3.5 Interlude ララキアのティータイムにて

 ララキア・ブリスベル・ダイナクルスはその報告を受けて、上機嫌で湯気の立つ紅茶を口にした。


 促されるままに先の【ジャイダ・シティスプリント・ペア】の報告を行った男二人、ザムとマルニアはだらりとはしていたが入室時からずっと立ちっぱなしだ。

 貴族の前に立ってそんな態度を許されているのだから、相当な厚遇と言えなくもない。


 ララキアは、南国インダラ産の茶葉が演出するスッキリとした飲み口、飲んだ後に鼻腔をくすぐる爽やかな香気、お気に入りの紅茶を愉しんだ後に二人に再び尋ねた。


「あの子がで勝利したのは間違いないのねえ?」


 疑ってはいないが、念のために訊いておく。


「うっす。間違いないっす」


 さすがのザムも雇い主の前では言葉遣いに気をつける。


「実際にい、一緒に飛んでみてマルニアはどうだったかしらあ」

「ヤバいっす、市街地だと軽装じゃなきゃ話にならないっす。軽装でも勝てるか分からないっす」


 さすがのマルニアも雇い主の前では言葉遣いに気をつける。


 おそらくは二人とも言葉遣いについて勘違いしているが、ララキアは三下口調の二人が好きなので放置している。

 真面目な言葉を話す部下は他にいくらでもいて、せっかく好きに作れる自分のチームメンバーなのだから、好きにして構わないはずだ。

 周りからはあまり良い目で見られていないことは知っている。


 それはそれとして直近の議題は、流星の如く注目を集めている話題の少女、リパゼルカだ。


「元々、市街地戦では強い子だったけれど……。あなたたちが手加減したとかあ、相方がとっても優秀だったってだけじゃあないのね」

「いやいやいや、お嬢! ベベルはオレがこんだけの大怪我をして抑え込んだ相手っす! 相方が優秀ってこたあ認めるっすが、断じて手加減など!」

「ザムの言う通りっす! ランドステラの初見殺しな搦手を受けきったリパゼルカがヤバいっす!」


 自分のマイナスになりそうな点が出てきた瞬間、身振りを交えて減点がなかったことをアピールする二人。


 確かにザムは未だに折れた腕を布で吊っているし、マルニアの言うようにランドステラの滅多に見ない外装の初見殺しは恐ろしい。

 初見殺しなんていくらでもレース中に現れるが、それを心構えて最低限の対策したところで必ず通してくるから初見殺しなのだ。なんとか防げと言ったところで、ララキアとて対応できたかどうかは状況による。


「まあねえ、あなたたちが手加減なんて器用なこと、不可能よねえ~」

「その通り!」

「さすがお嬢! よく分かってる」

「馬鹿にしてるう?」

「そんなまさか」

「してないっす」


 ザムとマルニアの実力が不確か、だなんてことは思わない。曲がりなりにも自身のチームメンバーだ。力の程はララキアが一番知っている。

 例年の【ジャイダ・シティスプリント・ペア】なら十分優勝してお釣りが来るレベルの空駆者のはずだ。


 となると、現時点のリパゼルカはララキアの想像していた以上の能力を持っている、あるいはこの半年……レース中に成長した。


「成長した、という方が正しいのかしらねえ。まだまだ伸び代はあると感じていたけれど、想定外の成長を見せてくれるなんて。ランドステラの人に感謝しないとダメかしらあ」


 そうララキアが呟くと、マルニアがうんうんと頷いた。


「確かに、ランドステラのカテラリアがいなければ、あそこまでリパゼルカが追い詰められることはなかったかもしれない……っす。リパゼルカの三重魔法トリプルスペルは、あのクライマックスがなかったら、発現してなかった可能性もあるっすね」

「それよお」


 ララキアは手元の魔導具を操作して、何度目になるかも分からないレースの映像を改めて再生した。


 つい先日行われたばかりの【ジャイダ・シティスプリント・ペア】の速報映像だ。


 <暁天>クラス以上のレースは国内に絞ると開催数がさほど多くない。よって、どのレースも注目度が高く、決着の直後にレースの見所だけをまとめた速報映像が発信される。


 妖精族の繋がりリンクで一日も立たず、あらゆる街に届く映像媒体は誰でも購入可能だ。

 お値段的に庶民が全てを購入するのは難しいが、居酒屋やバーでレース映像を流しているところもあるので安心。そういうところで見て、気に入ったレースがあれば後に販売される無編集版や解説付きの完全版に手を出すのが主流だ。


 領主館にはお抱えの妖精族もいるので、レースが始まってから一時間毎にララキアは速報の発信を確認しに妖精を訪ねていた。

 トッテマの研究所に派遣しているメイドたちの報告でリパゼルカが出場することを知ってから、嫌がるザムとマルニアを行かせたので結果が気になって仕方なかったのだ。


 今後のことを考えて、どの程度使えるのかを確認しておきたかった。

 それゆえに計りとしてチームのメンバーを派遣したのだが。


「何かしらの爪痕は残してくれると思ったけどお……、さすがにこれは驚くわあ」


 レースの最終盤の映像。

 カテラリアの企みに頭のてっぺんから足の爪先までハマり、全身を真銀の氷漬けにされたリパゼルカを見た時、経験豊富なララキアでも思ったのだ。


 「負けちゃったのねえ……」と。


 普通に考えれば、あの状況をひっくり返すのはほとんど不可能だ。意識を失わず、落下もしない時点で拍手を贈りたい。


 それにも関わらず、リパゼルカは凍結に抵抗し、さらには隠し玉の三重魔法で逆転までしてみせた。


 一緒に見ていたチーム全員の空いた口がしばらく塞がらなかった。

 人族が全力の飛翔を持続可能な時間は、観客が想像する以上に短すぎる。どれほど訓練したとしても、持続力という点で外装に生身が勝つことなどありえない。


 外装ですらエネルギー不足に陥ったあのクライマックスで、どうして生身のリパゼルカに余力が残っていると思えるだろうか。


 真に受けるなら、格段に消費の大きい特殊形態エクステンションを二度も使用したとはいえ、リパゼルカはカテラリアの外装と戦えるレベルの莫大な魔法力を秘めているということになる。


 魔法力は訓練で増大可能だが、そこまで魔法力を増やした人族をララキアは聞いたことがなかった。


 試作の魔法力回復食物を持っていくとのことだったが、外装を無用にするほど有用なのか。それともリパゼルカが特異なのか。


「トッテマの研究が身を結んだのなら嬉しいけどお」

「お嬢、あれはレース中に食えない」

「毒っす、あれは」

「……なんとか美味しくしてもらわないとねえ」


 顔色を悪くして止めてくる二人にララキアも頷く。

 お世辞にも、あの従妹の料理スキルは褒められたものではない。素材を一滴単位で調整するのは上手なはずなのに、どうして飲食物に加工すると人知を絶する食味になるのか。全く不明で困った事案だ。


 トッテマの料理下手について嘆息していても改善することはない。

 今は未来のことを考えよう。


「とにかくぅ、あの子ウサギちゃんが実はすっごいウサギさんだったのは理解したわあ。開発があんまりうまく進んでいないみたいだったから心配だったけどお、今のままでも次の星駆けには連れていけそうねえ」


 次の『星駆け』という言葉に、ザムとマルニアは砂より不味い稀有なクッキーの味を思い出して青くしていた顔を引き締めた。


「それは……お嬢」

「ええ、いつか来るとは思っていたけどお、最高に不快な形で来たわよお?」


 その物言いにザムはマルニアと視線を交わす。

 お前が尋ねろよ、いやお前が訊けよ。


 二人が相槌を打つ前にララキアが言った。


「隣領レネルチア……こそこそと使者を王都に送っているのは知っていたけどお、こうなると分かっていたら一匹一匹潰しておくべきだったわあ」


 上機嫌だった時の表情を維持したままだが、内部でぐんぐんと怒りが製造されていくのが見えるようだ。

 視界に含まれるララキアの周囲から圧が放たれ始める。


「信じられるかしらあ? レネルチアのぼんくら、わたくしを娶るとかほざいて仕掛けて来たのよお? 星駆けに負けたらあの油紙野郎と結婚だなんて身の毛がよだつ……ッ!」

「お嬢、お嬢! 落ち着いてくれ!」

「部屋がぶっ壊れる!」


 精神の昂りに応えた魔法力がティーカップを破壊し、調度品の壺を割り、窓ガラスにヒビを入れる。


 ララキアは常に穏やかな表情を絶やさず、激昂する場面を見た人間はいないと評判だが、顔に出ないだけでその内面は負けず嫌いの激情家だ。

 嫌なことは絶対にあの手この手で回避するし、あらゆる見合いを蹴ったがために十代の結婚適齢期を少し過ぎて自ら行き遅れている。


 本来なら父親が相手を見繕うのが普通の貴族だが、娘可愛さに星駆けのチームを作ってしまう父親である。

 自分の手元から離れないことを喜んでいたら、そりゃあ行き遅れて当然だ。


 そこを突かれたのが今回の話になる。


 ダイナー領と、大河を挟んだ向こう側にあるレネルチア領。

 所属する国が違う上に、ダイナー領は麦の産地になるほど肥沃な土地を抱えるのに対し、レネルチアは冬になると腐るほど人が売られる土地だ。


 国体が違うからと言えば納得しやすいかもしれないが、レネルチアは搾取の度合いがダイナーよりもキツい。

 ダイナーでも税金は発生しまくるが、それでも庶民が日々を楽しむくらいは許してくれる。レネルチアでは一部の特権階級を肥やすために庶民が生かされている。


 土地の肥沃度で言えば大河の両側で劇的に変わりはしないはずだが、冬になると人が売られるのはレネルチア庶民の税金対策だ。

 こんな状態で税収が増えるわけないが、レネルチアの領主一族は庶民から搾取の度合いを増すことで対応してきた。かと言っても限界はある。


 これ以上は不可能だとなったらどうするか。


 簡単な話だ。

 あるところから奪えば良い。目の前に溢れんばかりに持っているやつらがいるのだから。


 そうしてダイナーの領主一族は代々レネルチアと星駆けで争ってきたのだ。恨み骨髄に徹する。エルドワの仲など生温い。


 潰せるものなら潰したいが、それをしたら国家間戦争だ。星駆けで決着すれば良いが、武力行使された時の被害を考えるとそう簡単に戦争をふっかけるほどの覚悟はなかった。


 一手間違えば暴発する危険な魔宝石が埋め込まれた地域なのだ。


 しかし最近になって、突然レネルチアがやり方を変えた。

 諍いを忘れて手を取り合っていこうではないかと、和睦の意思を示してきたわけだ。あまりにも怪しい上に今までの被害を考えても全く受ける気にはならない。何しろレネルチアが仕掛けてこなければダイナーは平和なのだから和睦もクソもない。

 どうせ和睦を結んだところで領内の不足している分を要求するだけに違いない。ダイナー側にメリットは何もないことが分かっている。


 ダイナー領としては全く受け入れられない。


 ――ところでダイナー領のあるラスオリア王国にも問題がある、そういう話もしておきたい。


 ラスオリア王国第一王子のファルセト。


 彼は頭がポンで広く知られている。表立って口にはしないが、関係者がファルセトの代わりに自身の頭を抱える噂はよく聞く。

 長らくの平和が産んだ怪物と言っても差し支えない。


 その怪物にレネルチアは耳触りの良い言葉をかけたということだ。和睦のために歩み寄っているのにダイナーが聞く耳を持ってくれない、王子の力でなんとかしてくれませんか、と。

 即決即断で了承した第一王子が骨を折り、ララキアの婚礼を賭けた星駆けが行われることになった。


 第一王子の周囲が骨身を削ってくれたおかげでかろうじて星駆けの結果によってとなったが、下手すればそのまま婚礼が決まっていた。曲がりなりにも王政のため、王家の権力はかなりのものがある。

 ララキアもまさか自分に害があるとは考えていなかったが、話を聞いた瞬間に第一王子への殺意が滾々と湧いて仕方がない。すぐさま王都へ飛んでいって、その足で射殺してやろうか。


「お嬢! 屋敷がぶっ飛ぶ!」

「魔法弾はダメだってお嬢!」


 ふとララキアは無数の魔法弾が周囲に待機状態で浮かんでいることに気が付いた。通常使用する“銀弾”よりも魔法力マシマシだ。

 額に手を当てて、自制すべくララキアは自身に声をかける。


「ハァッ、フゥッ……! おち、おち、落ち着き、落ち着きなさいララキア……ッ。いくら、あのポンポンポン……、…………ポンコツがァッッッ!!!!」


 落ち着こうにも間の抜けた第一王子と油紙の方が綺麗に整えられたレネルチアのゴミカスを思い出すと、怒りが倍々で増していく。


「ザムッ!!! 窓を開けなさい!」

「へ、ヘイッ」

「マルニアッ! 庭に誰もいないわねッ!?」

「ヘイ! いやせん!」

「どきなさいっ」


 ザムとマルニアが場所を空けると、ララキアは大きく開かれた窓の前に立ち、待機させていた魔法弾を伸ばした右手に集める。


「少しは…………」


 怒りが溜められるにつれて魔法弾が銀色に輝いていく。目も眩むほどのまぶしさに、ザムとマルニアは口元をひきつらせた。


「物を考えて生きろカエル頭ァー――ッッッ!!!!!」


 怒りの放出と同時に、魔法力を溜めに溜められた“銀弾”が広大な庭の全域にバラ撒かれる。

 早々に着弾した手前から庭の土が爆散して舞い上がり、土の波となって庭壁に襲いかかった。

 景観のために植えられていた花や樹は魔法弾で消し飛び、鮮やかな芝が見事だったダイナクルス家の庭園は見るも無惨な状態に改装されてしまった。


 魔法弾を撃ちきったララキアが腕を下ろす。


「……ふぅーっ……」


 呼気を整え、そして振り返ったララキアは満面の笑みで二人に告げた。


「二ヶ月後の【ダイナー・レネルチア横断星駆けスターレース】、必ず獲るわよお」

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