2-5
領都ダイナクルス。
衛星都市を含めて百万人近い人口を誇る大規模都市圏だ。
ダイナクルス単体でも五十万人近い人口を抱えており、トトガンナとは比べるまでもなく構造が入り組んでおり、迷いやすい。
前回は迷わぬようにスタート地点にほど近い宿を取り、あまり出歩かずにいた。
しかし今回はほとんど観光に近い。ダイナクルスに到着した旨を青い鳥でララキアに伝え、気の向くままに街を道なりに歩いていたら、どこにいるのか全く分からなくなってしまった。
「うーん……、見た目的には旧街区だと思うけど、旧街区のどこなんだろう……」
かつての名残、狂暴な害獣から身を守るための外壁が、ダイナクルスには二つある。人口の増加に伴い、拡張されたのだ。都市機能も新街区へと移され、旧街区は良く言えば落ち着いた雰囲気がある。
トトガンナにも共通しているが、古い造りの町は隙間を埋めるように雑然としている。大きな区画をお金持ちが優雅に使っているかと思えば、狭い路地に十何人も孤児が密集していたり、どこもあまり変わらないみたいだ。
聞いた話よりも治安がいいらしい。リパゼルカは屋台で買った焼きイモをほくほくと食べながら路地を行く。
昔に両親から聞かされたところによると、大都市のこういった路地において「犯罪はイモより多く売っている」そうだ。恐喝やら強盗やら、最悪は殺しや人身売買とか。
途中で見かけた孤児や浮浪者は、服装こそボロだったが痩せ細ってはいなかった。さすがに麦の産地で飢えることはないのだろう。食が満たされていれば、とりあえずは生きていける。そこだけはこの町ならなんとかなると分かっているから、あまり犯罪が起きていないのだろう。
リパゼルカがあからさまに金を持っている様相をしていれば話は別だろうが、いたって普通の町人の服装をしている。ララキアに会うということで一応新しい物を購入したが、金持ちの部類には見えないはずだ。
「良い町……なのかな? おいも、美味しいし」
リパゼルカはトトガンナしか知らないが、どこからかダイナ麦の唄が聞こえてくる穏やかな空気は好ましい。
領主たるララキアのお父さんは良い方のようだと思った。
迷路のような路地の中でも、メインストリートらしき太目の道をてくてくと歩いていく。
「おい、そっちは行くな」
ふいに掛けられた声に振り向く。
煉瓦の窓枠に腰かけた男の子が人生つまらなさそうな顔をして、リパゼルカを見ていた。
「お前が入ろうとしたそこから先は、バベッツ・ファミリーの縄張りだ。関係ないなら帰れ」
「バベッツ・ファミリー?」
男の子は窓枠から飛び降りて、リパゼルカの手を掴むと逆方向に歩き出す。
「ち、ちょっと?」
「バベッツ・ファミリーは分かりやすく言えば“悪い”やつらだ。捕まったら、その焼きイモ取られるくらいじゃ済まねえ」
「わ、やっぱり領都にもそういうのいるんだ」
「ちっ、旅行者か。さっさと新街区に行くぞ」
ぼさぼさに伸びた灰色の髪を揺らして、力強く手を引いていく。
口調はツンケンしているが良い人なんだなあ、とリパゼルカは前を行く男の子に焼きイモの紙袋を差し出した。
「なんだよ、オレはモノをせびるつもりじゃ」
「迷って困ってたから。道案内のお礼とでも思ってよ」
「要らねえ」
「まあまあ」
ずいずいと鼻先に袋を押し付けて、逃れようとする男の子の手はぎゅっと握って離さない。しつこく匂いの暴力をかましたところ、ついに腹の虫が敗北宣言を出して焼きイモをプレゼントすることに成功した。
イモは歩きながら食べると喉を詰まらせやすい。リパゼルカはそう言って、近くにあった空中回廊への階段に腰かける。男の子は少し迷って、結局リパゼルカの向かいの壁に寄り掛かった。
「飲み物もあるから飲んでよ、ほら」
手荷物から拳サイズの瓶を取り出し、男の子に優しく放る。リパゼルカはレース練習の癖で、小分けにした飲み物をいつも複数持ち歩いている。それがたまにこうして役立つ。
パシッと受け取った瓶をまじまじと見つめていた男の子は、しばし後に肩を竦めて、焼きイモを口にした。
「うめぇ」
「ダイナ麦が終わったら、おイモの季節だよね」
「……ありがとよ」
広く食べられているジェードイモは、この地方だと春ダイナ麦の刈り入れが終わったところから順に作付けされる。ダイナ麦の生育で偏った大地の力を整える作用があると言われており、ジェードイモを植える植えないでは秋ダイナ麦の収穫が段違いなのだ。
育ちも早いので、さっさと植えてさっさと収穫、そこから秋に向けて大地に束の間の休息を与える。そんなルーティンだ。
春のパン祭り、秋の収穫祭に並び、夏のイモフェスはダイナー領の三大食祭りとしても知られている。
今並んでいる屋台はイモフェスに向けて、やや走りのジェードイモを使用し、先行で名を売ろうとしている屋台だろう。そういうのはイモが未熟で微妙だったりするのだが、今回の屋台は当たりであった。
「それでお前、どこに行きたいんだ?」
「うん?」
「道案内の代金なんだろ、これは。またここらをウロチョロされてもなんだしな」
はー、偉いなあ。リパゼルカはギリギリ口には出さなかった。
リパゼルカなら新街区まで連れて行って終わりだし、別に自分がそうされても特に文句はないだろう。
「えーと、ちょっと待ってね」
返事が来ていないので忙しいかもしれないが、ララキアに追加で連絡をする。手荷物からメモを取り出して「良い人に道案内してもらうから、どこに向かえばいいか」と印字し、【青い鳥】にして空へ放つ。
「人と会う予定で来たんだけど、返事が無いんだ。今、どこに行けばいいのか確認するから、少し待ってもらってもいい?」
リパゼルカが男の子に視線を戻すと、しかし、男の子は飛び去った【青い鳥】に目を奪われていた。
「……魔法使い」
「魔法使いではないかなあ」
本職の魔法使いは魔導技術の改修に列車や外装の開発など、色々なところで引っ張りだこだ。中でも攻撃魔法や防御魔法を専門に扱う、魔法戦闘の専門家を狭義的に“
一般的な視点だと空駆者も魔法使いに見えなくもないであろうが。
「オレから見たら、【青い鳥】を飛ばせる人は魔法使いさ」
「病気とかで魔法力を失ってないなら、誰でも使える魔法だけど」
「そりゃ教育を受けられたヤツが言うことだ」
かつて野性に生きていた人族も本能のままに魔法を使えたそうだが、文明を手に入れた今、その身に宿る魔法力を知識無く十全に扱える者は少ない。そのため、国家ぐるみで教育を行い、次世代の優れた魔法使いを育てているが、どうしても零れ落ちる者も出てくる。
どうしても魔法力が育たなかったり、操作にセンスがなかったり。
病気や怪我で魔法を扱える状態になくなってしまったり。
――親がおらず、教育を受けられる素地がなかったり。
「じゃあ、教えてあげよっか?」
「はっ?」
「そんなに難しいものじゃないし。ほら両手合わせて」
「おっ、おお……」
リパゼルカは立ち上がり、両手を広げて前に出した。
流れに押されて、男の子もリパゼルカの前に立ち、掌と掌を合わせる。
「始めるね……。【青い鳥】の魔法はまず、お互いの魔法力を覚えるところから。送り手と受け取り手の登録……。今、何かを感じられている?」
「ああ……、なんというか、こう冷たいものが手から流れて、身体の中をぐるぐる回ってる……」
「冷たいのはこっちから流した魔法力。左からしか流してないから、逆側から自分の魔法力を動かしてこっちに流し込んでみて」
体内にある魔法力は気付いてしまえば、動かすことは簡単にできる。正常な生き物が自身の肉体を感覚的に動かせないことは無い。
ぽこん、とリパゼルカの右手に熱いと表現できるつぶつぶの魔法力が流れ込んでくる。
「もっともっと、淀みなく、流れる水を想像して」
「……こうか?」
「そうそう」
細い糸のようだが、男の子の魔法力が途切れなく流れ始めた。
リパゼルカはそれを絡めとり、お互いの魔法力が手を繋いで輪になるように循環させていく。
男の子も察して、同様にリパゼルカの魔法力を返してくる。
学びが早い。魔法を感じ取るセンスがある。
準備は整った。
「君、名前は?」
「言う必要ねえだろ」
「誰に手紙を送ればいいのか分からないでしょ」
「……イーリス」
「よろしい」
リパゼルカは“力ある言葉”を唱えた。
『ここにリパゼルカとイーリスは【青い鳥】の契約を結ぶ――契約(コンフリクト)!』
視覚的には何も変わりはないが、これで間違いなく二人の間に魔法的繋がりが出来た。
これからは青い鳥の魔法をやり取りすることが可能になる。
「……これで、オレも魔法使いに……?」
「あとは“力ある言葉”を使えるようになればね。厳密に言うと違うらしいけど、魔法力を込めて発声すると“力ある言葉”になると思っておけばいいよ」
「そんな簡単に言うけどな……」
イーリスは顔をしかめたが、そんなに難しいことではない。元々、魔法力とは人が持っている機能なのだから、使えない方がおかしい。
「やってみたら分かると思うけど、喉とか口のあたりに魔法力を集めて話すと、結構勝手に乗ってくれるんだよね。あとは慣れじゃないかな。強力な攻撃魔法とかは相当な訓練が必要らしいけど、【青い鳥】の魔法は使ってる内に、無詠唱で使えるようになるよ」
「そうなのか……、魔法ってこんなに簡単でいいのか?」
いまいち実感がないのか、首を捻っているイーリス。
「魔法に大事なのは心だよ。分かりやすく言えば、魔法力の量×密度×精神力ってぐらい大事」
「いや、よく分かんねえ。その、“力ある言葉”とかを覚えたりする方が大事なんじゃないか」
「結局のところ詠唱は単なる鍵なんだよね。専門家から見たら違うのかもしれないけど、封印を解く鍵」
「封印?」
「何でもそうだけど、訓練とかして自分の中に溜め込んだ成果を表現するためのキーワード。年に一回くらいしか使わない倉庫とかは開け閉めする度に鍵を閉めるでしょう。でも毎日多くの人が出入りするような大通りの内門なんかは開けっ放しだよね。そんな感じで慣れない内は、自分の中から魔法を生み出すのに鍵が必要だけど、慣れたら別に感覚でなんとかなるよ」
「言ってることはやっぱりよく分かんねえけど、慣れたらなんとかなるってことは分かったわ」
リパゼルカは放り出していたメモを一枚千切り、
「話を戻すけど、【青い鳥】の魔法で何かしなきゃいけないのは送る時だけ。掌ぐらいの大きさのメモ類なら送れるけど、あんまり大きかったり重かったりするとダメ。紙を丸めて、『【青い鳥】、イーリスに向けて――飛翔(フライ)』が定形の詠唱」
手元に現れた【青い鳥】が手紙を抱えて、ぴょんとイーリスの手に飛び乗った。イーリスが慌てた様子で両手を器にすると、【青い鳥】から転げ落ちたメモが広がる。
『よろしく』。
「近すぎると飛んでくれないんだー。知らなかったなあ」
消えていく【青い鳥】を見て呟くリパゼルカに、イーリスは尋ねた。
「なあ、どうしてここまでしてくれるんだ。魔法を教えてもらっても、オレは見返りなんか用意できない……」
「ひまつぶし」
端的に答えると、イーリスは目を見張った。
「えっ?」
「【青い鳥】の返事が来なくてひまだから。あと、君がなんだか人生つまらない~、って顔してたから」
「そんな顔ッ」
「してたしてた。それで、魔法を羨ましそうに見てたから。機会さえあれば簡単なもんでしょ、魔法なんて。これから先、少しは楽しく生きられるんじゃない?」
リパゼルカがにへらと笑って見せると、イーリスは喉を詰まらせたように口を閉ざした。論破。
「ま、理由なんてどうでもいいじゃん。気分が乗って、ひまが潰せて、魔法を使えるようになって。嫌なことは一つもないよね」
「そうだけど……。何だか夢みたいで……」
孤児が魔法を使えないまま成長するのはいくつも理由がある。
町の中で生きるのに魔法は必要が無い最たるものだ。
ちょっとした魔法を覚える暇があれば、その日生きる糧を探す。そうする必要があった。
魔法を覚えるための対価を用意する余裕があれば、その日は生きていけるのだから。
イーリスはどこかぼんやりとした様子で空を見上げ、
「オレも、空を飛べるのかな……」
そう呟くイーリスは、すでに年頃の夢見る男の子になっていた。人生を諦めたような顔は捨て去っている。
リパゼルカの胸に少しの悪戯心さんが生まれた。
「へえー、空、飛びたいんだ?」
「ああ……、って、何すんだよ!?」
頷くイーリスは、次の瞬間にギョッとして気付かぬ間に至近距離にいたリパゼルカの肩を突いた。
大人ならばまだしも、子供の張り手でよろけるような鍛え方はしていない。リパゼルカはイーリスに抱き着くと、脇の下に腕を通した。
「行くよ、暴れないでね!」
「ちょ、ちょっと、おい!? うおわああああああっ!?」
イーリスを抱え、地面を蹴る。
瞬く間に飛翔魔法が二人を空へと運んでいく。建物の隙間を抜けて――視線を遮る物が何もない空へ出た。
新街区の方に見える鐘楼の高さでピタリと止まる。
「ほら、イーリス。ここが空だよ」
リパゼルカは、全身にしがみついて顔をリパゼルカに埋めているイーリスの肩をぽんぽんと叩いた。
「怖いことなんかないよ。人は空を飛ぶ生き物なんだから」
ほらほら、と何度も促して、ようやくイーリスはそっと顔をリパゼルカから離す。
ゆっくりと周囲に視線を巡らせて、
「…………これが」
「空だよ。どう?」
「……すげぇ」
表現する言葉がない。そんな感じでイーリスは空の青色に呑まれていた。
しばらくイーリスの余韻を崩さぬように、リパゼルカは静かにそこにいた。
どこかで鳥が鳴いた時、イーリスは訊いた。
「お前さ、魔法使いじゃないって言ったよな。じゃあ、何なんだ?」
「空を飛ぶ人。そんな感じ。君もなるといいよ」
リパゼルカは笑みを作って答えた。
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