3-17
――――――☆
「テティス、少しいいか」
問題児のいないトトガンナにて、テティスがわずかばかりの暇を潰していたところ、主任のアイゲンから声がかかった。
「何でしょう?」
「お主の担当にレースの招待状が来とる。あの娘に渡しておいてくれ」
「招待状、ですか……」
テティスが受け取った封筒は明らかに質が良く、触り心地がさらさらしていた。
表の宛名は『リパゼルカ・ライン様』となっており、裏の封蝋にはダイナー領主の印章が捺されている。
「領主直々に招待するほどの選手ではないと思いますが……まだ」
それに直近で招待選手を要するほどのレースが開催されるか、記憶になかった。
アイゲンは白いヒゲを撫でながら言う。
「領主直々に……というよりは、その娘の後押しが大きかろう。なぜか太い繋がりが出来たんじゃろ?」
「太いかどうかは知りませんが、色々と口を利いていただける程度には?」
「その口利きについても、もしかしたら招待レースに出場させる腹積もりだったのかもしれんな」
「外装も買えない人をそんなに注目しますかね……。印章で封をするような招待状……<黎明>か準じるレベルのレースですよね。リパゼルカさんにはまだ挑戦する資格すらないのに」
「おぬしは注目しとるじゃろ。慧眼を持っとるのはおぬし一人ではないし、慧眼ではなく木のうろが付いてるだけかもしれんのは……すぐ分かる」
テティスは封筒をテーブルに置いた。アイゲンが言わんとする意味は理解できるが、領主がそれを信じることは理解できない。
「つまり、今回のレースでリパゼルカさんが資格を得ると思っているわけですか」
「条件は揃っている。ワシはまあ、あやつが勝ったら面白いぐらいには思っとるよ。ここのお姫さまは違うようじゃがな」
リパゼルカが勝つことを疑ってすらいない。
でなければ、招待状など出せない。招待レースにおける、招待状の枚数は決まっているのだ。
アイゲンはごほんと咳をして、
「どうあれ招待状が来とるのは事実。早々にあやつに渡しておいてくれ」
腰を叩きながら自室へと戻っていった。
テティスは再び手紙を取ると、表と裏を遠目に透かして眺める。
「ううん、偽物じゃなさそう……。まさか本当に<暁天>で……?」
壁にかけられたカレンダー、そして時計を確認する限りでは結果は出ていないはず。まだリパゼルカはゴールに向かって飛んでいるはずだと思った。
しかし、テティスは少しばかり思案して、リパゼルカの家を伺うことにした。
たったの二回で<黎明>への挑戦権を得られるかもしれない少女の素性が気になったのだ。
実家住まいだと聞いているので、親御さんから話を引き出せるかもしれない。
彼女が登録した際、簡単に調べたが、親が有名な空駆者だとかいう情報はなかった。親が空駆者であれば子供に外装を与えないのはありえないので、全く別の職業だと考えている。
リパゼルカは自覚が無いようだが、上位レースに挑まんとする空駆者としては若く、そして稀少なケースだと言える一人だった。
もちろん幼い頃から頭角を現す空駆者も少なくはない。
少なくないが、実家が太くて親の援助が厚かったりすることがほとんどだ。
貧乏人が夢見るビッグドリームの間口は広いものの、ほんの一握りの夢を掴むには莫大な資金が必要になってくる。その資金を稼ぐ過程をすっとばして、幼少期からレベルの高い争いをする実家の太い恵まれた人はやはり成長も著しい。
それでも<暁天><黎明>へと駒を進められるのは、その中でもわずかな一握りなのだ。
リパゼルカのように、ほぼ参加費用と諸経費というあまりにも小さな出費で、ここまで競ることが出来るのは偉業と言えるかもしれなかった。
このように少ない資金でスターダムへと飛び上がるリパゼルカだが、それに反して親御さんのことを聞かないのも変な話だ。
例えリパゼルカの星駆けに反対する立場だとしても、少しぐらいは騒いでもおかしくない戦績だ。すでに下手すれば一般的なパン屋の一世代分は稼いでいるのだから。
おそらくはあまり星駆けについて知識を持たない、あるいは興味の無い夫婦なのではないか。
ゆえにリパゼルカも話に出すことはない……。
「そういえばレースのことしか話したことがないかもしれない」
テティスは改めてリパゼルカがやってきてからの五年近い月日を思い返してみた。
仕事の関係上、星駆けのことを話すのは正しいが、世間話をするにしても、別の話題を出されたことがない気がする。
テティスの心中にもやり、と不機嫌の素が生まれた。途端にリパゼルカのことを何にも知らない気分になったからだ。
個人的にはとても目を掛けて育ててきたつもりの少女なのに、パーソナルなデータを何一つ知らないなんて。
「……リパゼルカさんがいない、今のうちに色々伺ってみましょうかね」
テティスはいそいそと自身の担当する受付を閉めて、早退の許可を取りに向かった。
渋るアイゲンに受付を押し付けて、テティスが足を運んだのは旧街区の外れに近いところだった。
トトガンナは旧街区を中心に、自然な人口増加に伴い、円形に拡張されてきた歴史から新街区との境目が緩い。
具体的にどこからが境目とも名言し難い中間的な区域があり、場所によってそこが厚かったり薄かったりする。
街もどちらかと言えば領都に向かって伸びているので、正しくは楕円型の街になる。
リパゼルカが住所として登録している彼女の実家は、領都とは反対の側、領境の方にあった。
まだ日は高いというのにどこか薄暗さを感じる雰囲気が蔓延する旧街区の深部。人がいる気配はすれど、誰もが日の光を避けているような。
表道を歩いてきたテティスからすると、少しばかりの非日常を感じられる街を行く。
同じトトガンナという街なのに、わずかに立地が変わるだけで異邦の土地に来ているようで懐かしい気分になる。
色々な街に赴いたが、トトガンナは平和な街だとテティスは思った。
妙齢の女性が人気の無い場所を歩いていても、何も問題が起きないところが根拠だ。
世も末な治安最悪の街では昼間の市場にも関わらず、異邦人というだけで囲まれて売り物にされそうになったこともある。
治安の悪い土地では、星駆けなんて文化的な手段で解決できる相手も滅多にいない。
信じられるのは自らの実力のみ。
テティスも旧街区を訪れるにあたって、久々に魔法の腕を披露しなければならないかと気構えだけはしていたが、予想に反して穏やかな道行きで安心している。けして加齢が原因ではないはずだ。
しかし――、とテティスは小首を傾げた。
「こんなところであんな風に子供が育つものかしら」
子供を育てたことはないテティスだが、他所の子供が育つところはもちろん見たことがある。
リパゼルカはどちらかと言えばポジティブな、明るさを忘れさせない性格をしている。
こんな歩いているだけで気分が落ちてくるような場所で、あんな風に元気な子供が育つのか、テティスには疑問であった。
「……親御さんが良い方なのかしら」
その割にはあまりにも話題にされない親御さんだが。
疑問の答えに思いを馳せていると、目的地を通り過ぎてしまいそうになった。
「おっと、ここね」
集合住宅が多い中、狭いスペースを詰めるように建てられた一軒家。旧街区の中では立派な家と言えるだろう、そこがリパゼルカの実家である。
テティスはこほんと咳払いをして、ささくれの目立つ木の扉を叩いた。
「ごめんください」
しばし待ったが、返事も反応もない。
留守だろうか。
テティスは再度、今度は先ほどよりも強く扉を叩いた。
「ごめんくださ……あっ!」
すると、キィ、と蝶番が悲鳴をあげてゆるゆると扉が開いていくではないか。
思わずテティスは扉を抑えて、周囲に視線を走らせる。悪いことはしていないが、念の為だ。
誰にも見られていないことを理解して、ホッと息を吐く。
改めて扉のノブに触れてみると、締まりも何もなく軽く押しただけでゆるゆると動くような状態であった。ぎりぎりで引っかかっていたのが、叩いた衝撃で開いてしまうぐらいゆるゆるだ。
鍵くらい閉めていけとも思うが、もしかしたらすぐ近所に用事があってすぐ誰かが戻ってくるのかもしれない。
「……ちょっと不用心よね」
自分を納得させる言葉を呟いて、テティスは中で待たせてもらおうと扉を開いた。
☆――――――
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