スターライナー・リパゼルカ

近衛彼方

0-1 トトガンナ・スパイラルレース

 人は空を飛ぶ生き物だ。

 最も早く、鋭く、眩く飛翔するそれを、いつからか人は“星”と呼んだ。






 地面と平行に飛翔していたリパゼルカは突然現れた障害物に息を呑んだ。

 現在一位を独翔している男、ベベルを追って角を曲がった瞬間、両側の建物の上からいくつもの樽が降ってきたのである。


「くうっ……っ!?」


 樽の下敷きになる寸前で跳ねるように両腕を回転させて樽を弾く。何の装備もない生身の腕がじんじんと痛むが、その反動で横へと飛び出して、かろうじて樽の雨をすり抜けた。


「なんだァ!?」

「うわああああああッッッ」


 後続が回避しきれず激突する音を背に、リパゼルカはレンガ造りの壁を蹴り、失った速度を加速していく。


「好き勝手やってくれるわね!」


 ベベルはこのトトガンナの町では最速の男だ。毎年行われる秋の収穫祭のトリ、町の有力者が軒並み参加する【トトガンナ・スパイラルレース】では、ここ四年ほど連覇を果たしている。

 最初の三年はベベルも真っ向勝負で汚い真似などしない、誇りある空駆者スカイランナーだった。だが、四年目には仲間を使った妨害行為を行い、今年はこんな危険な手段に出ている。

 彼の王座に、終止符を打たなければならない。

 トトガンナの子供たちが憧れたベベルは、そんな汚い真似をしなくとも早く、強い。

 リパゼルカが勝ちたいのは、そんな男ではない!


「まだ勝機はある……逃がさないっ!」


 【トトガンナ・スパイラルレース】は町の外周からレースが始まり、渦を描くように町の各所を進み、最終的には中央広場でゴールになる。その特性上、序盤は出力が大きく速度の出るタイプが有利だが、終盤、古くからある町の内部に入ると細く曲がりくねった道が多く、小柄で小回りの利く方が早くなる。


 ベベルはブースターに特化した速度重視の結合外装を使用しており、序盤はブースター任せで速度を捻出し、終盤は要所で使用することで進路変更を無理やり行っている。

 トップを独走していることから分かる通り、めちゃくちゃに早く、リパゼルカには不可能な機動だ。


 基本的に人は魔法力を消費することで、息をするように飛翔する。つまり魔法力の多寡で速度や飛翔時間がおおよそ決まってしまうわけだが、外装はその概念をブチ壊した。

 古式ゆかしい金属鎧めいた外見がメジャーな正式名称『魔導式外部装備ソーサリーアーマー』は、言ってみれば外付けの魔法力。人のように休んでいても自然回復こそしないが、付与された大容量の魔法力が生身では不可能な加速や持久力を与えてくれる。取り扱いは至難を極めるが、手懐けてしまえば力強すぎる道具だ。


 だが、町の中心に近づくに連れ、リパゼルカはその背を視界に捉えつつあった。

 外装は確かに強力だ。


 ――ただ町の中で使用するには強力過ぎる。


 ベベルが道幅をいっぱい使って速度を削り、壁際ギリギリでブースターをふかして直角に曲がっていく。その加速はイカれており、もしもリパゼルカが同じことをしたら全身の関節がおかしなことになるだろう。


 生身だからこそ可能な空中機動。

 空猫のように柔らかい身体と称されるリパゼルカは水平飛翔していた体躯を捻じり、速度を最大限殺さずに身体の向きを変えた。曲がり角に対して直角……道の外側から一気に内側を抉るように、地面に足をつけてリパゼルカは駆けた。


 生身の利点はここにある。

 自らの魔法力のみで飛翔するにあたり、速度や持久力で負けるのは仕方がない。

 それが分かっていてなぜ生身で勝負を挑むのか。


 リパゼルカが貧乏で高価な外装を用意できなかった、そういう点もあるが、一番はこの柔軟性にある。


 結合外装、特にベベルのようなブースターに特化したタイプを使用する場合、推進力のほぼ全てをそれに頼ることになる。その方が早いから、という以前に自身の魔法力は自身を守ることに使わなければ死んでしまう。半端ないパワーに振り回されて四肢が千切れて吹き飛ぶ事故は、年に何回も起きる。


 つまるところ、ベベルはブースターによる高速直進が最大の武器であり、それしかできないことが弱点なのだ。

 対して生身のリパゼルカは出力に調整が利く。これはコースの最短経路を進むのに都合がよかった。


 急加速と急停止を頑健な身体で繰り返し、渦を大回りしながらも最大の加速で無理やり進むベベル。

 ロスを最小限に抑え、必要な速度、十分な加速で最短経路を流れるように駆けるリパゼルカ。


 どちらが早いのか。


 この場面では、ついにベベルの背中を射程距離に捉えたリパゼルカに軍配が上がった。

 後ろを振り向いたベベルと、勝ち気に睨みつけるリパゼルカの視線が交わる。ベベルの目には揺らぎがあった。怖れか、あるいはついに現れた敵に悦んだのか。


 リパゼルカは逸る気持ちを抑え、ベベルを抜き去る算段を思考する。

 ゴールは間近で、あと五つもコーナーを曲がると到着してしまう。などと考えているうちにあと四つ!

 ラストにはちょっとした直線が残っている。加速力に劣るリパゼルカはその時点で少なからずリードしていなければならない。

 残り二つのコーナーで差を詰め、三つ目で並び、最後のコーナーで前に出る! 後はもう全力で飛ぶしかないと思った。


 三年前に初挑戦した時は相手にもされなかった。お尻から数えた方が早い着順。

 二年前、わずかなりとも影を踏んだ。そこで無理をしたせいでゴールまで飛べなかった。

 そして去年。ベベルの玉座に手をかけ……、その手を払いのけられた。あと一手が足りなかった。


「今年こそ勝つ!」


 気合と共にパン屋の角を舐めるように曲がる。身体が削れそうになるほど、壁にスレスレのラインを行く。

 窓や屋根の上から観戦者の声があがった。


「やっべえよリパゼルカ!」

「こりゃあ追いつくぞ!?」


 そのつもりだと、すぐに現れた鋭角のコーナーに飛び込もうとして、リパゼルカは全身のうぶ毛が逆立つ感覚を得た。直感が警鐘を鳴らしたのを察する。

 速度を落とし、奥の壁に着地。ほとんど折り返しになっている曲がり角の先を視界に入れ、それが気のせいではなかったことにリパゼルカはニヤリと口角を上げた。


「ここで潰すぞ、リパゼルカッ!」


 先行していたベベルが、切り返した後、さらに反転してリパゼルカを襲撃する荒業に出ていた。


 リパゼルカがそのまま突っ込んでいれば、その剛腕で叩き落とされていただろう。

 抜きつ抜かれつのデッドヒートを繰り広げるより、先行の有利を捨ててでもリパゼルカを飛翔不可状態リタイアへ追い込む方に勝算を見出した、と言っていることに他ならない。


 純粋なレース勝負で負けを認めたのだ。


 思わずニヤついてしまうが、レースはまだ終わっていない。反転攻勢をかけるベベルに対処できなければ、実際の記録はまたしても敗北になる。


「ベベルっ! あんたにはいい加減負けてもらうわ!」


 魔法戦闘はレースの華だ。

 特に高速機動しながら行われる魔法戦闘は、その派手さも相まってその場面だけを切り取った映像集が販売されるほどの人気がある。

 だが市街レースでそんなことは出来ない。間違いなく町に大きな被害が出るし、見通しの悪いコーナーが連続する場所で、飛翔・攻撃・防御魔法をハイレベルで行うのはもはやまともな人間ではない。


 では、市街レースにおける魔法戦闘はどのように行うのか。


 実を言えば、市街レースでは魔法戦闘は滅多に発生しない。レース参加者が高度な魔法戦闘を行うレベルにないことがまず挙げられ、そして高速移動しながらの戦闘が困難だという、先にも挙げた事案が理由だ。

 参加者のレベルがレースの格にそぐわないほど高く、後続がしばらく追いついてこないことを前提に、発生し得る特殊な事例である。


 全身鎧のような結合外装を含めるとリパゼルカの倍ほども大きいベベルが飛翔ルートに立ち塞がり。

 一般的な少女らしい華奢な体躯を空猫のように弛ませて、リパゼルカはすり抜けてゴールに向かう隙を伺う。

 必然、二人は激しい機動を抑え、互いの動向を睨み合うことになった。


 市街レースの魔法戦闘は――足を止めてのガチンコ地上戦だ。


 ベベルの結合外装は両手両足と胴体、そして頭部の六点から成り、パッと見ると旧時代の鉄鎧のようだ。実態は現代魔導技術の粋を集めたハイテクマジックアイテムで、飛翔時はそれぞれの部位を結合することで強い推進力を得られ、分割時はそれぞれの部位でブースターを使用することで多少の機動力を得られる。

 もちろん魔法戦闘にもこの手の外装は活躍する。ブースターを噴かせて殴れば、常人なら一発でこの世からノックアウトだ。


 リパゼルカが視線をベベルから外した瞬間、ベベルは両足のブースターを起動。瞬きの間にリパゼルカの眼前に、ベベルの巨体が現れた。


「うわっ!?」

「大人しく寝ておけ!」


 ベベルの振り上げた腕がブースターで加速、風よりも早く、岩よりも固い拳が着弾。わずかに首を逸らしたリパゼルカの側頭部を削り、すぐ背後のレンガ壁に大きく放射線状の破壊痕を残した。

 リパゼルカはぬるりと身体を滑らせ、ベベルの追撃から宙に逃れる。壁に突き刺さった腕を支えに回転し、その勢いでベベルの顔面に変則的な回し蹴りを放つ。


 体格差は歴然、蹴り足に大した魔力も込められていない。ベベルは頭部外装で蹴りを甘んじて受け、さらなる追撃の攻撃姿勢を取り、


「――っがあッ!?」


 リパゼルカの爪先で弾けた強烈な閃光に目を灼かれた。


 子供でも使える【灯り】の魔法だ。持続時間が極端に短くなる代わりに、目の機能を破壊するほど眩しくした。

 いくら頭部が兜のような外装で覆われているとはいえ、ベベルの外装は視覚を確保するために顔面上部はほぼオープンだ。そのオープンな箇所も透明なシールドで物理防御は完璧だが、光は無条件で通す。


 レースにおける魔法戦闘と言えば、相手の飛翔能力を物理的に奪う……撃墜がもっとも手っ取り早く、ゆえに定石であった。通常、空中で発生する魔法戦闘においては相手が遠すぎて発生し得ない手段である目潰しは、ベベルの意表を突いた。


 昨年までにベベルは様々な手を用いて勝利をもぎ取ってきた。今年、リパゼルカがベベルを追い詰めた時、どんな手に出るかを考えた中に魔法戦闘での奇襲はもちろん存在した。


 単純に正面からぶつかり合った場合、リパゼルカに勝ち目はない。ならば搦め手でいくしかない、と用意した一手がこの【灯り】である。

 いくらベベルと言えど、結合外装を扱いながら攻撃魔法を使用することは難しい。ゴール前でベベルに追いかけさせる形を作りたかった。

 飛翔中に身体のどこからでも【灯り】をノータイムで使用する訓練がここで生きた。


 目を押さえて苦しむベベルの肩を踏み台に、リパゼルカは飛翔した。


「……ッ、ま、待てェッ!」

「古今東西、それで待つアホはいないっ!」


 リパゼルカが最後のコーナーを曲がった直後、その足先を掠めるようにして、地面を削りながら突っ込んできたベベルが曲がり切れずレンガ壁に衝突した。

 絶対に視覚は快復していない。おそらくは蹴られた肩の感覚と、地面に触れることで無理やりに直進してきたに違いない。

 これでリパゼルカを引っ掛けられたらばまだワンチャンス残ったが……ベベルが起き上がる気配は見えない。


 リパゼルカはほっと息を吐いて、悠々とゴールテープを切った。


 挑戦を始めて四年目にして、ついにリパゼルカはレースに勝利した。それは同時にトトガンナに新たな英雄が産まれたことを示す。

 収穫祭は最高潮に盛り上がり、町のそこかしこで若き英雄の誕生を祝った。


 リパゼルカ・ライン、弱冠十五歳。


 トトガンナの最年少優勝記録を塗り変えた少女はしばらくの間、変装無しではまともに町を歩けないほどの有名人になった。

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