第34話 僕の実力が分かった?


 買い物に行った日は丸一日仕事をお休みして、楽しく過ごした。町でカフェにも行ったし、帰ってからもサロンで本を読んでのんびりと過ごした。


 リアムも付き合ってくれて、ふたり並んで長椅子に腰かけ、思い思いに本を広げる。


 少したって彼が開いていた本をこちらに見せながら、


「――ねぇ、このヒーロー、脳味噌沸いてないか? カッとなって彼女の頬を叩いたあと、『仲直りしよう、愛してる』だって。もしもこの女性が彼を許したなら、僕はもう本を閉じるよ」


 そんなふうに戯れに話しかけてくるので、オリヴィアは笑ってしまって自分の本を読み進められなかった。


 ――そして翌日はまた執務室へ。まだ皇宮から船の図面(パールバーグ語で書かれた原本)は届かないので、海運事業とは関係のない、溜まっていた書類を片づけることに。


 彼の仕事を手伝うのは楽しかった。


 書類の分類、整理のような細かい仕事は、自分の気質に合っている。


 昔『トリーチャー』さんから言われたことがある――『仕事で一番大事なのは、片づけだよ』と。備品でも書類でも、系統立てて綺麗に片づけられていれば、必要なものを必要な時にすぐ取り出せる。『あれ、どこにあったっけ……?』といちいち探す手間が省けるので、時間短縮になるのだと。


 確かに言われてみれば、オリヴィアの身近にいた仕事のできる人は大抵、身の回りが整理整頓されていた。――ごく稀に例外もいて、雑多な荷物の中に埋もれながらも、何がどこにあるか完璧に記憶しているという、カオスな天才というのもいるにはいるのだが、凡人がそういう特殊な人を見習ってもロクなことにならない。


 オリヴィア自身が経験から片づけの重要さを痛感していたので、リアムの執務室ではやることがたくさんあった。執務室の棚の一部はカオスだったから。


 せっかく手伝うのだから、あとで彼が困らないようにしたい――そういう気持ちが根底にあると、ちょっとした雑務でも楽しめるものだ。


 そして上司(?)に当たるリアムは情緒が安定していて、いつも穏やかだから、一緒にいて心からホッとできた。


 ――パールバーグにいた時は港町ということもあるのか、周囲の人はもっとずっと短気だった。悪い人たちではないから、それはそれでストレートな感情表現だし嫌いではなかったが、空気が刺激的なのは確かだ。


 たとえば彼らは何かの蓋が固くて開けるのに難儀しただけで、「なんだクソ!」「畜生!」と吐き捨てるくらいは日常茶飯事。そういう時は「あ、今は機嫌が悪そう」と察して、こちらもあまり近寄らない。


 けれどリアムはほとんど腹を立てることがない。


 無理をして取り繕っているわけでもなく、素でそうらしいというのは、接していればよく分かった。だって彼は常に自然体だったから。元々、気質が穏やかなのだろう。


 そんな訳でオリヴィアにとっては居心地の良い職場だったが、周囲はずいぶんヤキモキしていたようだ。


 リアムはこのところオーバーワーク気味だったようで、侍女のゲルダが心配をして、執務室にやって来て注意をした。


「リアム様、あなたが忙しくしていると、オリヴィア様だって休憩を取れません。温かいお茶を持ってきましたから、仕事は休んで、ちゃんと一息入れてください」


 リアムはイスの背に上半身を寄りかからせ、


「おやまぁ、お気遣いどうも」


 と皮肉なのか感謝なのかよく分からない台詞を返した。


 オリヴィアはなんだか可笑しくなってクスクス笑い出してしまう。


「ゲルダさん、リアムさんはちゃんと気遣いのできる雇い主ですよ」


「あら、そうですか? まぁ確かに……私どもには親切かもしれませんね」


「……親切かもしれません、だって? なんという不確かな表現だ」


 リアムが腕組みをしてゲルダを見遣る。真顔ではあるが、飄々とした態度なので、怒っているふうでもない。現にゲルダはまるで動じていなかった。


「使用人には親切でもね、執務室にいるお客さんにはどうかなと疑問なんですよ。オリヴィア様のことは宝物のように大切に扱ってもらわないと」


「――宝物かどうかは分かりませんが」


 ゲルダの物言いが大袈裟すぎて面白く、オリヴィアはつい口を挟んでいた。ニコニコと彼女に笑いかける。


「リアムさんはね――先ほど『ちゃんと休憩は取ろう』とおっしゃってくださいました」


「あらまぁ。坊ちゃまがまともなことを言うなんて」


 ゲルダが目を丸くしている。……というか『休憩を取る』発言くらいでこんなにぎょっとしているということは、これまではどんな状態だったのか。


「優秀なオリヴィアが手伝ってくれるから、仕事がやりやすい。気持ちに余裕が出てきた」


「それならよかったです」


 オリヴィアはホッとした。――どうやら猫の手よりは役に立てたようだ。


 ところが嬉しく思うオリヴィアとは対照的に、ゲルダは渋い顔。


「それだと、気持ちに余裕がなければオリヴィアさんを気遣えない、というふうに聞こえます。モテませんよ」


「僕はどうすればいいんだ」


「感謝、感謝。とにかく感謝です。――オリヴィアさん、来てくださってありがとう――神様、深く感謝いたします――これを毎日百回、心の中で繰り返してください」


「……ところで、僕はいつになったらお茶が飲めるの?」


 リアムが呆れたようにそう言うと、ゲルダは肩を竦めてみせてから、茶器を彼のデスクに並べ始めた。


 二客ぶん――オリヴィアのぶんも彼のデスクに。ゲルダはリアムの意向を確認せず、オリヴィアを彼のデスクに招くつもりのようだ。


 リアムはリアムでそれを咎めない。


 一日中同室で仕事をして、休憩はすぐ隣――彼はうんざりしないのかしら。


 今回に限らず、リアムはなぜか「マイレディ」ごっこが気に入っているようで、時折オリヴィアのイスを彼のデスクへと運び、「どうぞマイレディ」と促すようになっていた。ベタベタするでもないのだが、近くで説明が必要な時や、ちょっとだけ雑談する、という時に。


 ――今回もまた彼は席から立ち上がり、オリヴィアのほうにやってきた。


「お茶を僕の席で一緒にいただこう。――よろしいですか? マイレディ」


「ええ、もちろん」


 オリヴィアはなぜか気恥ずかしく感じて(今はゲルダが見ているせいかも)、赤面して俯きながら席から立ち上がった。オリヴィアが横によけると、彼がイスの背に手を置き、軽々と持ち上げる。


 ……慣れたものだわ、とオリヴィアはぼんやりと考えていた。


 オリヴィアのほうは彼の近くに行くと、なんだかソワソワしてしまうというのに。楽しくて、心のどこかがこそばゆくて、顔が赤くなる。


 彼はそんな時、とても優しい目でオリヴィアを眺める。態度のすべてで「この時間が好き」と言われているような、そんな錯覚をオリヴィアがしてしまうくらいに優しく。


 彼は自分のイスの近くにオリヴィアのイスを設置し、「どうぞ」と微笑んでくれる。


「……ありがとうございます」


 オリヴィアはますます照れてしまった。


 お茶の準備をしていたゲルダが、目を丸くして、


「リアム様……さっきモテませんよ、と言ってすみませんでした」


 とリアムに謝った。


 リアムがからかうようにゲルダを見返し、口角を上げる。


「僕の実力が分かった?」


「ええ、ええ、ゲルダが間違っておりました。リアム様はご立派な紳士ですよ」


 ゲルダは感心したようにそう言って、そそくさと執務室から出て行ったのだった。


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