3-18

 視界が白くけぶる。


 リパゼルカが異常に気が付いたのは、吐いた息が凍りつき、目元で邪魔をし始めた時だった。


 通常、空駆者は飛翔時には様々な事象を想定して自己防衛の魔法を独自に組み上げる。

 攻撃魔法対応は元より、物理障壁に重きを置いたり、風防に細かなこだわりを見せる者もいる。

 中でも防寒は人族ならば真っ先に組み込む機能だ。耐寒に優れた体毛を持たない人族が、高度が増すほどに冷たくなる世界を魔法無しで飛ぶのは現状難しい。


 防寒における現代の主流は、保温や断熱ではなく、外気と体温をなじませる手法だ。

 外的要因に関与して活動可能な範囲を確保するのではなく、内的要因を魔法で操る。

 つまり簡単に言うと、「寒くない」と思い込んでなんとかする。


 冬季ならば銀雪で埋もれる神々の山嶺においても、リパゼルカは寒くないと思い込んでいるから寒くない。どんな環境であろうと活動できると思っているから、活動が可能なのだ。


 魔法の出力には精神的な環境や状況が強く影響を与える。確固たる思い込みがあれば、道理が曲がる。


 リパゼルカが察した異常とは、氷点下を大きく下回る寒さの中でも動き回れるリパゼルカの防寒魔法を貫いてきたこと、それ自体。

 間違いなく、誰かから、何らかの攻撃を受けている。


「答えは一人しかいないけど――ここで来るか、カティ」


 一瞬、ちらりと背後に向けた視線の先に、第三区間で大きく置いていかれたケイルの相方、白い霧を纏うカテラリアの壮麗な外装があった。


 マルニアはどこにいった。


 再び視線を後ろに向ける。先程よりも長い時間をかけて確認したところ、マルニアの姿もあったが、カテラリアの後塵を拝していた。

 それどころかじわりじわりとマルニアが遅れている。


 いくらカテラリアが速いとしても、マルニアはそう簡単に遅れを取るような空駆者ではない。

 もはや市街地区間は抜けており、本来ならばマルニアはここから距離を詰めて、ライジングポイントに向けて秘策を披露する予定だったはずだ。にも関わらず、一人遅れている。


 カテラリアよりも、リパゼルカよりも飛ぶのが遅い――


特殊形態エクステンション


 リパゼルカは第二区間のことを思い出しながら呟いた。

 強固な氷の壁を生み出したのがカテラリアであることは間違いなく、あれにはそれなりのコストを払っていたはず。選手に向かっては使えない強力な魔法を、コースに使用した抜け穴だ。


 まだ隠し玉があるというのか。


 街の出口を抜け、急峻の外壁を登り始める。

 元々はジャララ連峰の一つ、それをまるまる利用しているだけあってえげつない角度がついている。


 リパゼルカは山肌を蹴り、掴んで跳ねるようにして直登していく。


 真っ直ぐ上昇するにあたり、魔法力の少ない種族は必ず高度限界にブチ当たる。

 大地から離れるほど、高度を維持するための魔法力が増大していく事実。原理は不明だが、どうあっても到達不可能な高さがある。


 山があるだけマシだが、ほとんど足元に踏み場のなくなる直登は、空駆者であれば誰でも吐き気を覚える光景だった。


 空駆者の常套手段を取るならば、ブースターを下に向けて力技での解決になる。消耗の激しいラストスパートだ。


 リパゼルカは生身の繊細な自由度を活かして翔んでいく。これまでと同様に、飛翔の加速補助に肉体行動を行う。

 わずかに張り出した岩場や、傷付いて割れた崖の隙間を蹴り、掴んで身体を持ち上げる。高度を稼ぐ手段を肉体に依存し、高度の維持に魔法力を使用していた。


 魔法の気配が肌を打つ。


 リパゼルカの真横を冷気の渦が駆け上っていった。


 その軌道で山肌が凍りつき、真っ直ぐな氷雪の道ができあがる。

 普通で言えば垂直な氷の壁が山肌に設置されたところで登攀に寄与することは何もない。


 カテラリアの外装は普通ではない特殊な機能でこれを活かしてきた。


 氷の道に立ち、滑るようにして登ってくる。

 平地を滑走するように、重力を全く無視した動きでリパゼルカに迫ってきている。


 瞬く間に追いついたカテラリアだが、リパゼルカから一定の距離を保ち追翔する。

 リパゼルカが上、カテラリアが下。踏み台にされるのを危惧しているのかもしれない。

 カテラリアは氷上を滑りながら話しかけてきた。


「驚いた。ゼリーがここまで飛ぶなんて思ってなかった」

「それはさっきも聞いた」


 リパゼルカを舐めた語り口に、そっけなく返す。

 しかしカテラリアは再び繰り返した。


「本当に驚いてる。外装を持ってきてないゼリーが一番の敵になるなんて思ってなかった」

「このレースは生身の方が向いてるレイアウトだから」


 それでも外装を装備した相手にあっさりと追い詰められるのだが。

 リパゼルカも全速力を出せていないとはいえ、魂を削るようにして稼いだ市街地区間のリードをこうまで簡単に詰められるとキツい。


「……それはゼリーの思い違い」


 カテラリアは、リパゼルカの感想をそう斬って捨てた。


「単に早いだけの生身なら、ここまで競れない。散々小細工を仕掛けてみたけど、ゼリーは全部跳ね除けている」

「ああ……、あの氷の壁? あれは思い付けば誰でもできるよ」

「気が塞いている時に別の解法を閃くのはすごいこと。それに今も私の攻撃を生身で防いでいる」

「いや、とても寒いけど? 耐寒を貫かれてるよ」


 

 優れた耐寒をも貫通する冷気を振りまくカテラリアは平気な顔をしているが、リパゼルカは吐息を白く曇らせている。それがあっという間に凍って邪魔になるので、カテラリアの方に向かって息をしていた。

 指先も山肌に触れる度、ピリピリと痺れてそのうち爪の先から割れてしまいそうな予感があった。


 カテラリアは小さく首を振った。


「外装の魔法防御を鑑みて考えた魔法なのに。下手に外装を使わない分、本体の方が環境攻撃に強くなるのは想定外。駆動異常にも期待できない」

「……マルニアの外装を凍らせるくらいの冷気を放ってる、ってコト? それはさすがに反則なんじゃ」

「きちんと確認してある。街に被害を出さないのであれば、環境に干渉する魔法は許可。攻撃魔法じゃないから」


 リパゼルカは舌打ちをした。なんでもいいので動かしていないと、口も凍って貼り付いてしまいそうだ。


 マルニアが遅れたのは、外装の異常で確定した。

 防御を抜いて、あるいは防御の甘いところから外装の可動部や魔導線を凍らせる――北国の出身ならではの発想だろうか、リパゼルカは全く聞いたことがなかった。


「魔法にも色々ある」

「ランドステラの人がいないから、初見で防がれるとは思ってもみなかった。でも……、そろそろ――」


 カテラリアは仰々しく腕を伸ばし、道の先を指差した。


「――ゼリーの我慢も限界のはず。氷雪外装:雪華は炎すらも凍らせる。生身で耐え続けることは不可能」


 そう言ってカテラリアの指先から生まれる氷の道。


 加速して抜き去ろうとするカテラリアに、リパゼルカは蹴撃を仕掛けた。

 ついに固く凍りついた靴を大きく振り回し、優雅に飛翔するカテラリアの顔面を潰すつもりで踵を落とす。


「……ぐっ!」


 強い冷気。

 近寄れば近寄るほどに、冷気が滲み入る。

 気が付けば、なんて速度ではない。瞬間、蹴り足が真銀に凍り、息も出来ないほどの圧がリパゼルカの全身を固めていく。


「氷雪外装:雪華――特殊形態エクステンション、最大出力【静止する極光フラワリングクラッシュ】。これでもダメならどうしようかと思った」


 いつの間にかカテラリアの外装は変化していた。


 極光の如く煌めくいくつもの帯が、背中から波打って流れ出ている。

 正面から見た時に変化がなく、まさか形態を変更しているとはリパゼルカの頭に一欠片も浮かばなかった。


 リパゼルカの勢いが完全に止まる。かろうじて浮いているだけの状態。


 氷像の一歩手前まで来たリパゼルカを押しのけると、カテラリアは綺羅をふりまいてライジングポイントを一位で通過した。

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