3-5

 レースの二日前になって、ようやく事前ブリーフィングが開催される運びとなった。

 七日前までエントリーの受付をしており、この五日で諸々の目処を立てたといったところだろう。


 リパゼルカとベベルはジャイダに相当詳しくなっていた。上街の、蜘蛛糸のように上下左右を際限なく掛けられた細く壁のない路は暗記していたし、下街の掘られた穴ぐらのような路の奥にある隠れた名店も把握済だ。


 しかし、これはジャイダのような複雑な都市を飛ぶ上でのスタートラインに立った、それだけだ。


「飛んでみなきゃ分かんねえだろうが……、下街は怖いぞ」


 経験のあるベベルはそう言っていた。


 レース・ブリーフィングではコース、並びにルールの説明が成される。

 ある程度……大まかには事前に情報は流されるが、それが正しいかどうかはこの場で確定する。

 最大限、不正行為を防ぐためにレース概要は概ね直近で最終決定が行われるということだ。


 上街の広場にベベルと赴くと、すでに人だかりがいくつも出来ており、屋台やら芸人やらがぐるりと周りを囲っていた。


「……お祭り?」

「その側面も否めない」


 この厳しい立地だと娯楽もなかなか、といったところで、年に何回かあるレースの開催が近付くと始まる前からお祭り騒ぎだそうな。

 よく見ると、広場の端の方で酔い潰れた人たちが転がっている。昨日の夜から広場で酒を飲んで、そのまま寝ているらしい。


 奥の方には木箱を重ねた簡易なステージがあり、幾人ものスタッフが怒鳴りながらあちらこちらを行き来している。前夜祭の雰囲気がすごい。

 すでに集まっている空駆者もステージの前に陣取って酒盛りしている。周囲の屋台で焼き鳥やら酒やら売ってたらそうなる。

 ブリーフィングは主催からの通達という面の他に、参加者たちの交流を促す場でもあった。


「あれ……お前……、どこかで見たな……」


 酒盛り中の男が不意にリパゼルカの前に立ち、ねっちりと上から下から顔を見つめだした。


「酒臭い」

「そりゃそーだ。……あぁ、お前アレだ、アレ」

「おい、リパゼルカ。このアル中は知り合いか?」

「知らない人だよ」

「ソレだ! おおい、マルニア、お嬢のお気に入りが来てんぞ!」


 リパゼルカとベベルが不快な表情を隠さずにいるが、気にした様子もなく手にした酒瓶を煽ると、二人目のアル中を呼び出した。

 マルニアと呼ばれた男がムスッとした様子で酒盛りの集合体から現れる。


 アル中が二人並んで立つと、二人共がとてつもなくガタイがいいことに気付いた。ベベルにしても建設作業員と遜色ないが、彼らはベベルと比してもデカい。ただし、ベロベロに酔っ払っており、顔はだらしない。倒れていないのが不思議なくらい真っ赤な顔をしていた。


「マルニア、こいつだよこいつ。なかなかやんだよ、こいつ。なっ、リパゼルカ?」


 リパゼルカは相変わらずこの二人を誰なのか理解出来ていなかった。しかし話は進む。


「そうか、先日はすまなかったな。今回、お嬢はいないが代わりに全力で戦おう」

「こいつが出るってんならお嬢を連れてくりゃよかったな。つーか、男の方の……あんた、名前、なに? こいつの恋人かなんか?」

「オレはベベル。好いた女がジャイダの出身で、リパゼルカには同郷のよしみで協力を頼んだだけだ」

「そっかそっか! わりぃな、ベベル。お嬢のお気に入りに虫が付くとホラ、アレだからよ!」


 べっしべっしとベベルの背中を叩き、わははははと笑う男は豪放であった。そんな知り合いはいただろうかとリパゼルカは首を捻るが、やはり記憶にない。

 埒が明かないと見たベベルが二人に切り込む。


「リパゼルカの知り合いらしいが、オレとは初対面……で合ってるか?」

「おお、そうだな、そうかもしれん!」

「おそらくな。レースで遭ったことはあるかもしれんが、平地では初めてだろう」

「では名前ぐらいは聞いてもいいか。オレだけ知らないのも座りが悪くてな」

「そうだよな! 悪い、悪いな!」


 わっはっは、と大口を空けて笑う男が名乗る。


「俺はザム、こっちのムッツリしてるのがマルニアだ」

「こっちのバカと、今回は『DPS』を代表して来ている。よろしくな」

「あー、あぁ、よろしく……」


 ベベルがマジかよという顔でリパゼルカを見た。

 『ダイナー・プリンセス・スターレーサーズ』というダイナー領では最もメジャーなチームと知り合いだという事実についても思ったし、その相手をすっかり覚えていないという事にもマジかよだった。

 リパゼルカにも言い分はある。


「そっか、ララキア様のとこの人だったんだ。話をしたことはなかったから、思い出せなかった。ごめんなさい」


 パーティーでも彼らはララキアの近くに控えているだけで、あまり会話には加わらなかった。マルニアに至っては確か、途中でリタイアして治療でパーティーにいなかった気がする。

 それに何より、まさかこんなべろんべろんに酔っ払っている人たちがまさか偉い方のお付きだとは思わないではないか。


「ララキア様にも伝えておく。なんかすごい酒臭い人に絡まれた、って」

「ちょっ、ちょちょっ!!! それはマズいダメだ!」

「うむ、ダメだ止めてくれ」

「なんで?」

「俺たちがハメ外してるのがバレちまうだろ」

「お嬢がいないからとばかりに酒を飲んでいるのがバレたら禁酒の期限が延びてしまう」


 リパゼルカは黙って【青い鳥】をララキアに送った。


「あーっ!!!」

「ダメだと言ったのに!!!」

「ダメかなあ……」

「オレは知らんが、雇い主的には良い報告なんじゃないのか」


 すぐさま飛んで帰ってきた【青い鳥】はリパゼルカではなく、ザムとマルニアの二人の指先に止まり、そこはかとなく圧を放っていた。どこか遠くの空の下にいるララキアの怒りが感じられる。

 【青い鳥】の解除もまごつく二人は放置し、ベベルはリパゼルカを連れて、組合が屋台の隙間に用意している運営本部のテントに向かう。


「明後日参加予定のベベル・リパゼルカ組だ。資料をくれないか」

「おー、どうもどうも。お早いチェックで助かります。ええと……ベベルさんとリパゼルカさん……あったあった、はい、ブリーフィング出席の確認取れました」


 話しかけられたスタッフが用紙を舐めるように見て、二人の名前に印を付けた。


「いやもう、本当に助かります。毎年のことなんですけど、みなさんチェック前に酒盛りを始めてしまって困るんですよね……。はい、こちらが資料と参加賞のジャラランガエリクシル・デトネーションです」

「ジャララン……なんだって?」


 スタッフは愚痴を言いながらもパッパと仕事を済ませ、資料の束と、言葉にし難いぬちょぐちょりとしたパッケージのドリンクらしき物を手渡してきた。しかも六本入りの箱だ。一人に一つ。

 ベベルが思わず聞き返すと、スタッフは目をギラリと輝かせて説明を始める。


「ジャイダの総力を挙げて開発を進めているエネルギードリンク、ジャラランガポーションシリーズはご存知かと思いますが」

「知らねえ……」

「今回はそのハイエンドシリーズ、ジャラランガエリクシルの新商品となります。ジャララ連峰の清水と、地下深くに蔓延る溶岩水が配合のキモです」

「おい、溶岩って飲めるもんじゃねえだろ!?」

「そこにジャララ大森林に生息する生き物から、色々とみんなが元気になる成分を集めて極限まで高めた……そう、前作のバーストエンド、その先が垣間見える逸品です!」


 飲んだら爆発して死にそうな名前だとリパゼルカは思った。それに不味そうでもある。

 スタッフはリパゼルカのドン引きした様子に気付き、さらなるプレゼン、実践をし始めた。


「飲みにくい味のエネルギードリンクがひしめく昨今、そこに着目して飲みやすさにも配慮しました」


 おもむろに一本取り出し、蓋をこじあけるスタッフ。そのまま口をつけ、真上を向き一気に流し込む。

 微動だにせず固まったスタッフを見つめること数十秒……。


「だ、大丈夫か……?」

「全く問題ありません」


 ベベルの確認に、スタッフはぎょるん! と姿勢を正して答えた。虹彩が見て分かるほど拡大し、縁がギザギザになっている。


「このように一気に飲み干してしまえるほど、のどごしなめらか。スパイシーな風味と飽きない刺激のある味は常温で保管していても、飲みやすさを担保します」


 その組み合わせは普通に考えたらヤバいやつでは。

 しかし、その質問はちょっと目がヤバいスタッフに尋ねられなかった。


「何よりも! このすばらしい効能! どんなに辛く厳しい日程でも、これをみんなで飲むことであらゆる作業の進捗が倍以上になりました!」

「明らかにそれはヤバいやつだろ! 切らしたら手とか震えだすんじゃねえか!?」

「倍以上働けるようになっただけなのでご安心ください! 最後にきちんと眠れば回復します! 飲み続ける限りは死にませんよ?」


 ギンギンにキマった表情でスタッフが効果を力説する。


「お二人もぜひこちらを摂取して、明後日のレースはがんばってください!」


 リパゼルカはベベルと目を合わせて心を一つにした。これを飲むことはないだろう。

 処分に困るドリンクをお互いに押し付け合っているうちに、他の酒盛りをしていない参加者も続々と集まりだし、渡されるドリンクに困った顔をしていた。


「結構な有力チームがいるな……」


 ベベルが周りを見てぼそりと呟く。

 リパゼルカは<暁天>でのレースは未だに一度のみ、参加者を顔だけで見分けられるほど知り合いがいない。


「注意した方がいい人は誰?」

「いや、要注意だってならさっきの二人だろうが……。領を代表するような面子は今のところいない」


 それは困った話だ。近くで飛んだこともあるのに、あの『DPS』の二人はあまり記憶にない。エースたちの飛翔は思い出せるのに。

 ベベルは資料を開き、参加者のリストを眺める。


「チーム自体は聞いたことのある名が結構あるな。『光陰の矢』、『暴飲暴食』、『中空ミドルスカイ』、『アンブロシア』……数えたらキリがないけども、このあたりが<暁天>でもよく見るヤツらだ」

「へえ、よく知ってるね」

「オレも何年かこのクラスにいるからな。まあ、どこのチームもエースは来てない。少人数で参加できるレースだから参加するが、そこまで重要視はしていないってこったな」

「じゃ、本当にザの人とマの人に気を付けてれば平気?」

「名前ぐらい覚えてやれよ……」


 呆れた様子でベベルは息を吐き、資料を上から指先でなぞる。


「有名なやつらだけ注意してたらいかん。真に注意すべきなのは、地元のヤツらだ」

「それはそうかも。絶対的に環境の慣れでは負けてる」


 子供の頃からこの狭細く、見通しの悪い路を使っている相手だ。慣れている場所の飛翔は躊躇がなくなり、思い切りが良くなる。


 リパゼルカも参加者のリストを眺め、先ほどからベベルが挙げている名前を追う。

 リストには参加者の出身地も記載されているので、地元参加者のなんとなく強そうな響きの名前を記憶しておく。ディルガーンとピスリスのペアなど、強者の響きが半端ない。


 ふと、その中に先日知ったばかりの名前を見つけた。


「へぇ、空駆者だったんだ」


 ケイルとカテラリア。

 北の大国、ランドステラからの来訪者。


 勝利を阻むのはあの二人かもしれないと、リパゼルカの肌感が囁いた。

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