第42話 マーガレットからの手紙②


『イーデンス帝国には何人か仲の良いグループで来ているのよ。あなたを追いかけたわけじゃないの――もともとこちらには来る予定だった。


 本当はバンクス帝国にいるあいだに、あなたと会いたかったのに、会えなくて。それについてもひとこと言いたいわ。私、あれについては不快に感じている。


 それで、そう――ペアソンって分かる? ディラン・コックスと仲が良かった彼よ。そういえばペアソンったら、あなたの頬を叩こうとしたことがあったっけ――彼も一緒に来ている。彼は私に親切だから。


 もちろん夫のディランも来ているわ。そう、私、ディランと結婚したのよ。


 でもあなたには関係ないわね。ディランには嫌われているし。彼、中身だけじゃなくて、あなたの外見も嫌いだと言っていたわ。昔のあなたって意地悪なところは演じていただけだけれど、実は外見のほうも嫌われていたのよ、どうしようもないわね。


 話を戻すわ。ビッセル伯爵が今度大きな夜会を開くの。半月後よ。そこに私たち招待されていて。


 それまではビッセル伯爵領で一番上等な宿に泊まっているの。すごくいい宿よ。夜会までは観光をして過ごすわ。予定は未定だから、あなたと会う約束ができなくて。


 だから確実に会える夜会で顔を合わせましょう。本来ならあなたが出られるような、安いクラスの夜会ではないのよ? でも私が特別に交渉してみるわ――セントクレア公爵家に泊まっている女性だからと言って説明すれば、あなたのぶんもなんとか招待状を手に入れられると思う――後日送るわ。だから来て。話はそこで。


   マーガレット・コックス伯爵夫人より』




「……この人、正気? 『他人に嫌われる意地悪な言い回し百選』みたいな特殊な講座を三年ほど受講した結果、こうまで成り下がったとか?」


 クラリッサは半目になり、ズケズケとものを言う。


 オリヴィアは彼女のほうに寄りかかり、甘えるようにつむじのあたりに頬ずりした。嫌がるかなと思ったら、彼女のほうもさらに身を寄せてきた。……可愛い……


 ふと正面に顔を向けると、リアムが瞳を細めてこちらを眺めていた。


「……うらやましい」


 彼が呟きを漏らす。


 何が?


 よく分からなかったが、彼が手を差し出してきたので、手紙を渡した。そうしたら微妙な顔をされた。


「いや、先に手を握りたかったんだけど……まぁいいや」


 彼も手紙に目を通し始めた。段々と彼の顔が無表情になっていく。


 大好きなオリヴィアのリアムから、貴族の顔に変わったような感じがした。――隙のない彼はしなやかで、知的で、少しだけ危険な香りがする。


 オリヴィアは優しいリアムが大好きだけれど、別の顔をしている彼もやっぱり素敵だと思った。……というかオリヴィアが彼を愛しているから、どんな彼であっても胸が高鳴るのだろうか。


 内容を確認し終えたらしいリアムが視線を少し動かした。伏し目がちに、ほんの一時考えを巡らせているようだった。彼の親指は手紙の表面を気まぐれに撫でている。


 やがて彼が菫色の瞳をこちらに戻した。――その時にはもういつもの優しい彼に戻っていた。


「オリヴィアはどうしたい?」


 私はどうしたいのだろう……オリヴィアはなんだか不思議な気持ちになった。


 これまでの人生を振り返ってみると、バンクス帝国で上位者がオリヴィアに何か言ってくる時は、「あなたはどうしたい?」という意思確認ではなく、「あなたはこうしなさい」という指示形式だった。


 パールバーグに行ってからはそれがまた一変して、今度は「早く決めなさい」になった。オリヴィアはそれが新鮮に感じたし、嬉しくもあった。決定権が初めて自分に移ったからだ。


 そしてイーデンス帝国に来てみたら、婚約者になった彼は、「どうしたい?」と訊いてくれる。彼はオリヴィアの意志を尊重してくれるし、困っていたら手を差し伸べてくれるだろう。とても心強い。


「……私はこのまま無視したい気持ちが強いです」


 オリヴィアは素直な気持ちを伝えた。たぶんリアムがいなくて自分ひとりだったなら、彼女の要求には応えず、スルーすることを選んだだろう。こちらが冷たくあしらった結果、腹を立てた相手に悪口を言いふらされるというリスクはあるが、元々こちらの評判は最悪だ。失うものは何もない。


 けれどイーデンス帝国でマーガレット・コックスを刺激した場合、リアムに迷惑がかかってしまう可能性がある。マーガレットはちょっとしたことでも機嫌を損ねるだろうし、つまらない仕返しをしないと気が済まないかも。


「無視もいいかもね」


 リアムが頷いてくれた。手紙の送付人であるマーガレット・コックスのことなど、心底どうでもよさそうだった。――ただやはりオリヴィアに脅しをかけてきたことに関しては思うところがあるのか、手紙を眺めおろす時の彼は冷ややかな目をしていたけれど。


「でも、やっぱり私……」


 あなたに迷惑はかけられないわ――オリヴィアは落ち着いて見えるように、意識して背筋を伸ばした。……大丈夫。立ち向かえる。


「夜会に出ることにします。……別に彼女が怖いわけじゃないの。マーガレットは私が話を聞かないと、いつまでも諦めないと思う。だから一度会って、ちゃんと話してきます」


「そうか。じゃあ君のドレスを作らないと――勝負服だ」


「そうですね。夜会のドレスは持ってないわ」


 パールバーグでは庶民の暮らしをしていたので、夜会なんてものに出たことはなかった。バンクス帝国で十七歳までに着ていた夜会のドレスは、現ワイズ伯爵夫人の手により、とっくに処分されている。


「ジョルジェットに頼もう。うちがいつも頼んでいるテーラーよりも良い仕事をしそうだ。彼女が君に選んだ普段着のドレスは素晴らしかったからね」


 オリヴィアはジョルジェットの顔を思い浮かべた。たまに悪ふざけがすぎるが、確かに彼女の見立ては確かだった。計ってもいないのに、ピタリとジャストサイズのドレスを出してきた。


 あの時は買いつけてきた既製品を出してくれたが、バックヤードには縫製途中のドレスも置かれていた。既製品にしろオーダーメイドにしろ、オリヴィアに合うものを必ず用意してくれるだろう。


「……私も行っていい?」


 ちょいちょい、と袖を引っ張られる。顔をそちらに向けると、クラリッサが真面目な顔でこちらを見上げていた。


「ビッセル伯爵領に行ってみたいの? 観光する?」


「そうじゃなくて、オリヴィアと一緒に夜会に出たいの」


「だけど楽しい場所ではないから」


「私、出るわ」


 クラリッサは退かなかった。彼女はこうなると頑固だ。ワイズ伯爵家に滞在していたひと月で、オリヴィアはそれを悟っていた。


 クラリッサは多くを語らないが、彼女はオリヴィアのことを護ろうとしているようなふしがある。


 ……そんなふうに早く大人になろうとしなくていいのよ……オリヴィアはそう思う。あなたはまだ十一歳なのだから、そんなことをしなくていい。本来ならば年長者のこちらがあなたを護るべきなのだから。


 だけどそんな正論を言っても、クラリッサはオリヴィアから拒絶されたと感じて、傷つくだけだろう。だからオリヴィアは優しい瞳で可愛い妹を見つめ返した。


「分かったわ。じゃあ一緒に」


「私もイーデンス流のドレスを買う」


「そうね、せっかくだし」


 オリヴィアが頷いてみせると、クラリッサはキラキラと瞳を輝かせた。なんだか魚の干物を見つけた猫ちゃんみたいだった。


 無邪気で可愛いけれど、この子を侮る大人がいたら、きっと痛い目に遭う。なぜならクラリッサは現夫人の血を色濃く引いているからだ。


 クラリッサは複雑で面白い。彼女には二面性がある――現夫人にとても似ている剛の要素と、正反対の柔の要素が同居しているのだ。あの家で育ったのに、クラリッサはそれをどこで身につけたのか謎なのだが、強情さとは別に、発想の突飛さと優しさも併せ持っているのだった。


 クラリッサがリアムのほうに視線を向ける。


「手紙にはビッセル伯爵家は大豪邸で、セントクレア公爵家はそうでもないでしょうと書かれていましたが、本当ですか? 私は先ほどセントクレア公爵家に立ち寄りましたが、こんなに大きくて素敵なお屋敷は初めて見たと仰天しました。あれより上なんて、ありえます?」


 そういえばクラリッサは先にセントクレア公爵家を訪ね、執事のハーバートからオリヴィアたちの外出先を聞き出したと言っていたっけ。


 ――それにしても十一歳らしい率直な台詞。『どちらが豪邸?』なんて、結構失礼なことを言っている気もしなくもないが、リアムは細かいことは気にしないだろう。――案の定、彼はすっかり面白がっていた。彼の微かに上がった口角からそれが分かった。


「ビッセル伯爵の屋敷について、僕の口からつべこべ言うつもりはないよ。伯爵は堅実な人だし、僕は好きだ」


 マーガレットの手紙には、『セントクレア公爵領には行ったことがないわ』とあった。マーガレットはオリヴィアを侮りたいがために、よく知りもしないで、セントクレア公爵家を馬鹿にした。なんの生産性もない行為だ。


 リアムは率直な人だから、もしもビッセル伯爵家が相当な資産家ならば、あっさり『うちより大豪邸だよ』と認めそうだった。けれどリアムは『堅実な人』という言い方をした。本心から伯爵の人間性を好いている口調だったから、彼らしい切り返しだと思った。オリヴィアは心が和むのを感じた。


 クラリッサも彼の答えが気に入ったらしい。


「そうですか。リアムさんがそうおっしゃるなら、ビッセル伯爵は信用できそう。彼が仕切る夜会で、オリヴィアがおかしな目に遭う心配はしなくていいかも」


「そんな心配は不要だよ。兄は生前、ビッセル伯爵領の経営を色々と助けていたようだから、伯爵はこちらに好意的だ。義理堅い人だから。――それに僕がオリヴィアに付いているのに、おかしなことになるわけがない」


「え」


 オリヴィアはびっくりした。


「リアムさんも一緒に行ってくださるんですか?」


 マーガレットとのことは以前の婚約破棄が絡んでいるので、リアムに迷惑はかけられないと思っていた。壊れた縁談とはいえ、彼からすると愉快な話ではないだろうし。


 驚くオリヴィアを眺め、リアムがすっと瞳を細めた。――やれやれ、とでも言いたげな顔で、見ようによっては拗ねているようにも見える。


「……嘘だろう? あれだけ愛していると伝えたのに、まるで伝わっていない?」


 オリヴィアの頬がかぁっと赤くなる。


「つ、伝わっているわ。大丈夫」


「伝わっていて、さっきの台詞が出るかね? 僕が愛する女性をひとりで行かせるとでも?」


「あなたはディラン・コックスと顔を合わせるのが、嫌ではないの?」


「どうして?」リアムの口角が悪戯に上がる。「君とラブラブなところを見せつけて、悔しがらせてやろう。ああ、でも――振られた彼にとっては、ちょっと酷かな」


「違うわ。彼が私を振ったのよ」


 オリヴィアはディランのことを好きではなかったが、別れを切り出したのはあくまでも向こうだ。


「いいや、違う。彼は君に受け入れてもらえなかった。考えようによっては可哀想な気もするが……いや、でも、何も見抜けなかった男だ、自業自得か。とにかく彼の妻がしでかしたことの責任は取ってもらう。遠慮なく、地獄に突き落とすことにするよ」


 え……地獄に突き落とす必要、あります?


「マーガレット・コックス夫人のほうは?」


 クラリッサがキラキラした瞳で尋ねると、リアムがにっこりと笑った。一点の曇りもないような、綺麗な笑みだった。


「当家に喧嘩を売ったことを骨の髄から後悔させるため、徹底的にやるつもりだ」


「楽しそう」


「兄がよく言っていた――やると決めたら、確実に息の根を止めろ、と」


「素敵な台詞」


 クラリッサはうっとりと呟きを漏らしてから、「私もしっかり準備しなくちゃ。脅迫のネタがまだふたつしかない。これじゃ足りないわ」と不穏な台詞を漏らしている。


 聞いていたオリヴィアは冷や汗が出てきた。


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