下は磨き上げられた木床で、絨毯のたぐいは敷いていなかった。
「――あの扉、どこに通じていると思う?」
ジョルジェットが小部屋の各扉を指差しながら尋ねる。三方の扉のうち、背後の扉は今入ってきたものだから、謎なのは左右の二方。
オリヴィアがジョルジェットの顔を見つめ返すと、彼女が悪戯に口角を上げる。
「正解はね、魔法の国です~」
何がどう、ということもないのだが、なんだか面白い。ジョルジェットがそういうファンタジーなことを言いそうにないから、それも込みで面白いのかも。
オリヴィアの頬が緩む。ふたりは笑顔で見つめ合った。
ジョルジェットが続けた。
「あの奥は大きなウォークインクローゼットになっているの。クローゼットには、あちこちの国から集まってきた、素敵な衣装がぎーっしり」
「わぁ、そうなんですか」
「――ちょっと待ってて、一着目を持ってくるから」
ジョルジェットは足早に右手の扉の奥に消えていった。
――そして待つこと三分――
彼女がハンガーや荷物を抱えて戻ってくる。ジョルジェットはそれらを手早くテーブルに載せ、テキパキと仕分けながらオリヴィアのほうを流し見る。
「まず、ズボンはどうかなぁと思って」
「ズボン、ですか」
オリヴィアはパチリと瞬きした。バンクス帝国、パールバーグ国――どちらの国でも女性がズボンを穿いているのを見たことがなかったので、着用してみようと思ったことが一度もなかった。
「今ね、女性がズボンを穿くのが、はやり始めている。だけどこちらにそのブームがやって来るのは、まだ少し先かな。でもあの青年――ええと、どえらいハンサムな彼――」
「リアムさん?」
「そうそうリアム氏――彼に見せてやりましょう。オモロそうだから」
今、オモロそう、って言った?
「リアムさんに見せるために、私はズボンを穿くのですか?」
「そうよ」
「ん? あの、でも、私は普段着が欲しくて……」
「あなた、一分一秒を惜しむタイプの人?」
「え、いいえ」
「じゃあいいでしょ、私がやりたいことに付き合って」
……すごい。ここまで悪びれずに、『あなたのためじゃなくて、私の娯楽のため』と断言してしまう、潔さ。
オリヴィアは呆気に取られつつも、あっという間に着ていたドレスを脱がされ、ジョルジェットが運んできたズボンを穿かされていた。
* * *
「わぁ、思ったよりも着心地がいいです」
色合いは上品なグレーだった。色が濃すぎないので、軽やかな感じがする。癖のないデザインで、スタイリッシュな感じがした。
ベスト、ズボン。それから白いシャツに、暗色のリボン。
鏡を見てみて、唖然とする。
……なんというかあつらえたようにぴったりというか、うーん……体の線が出すぎのような……。
貴族の男性ってオーダーメイドで体に合ったズボンやベストを作るけれど、ここまでピッタリじゃない気がする。……なんで自分が着るとこうなるのだろう?
女性だと体に曲線があるせいだろうか。胸の膨らみや腰のくびれなどがあるから、服のアウトラインを目で追うと、変な艶めかしさが出てしまう。
ちょっと恥ずかしく感じているオリヴィアのことなんてお構いなしに、ジョルジェットはなぜか得意げ。
「サイズはいくつか購入しておいたんだけど、合うのがあってよかった! いいじゃーん、似合っているわよ」
「そ、そうですかね……?」
オリヴィアの感覚としては、似合っている手応えゼロである。――ただ、くるりと回って背中側を鏡で確認すると、ベストの後ろには飾りのバックルがついていて、この部分はとても素敵だと思った。
「あと、髪を変えようか」
オリヴィアはスツールに腰かけさせられ、ジョルジェットに髪をいじられた。
「綺麗な赤毛ねぇ」
「ありがとうございます」
なんだか照れる。
ジョルジェットは手際が良かった。オリヴィアの髪は後頭部の上のほうでひとつにまとめられ、リボンで括られた。
「でーきた! じゃあ表に出て行ってぇ、リアム氏にこう言って――……」
* * *
ジョルジェットの意図がよく分からないのだが、『言うとおりにしないと永遠に終わらせないから』という圧がすごくて、オリヴィアは逆らうこともできずに、咳払いしながら小部屋から出て行った。
少し遅れてジョルジェットが付いてくる。指示したとおりに台詞を言うか、確認する気らしい。
――赤髪を馬の尻尾のように高い位置で括り、ズボンとベストを身に着けて登場したオリヴィアを見て、リアムが目を瞠った。
オリヴィアは俯き加減に彼に近寄り、ジョルジェットに言われたとおり、半身になって円卓に腰を乗せる。手のひらを卓上に着き、リアムの顔をすぐ近くで覗き込んだ。
いつになく接近したことで、彼の美しいアメジストの虹彩に、オリヴィア自身が映り込んでいることに気づく。
――当然の話だが、彼はこちらを見ている!
オリヴィアはドキドキしながらも、なんとか台詞を口にした。
「リアムくん。君はズボンとスカート、どちらが好みだね?」
「……オリヴィア?」
「選びたまえ。これから私は、君が好きなほうを着ることにする」
リアムは絶句していた。彼の頬が段々と赤くなっていくのを眺め、オリヴィアのほうもますます恥ずかしくなってきた。
かぁ、と頬を上気させ、オリヴィアはアドリブを追加する。
「……リアムくん。何か言ってくれないか」
「すごく可愛い」
「なんだいそれは。ズボンかスカート、どちらか早く選ぶのだ!」
「選べません」
リアムがテーブルに肘を突き、手のひらで顔を覆ってしまう。彼の耳も指先も赤く染まっていた。
オリヴィアは眉尻を下げ、恐々手を伸ばして、彼の頭をポンポンと撫でてやった。
「……よしよし。困らせてしまったようで、すまない」
オリヴィアはそうっとテーブルから立ち上がり、足早に元の小部屋へと引っ込んだ。
……人として、何か大きなものを失った気がしてならなかった。
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