第35話 信頼できる相手


 一週間ほどリアムとふたりで協力して、溜まっていた仕事を片づけていき、せき止められていたものが正常に流れ始めたのが分かった。


 そうして棚に積みっぱなしになっていた書類の仕分けが終わった頃に、皇宮から船の図面の原本が届いた。


 彼のデスクに広げて、並んでそれを確認する。


「どう?」


 尋ねられ、数枚確認してから、オリヴィアは微かに眉根を寄せた。


「これは……おそらくパールバーグの南岸から出されたものですね」


「君がいたのは東岸だっけ?」


「そうです」


 オリヴィアは一旦図面から視線を外し、ぼんやりと考え込んだ。


「何か問題がある?」


 リアムがそう問う声音は、耳を傾ける気持ちがある人のものだった。


 オリヴィアは隣に立つ彼のほうに顔を向けた。――彼の菫色の瞳は澄んでいて、いつもどおり穏やかだ。


 オリヴィアは困ったように彼を見返した。


「……この図面の出所が南岸ということは、イーデンス帝国の皇宮の方たちは、南岸の人たちと一緒に仕事をしたいのでしょうか」


「皇宮からそういった意向は聞いていない。――ただ、ここから先は直接やり取りしてくれという話になり、先方の担当者を紹介されると思う。僕がやり取りする相手はパールバーグの官僚になるだろうけど、その先にはこの図面を出してきた、南岸の人たちがいるんだろうな」


「そうですか……」


「何かあるなら言ってほしい」


 彼に促され、オリヴィアは少し躊躇ってから口を開いた。


「私は東岸のトリーチャーさんにお世話になっていたので、少し考えが偏っているかもしれません」


「構わない。判断はこちらでする」


 リアムに落ち着いた声でそう言ってもらえると、なんだか安心できる。……彼は八歳年下だけれど、時折年上の男性みたいに思えるのだ。


 迷った時に隣を見ると、『大丈夫だよ』と態度で示されて、緊張が解ける。


「南岸の人たちは、悪人とかではないです。でもなんか……真心がないというか。それはトリーチャーさんもよく言っていました。南岸の人が全員そうというより、トップがそうなんです。あのエリアは独裁体制なので、元々は親切だったはずの人も、段々とトップに似ていく感じがします。親切な人は上から押し潰されてつらいから、楽なほうに自分を変えるしかないのかも」


「不誠実だということ?」


「どう言ったらいいんでしょうか……これはたとえ話ですが、親しくしている人が、十メートル先でひどい転び方をしたとしますね? それで転んだ人は、背後にいるこちらの存在には気づいていない。そういう時に、ほかに用があったとしても、心配して咄嗟に駆けつける人なら、信用できると思うんです。でも反対に、『知らんふりしちゃおう、だって転んだ人はこちらに気づいていないから、助けに入るの面倒だし』って考える人がいたら、ちょっと嫌じゃないですか? そのまま見て見ぬフリをしても犯罪ではないですけど、普段親しくしている相手なのに、バレなければ見捨ててしまうんだ……というガッカリ感。南岸の人って、ちょっとそういうドライなところがあるんですよね。それでね――その薄情さを咎められたとしても、『気づかなかっただけ』っていう演技が上手いの。それも何回かは通用するけれど、ずっと繰り返すものだから、最後には人が離れていく」


「なるほど……」


 リアムも考え込んでしまった。そうしてしばらくたってから、彼が続けた。


「君が言いたいこと、すごく分かる。確かに手助けしなくても、犯罪ではない。でもそういう人って、こちらの期待を超えてくることはまずないんだ。だってバレなければ手を抜くし、相手を裏切れるから」


「反面、彼らには保守的な気質もあります。絶対に損をしたくない人たちというか。――でも海に出ると、守りの姿勢ではだめなんです。これは私が十年間パールバーグの港町で暮らして、身に沁みて分かったことです。海運事業で成功する人は、陸地では細やかで丁寧な仕事をするけれど、ひとたび海に出たら勇猛果敢でした。南岸の人は真逆だと思います。彼らは交渉が上手いから、小さな成功は手にできるでしょうけれど、そこ止まりな気がします」


 リアムが以前話してくれたが、今回セントクレア公爵家が海運事業に乗り出したのは、皇帝陛下の強い意向があってのことだ。皇帝陛下はここで他国に遅れを取ることに、危機感を抱いているらしい。


 オリヴィアも同感だった。たぶんここで出遅れると致命傷になる。数年後には『イーデンスも昔は大帝国だったが、今じゃ時代遅れの負け犬』なんて言われるくらいに落ちぶれてしまうかも。


 新しいことに挑戦するのなら、臆病な姿勢で臨んではだめだと思う。安心、安定の勝ちルートなんてないのだから、強い気持ちで前に進まなければならない。


 その大事業のパートナーとして、果たしてパールバーグの南岸の人たちが適しているのだろうか?


 ……とてもそうは思えなかった。


 先ほどリアムが言っていたが、ああいう気質の人は期待を超えてこない。大海に出ようというのに、それはマイナス要素である。


 ――とはいえ彼らは、通り慣れた西に抜ける航路の行き来は得意なのだ。だからその分野では強みを発揮できる。悪いところばかりではない。ちゃんと優れたところもある。


 でもイーデンス帝国の皇帝は、西に抜ける短い航路を安定して行き来することなんて、眼中にないだろう。


「――トリーチャーさんを紹介してくれないか?」


 リアムが真っ直ぐにこちらを見つめ、そう言った。


「東岸の人たちに協力いただきたい」


 オリヴィアはしっかりと頷いてみせた。


「急ぎで連絡を取ります」


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