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 飛翔は絶対的な移動手段……というわけでは、少なくとも現代では、ない。


 かつては最速の移動手段であり、コストも自身の魔法力だけなので皆が飛翔して移動していた。

 しかし、時代が下るにつれて、運送における重量の増加や人口密集地における交通事情の問題で、好き勝手に飛翔するのが難しくなってきた経緯がある。

 人族が治める国のほとんどでは、飛翔による移動は制限がかけられている。速度であったり、高度であったり。


 今では屋根の雨漏りを直したり、教会のステンドグラスを拭きにいくぐらいでしか一般人は飛ばなくなった。

 街中を目まぐるしい早さで飛ぶのは、空駆者の特権だと言う者もいるぐらいだ。

 空駆者もクラスでどこまで飛べるかは制限されているが、一般人からしたら些細な違いだろう。


 町から町への移動についても、基本は徒歩だ。

 過去と比較して、街道の危険度が落ち着いたので、魔法力を振り絞って日没までに次の町に向かう必要がなくなったのが大きい。


 魔法力を限界ギリギリまで酷使すると、頭痛吐き気動悸腹痛に手足のしびれや倦怠感が発生し、それらを自覚してからも続けると何らかの魔的疾患を発症する可能性がある。

 最悪は死に、良くても魔法力行使時になぜか性別が転換する不思議な病気を得てしまう事例が報告されている。


 街道に猛獣や盗賊はいないのが普通のことになり、草原に天幕を張って明るい星を眺めるレジャーもあるぐらいだ。


 急いで移動したい場合に魔導列車網が張り巡らされていることも飛翔移動の必要性を失わせた。地上に刻まれた魔法力の線路の上を滑るようにして走る魔導列車は、人と荷駄の移動を一手に担う。

 外装の開発で培われた技術をふんだんに盛り込んだ魔導列車は、普通の人が飛翔するよりも速く、安全に町から町へと移動できる。


 外装を使用しての飛翔ならばそちらの方が早いが、外装を使用するとメンテナンスだなんだと金がかかる。外装の運送費用込みでも、魔導列車に乗った方がはるかにコストパフォーマンスが良い。

 一人で負担するか、乗客みんなで負担するかの違いだと言えば分かりやすいか。

 荷物がないならなおさら列車旅行を楽しむべきなのだ。


 リパゼルカはそのように自身を納得させて、高額のチケットを購入した次第である。【トライアングル・タイムトライアル】の時は徒歩で移動したので、初めての列車だ。

 ようやく中級レースに入賞し始めて高額賞金を手に入れられるようになったが、生活レベルが変動するほど持ち金がある状況に慣れていない。

 恐る恐る購入したチケットはおよそ一月分の食費に近く、先日のレース参加費に次ぐ出費となった。人生でベストスリーに入る出費だ。


 トトガンナもそれなりに大きな町なので、きちんと停泊駅の一つに数えられている。

 国境の方から戻ってきた魔導列車が一日ほど停泊し、乗客や荷物の入れ替え、各補給を行い発車となる。


 発車の直前になると、列車に乗るべく詰め寄る人々や、彼らを狙った屋台などで一種の祭りに見えるほどの賑わいだ。

 リパゼルカも屋台でトトガンナ名物のトトガンナ焼きを購入し、魔導列車に乗り込んだ。


 列車内は等級によって快適度が異なる。

 一等級は個室をあてがわれるようだが、二等級チケットは個室を相席となる。個室と言っても、薄い板で列車を区分けしただけなので一等級とは比べるまでもない。

 三等級以下は仕切りもなく、下手すると到着まで立たなければならないので、さすがにそこは奮発した。


 二等級のチケットを車掌に見せて、指示のあった席へと向かう。

 列車の真ん中を動線にして、両側に部屋が並ぶ形だ。

 指示のあった部屋をほどなくして見つけ、扉に嵌め込まれたガラスから中の様子を伺う。向かい合う四席の内、一つだけ揺らめく中折れ帽で埋まっている。どこからか来た先客がいるようだ。

 列車に乗るのも初めてならば、先客がいるのも初めてなので、リパゼルカはゆっくりと深呼吸をして緊張をほぐす。それから、扉に手を掛けた。


「は、入ります……!」


 声を掛けて扉を引くと、中の人が顔を上げた。

 アゴ周りの無精ヒゲが目立つ、リパゼルカから見れば定食屋で昼時に会うおじさんといった風貌をしている。ちょっと違うのは、顔の彫りが浅く、隣国に多い緑がかった瞳をしているところだ。


「おはよう、良い匂いだね」


 帽子を軽く浮かして挨拶をしたおじさんは、リパゼルカが持つ小包に視線をやった。


「トトガンナ焼きです。ご存知ですか?」

「いや、ここを通るのは初めてでね。ここは……トトガンナ駅だったか。名物ってことかな」

「はい、トトガンナに来たら食べてもらわないと。おひとつ、どうぞ」


 おじさんの斜向かいに座り、上部の網棚に荷物を乗せると、小包からトトガンナ焼きを一袋差し出す。


「いいのかい? なんだか催促したみたいで悪いな」

「いえ、多く買いすぎてしまったので」


 こういうこともあるかも! と多目に買ったとは言わず、たまたまであることを強調する。あらかじめ用意していたとなると、今度はお返しを要求しているように聞こえるだろう。

 事前練習の成果を発揮し、内心ドヤっているリパゼルカから「では、ありがたく」と紙袋を受け取るおじさん。

 リパゼルカも自分の分を取り出して、


「さっき買ったばかりだから温かいですよ」


 大きく開いた袋の中に顔を突っ込んでかぶりついた。

 ザクザクとしたパンに挟まれたフルーツと焼いた肉のハーモニー。


「おいし〜!」

「……ええと、これは何が挟んであるのかな」

「ベナナ鳥の実と肉ですよー。甘い実としょっぱく味付けした焼き肉がこうすごく合うんですよね」

「ああ、この白いのはベナナ鳥なのか。へえ、害獣だって聞いたけど、こっちの人は名産にしてしまうんだな」

「ダイナ麦を狙って腐るほど現れますからね。売ってるのは農家さんですよ」


 ベナナ鳥は世界中でひよひよ鳴いている鳥で、農作物を群れで荒らす悪名高き鳥でもある。

 魔法を使う獣の一種としても知られており、その割には安全なので子供の教育に使われがちだ。


 胸元にコブがあるのだが、ベナナ鳥はこのコブを魔法で育てる。十分に育つと、フルーツのような物体になり、甘い香りを放つ。それで寄ってきた小さな虫を食べたり、捕食されそうな時に実を切り離して囮にするわけだ。


 雑食であり、ダイナ麦も荒らされて農家が泣きを見ていたが、ある時、大量のベナナ鳥にやられた農家の一人がブチ切れて大量に捕獲、被害を補填してやると焼いた実と肉をパンに挟んで売ったところ大人気に。

 以来、トトガンナではダイナ麦が実を付ける頃の風物詩として、トトガンナ焼きの屋台が町のそこかしこに現れるのだ。


「麦はもう刈り取られてしまっているようだけど。……へえ、意外と美味しいなあ。甘さと塩気が交互に来て、食べ飽きない」

「ベナナ鳥はいつでも飛んでますからねー。トトガンナ焼きもいつでも買えますけど、路地裏とかに屋台が増えてくると、もうすぐ収穫の時期だなあ、って」

「なるほどね」


 大きな口でぺろりとトトガンナ焼きを平らげたおじさんは、ちょうどやってきた車内販売のお姉さんを呼び止めた。

 席を立って、しばらく台車の商品を品定めした後に、いくつかを抱えて戻ってくる。

 その中からおじさんは瓶を一本差し出した。


「トトガンナ焼きのお礼だよ。美味しいけど味が濃いから喉も渇くだろ?」

「あ、ありがとうございます。いただきます」


 蓋を抜いて中身の液体を舐める。弱めの炭酸水がぴりぴりと舌先で弾けた。


 炭酸はちょっと苦手なリパゼルカは一口ずつこっくりこっくり飲んだが、おじさんは一気に一本飲み干すとその場でお姉さんに瓶を返してしまった。

 つい、注目してしまう。

 リパゼルカの知るおじさんたちは炭酸を飲むと、人目を憚らずに大きなゲップしてガハハと笑うので。

 しかし、おじさんはゲップをしない。


 はてな、と小首を捻ると、視線に気付いたおじさんは得意気に笑った。


「コツがあるのさ、炭酸を飲むにはね」


 トトガンナから新たな乗客が現れることはなく、部屋を二人で広々と使える状態で列車は出発した。横の座席が空いていると、眠くなった時に横になれて楽だ。


 おじさんはジョンだと名乗った。

 やはりリパゼルカが思った通り、隣国にあるレネルチアの出身だそうで、お仕事ではるばる王都まで向かうのだとか。


「お嬢さんは空駆者スカイランナーなのか。人は見た目に寄らないと言うけども……小さいのに頑張るなあ」


 その物言いにムッとする。


「小さくありません、年齢相応です。来年、再来年にはグッと成長していますから」

「そのあたりは来年に答え合わせをしてもらって。領都に向かうそうだが、直近でレースでもあったかな?」

「今回は私用ですね。新しい外装が欲しくて、詳しい人に相談しに行くんです」


 あまり個人名などは出さないように配慮する。紹介しろと言われても困るので。


「新しい外装か……お嬢さんぐらいの年齢の子でも儲かるんだなあ、空駆者は」


 ひゅーぅ、と口先で笛を吹き、おじさんは暢気なことを言っている。


「たまたま運が良かった部分もありますね。それでも外装を買うには全然足りないので、なんとか負かりませんかと相談しに行く次第で」

「なんともまあ……あー、でも、そりゃそうか。たまに見るポスターじゃ、とんでもない金額だものな」

「人生三回やり直したら一回ぐらい買えるかな、ってぐらい高価な物もありますからねー」

「そんなのを背負って飛んでるやつらと、お嬢さんは一緒に飛んで成果を残しているのか。もしかしてお嬢さん、途轍もない凄腕なんじゃないか?」

「まだまだ全然。ペーペーですね。むしろ、上には上がいるんだなあ、って思い知らされたばっかりで」


 ハンデをもらって、得意分野の市街戦で負けたことは、まだ夢に見る。

 実力の差は思い知ったし、なるべくしてなった勝者に思うところは無い。

 ただ、悔しいだけだ。


「あー……、飴ちゃんをあげよう」

「えっ? ……ありがとうございます」


 いきなり目の前に棒付きキャンディが出てきてビックリしたが、礼を言って受け取る。キャンディを覆っていた袋は取ってくれていたので、そのまま舐めると懐かしい味がした。

 その様子を見ていたジョンは軽く咳払いをして、


「おじさんはあんまし良いこと言えないけどな、お嬢さんなら前に進めると思うぞ」


 突然始まった語りにリパゼルカは目を丸くする。


「これから相談に行くのは、負けを反省しての対策なんだろう? 凹んでも向上心を忘れないお嬢さんなら大丈夫さ」

「おじさん……」


 経緯は不明だが、とりあえず励ましてくれていることは理解し、リパゼルカは空気を読んで感謝の顔をした。


「どんなに難しいことでも、笑って楽しんでいけ。気楽にな」

「一番楽しめる人が一番強い教の方?」

「そこまでは言わんよ。何事も楽しむ努力をすると、ほどほどに楽しい教さ」

「そっちなら入信したかったかもです」

「こいつはいつでもどこでも入信できて、脱退も好きにできる自由な信教なんだ。気が向いたら祈ってくれ」


 ジョンは不思議と愛嬌のあるウインクをした。

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