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「もういいではないか、テティス」

「主任……」


 それはテティスにとって、ではなくリパゼルカにとっての助け船であることは明らかな声掛けだった。


 白髪と白髭で顔の外縁が埋まり、眼鏡部分と鋭く折れ曲がった鷲鼻が特徴的な、ベテラン職員。トトガンナで最高齢かつ最も権限を持つ主任管理官のアイゲンが、三枚の参加書を持って近付いてきた。


「いくら言っても聞かぬ馬鹿はおるし、そういう馬鹿でないと辿り着けぬ境地もある。そこの馬鹿がどこまで行くのかは知らぬが、テティス、お前が受け付けてやらんと他の町でもっと無茶苦茶なレースに出るぞ、そいつはな」

「……リパゼルカさん? まさかそんなことは考えていないでしょうね」

「あっ、あったりまえですよ? テティスさんを一番信用してるんで?」


 リパゼルカがそう言うと、テティスは頭を抱えた。こいつはやる。言う事を聞かない子供が明晰な頭脳を苦しめる。

 周りで様子を見ていた暇人たちも(こいつはやるな)と十人が十人思った。


「そんなことになる前に望み通り、高い壁を明確に感じられるやつを選んでやれ」

「……はあ……、仕方ありませんね……。これは?」


 渋々、本当に渋々受け入れたテティスは、アイゲンから受け取った参加書を広げた。

 いずれも<暁天>のレースが記載されており、参加資格が無条件であるものであった。


「リパゼルカ。わしが直々に絶対勝てないであろうレースを選んだ。その中からテティスが決めたレースに出ろ。いいな?」


 神妙にしてリパゼルカが頷くと、テティスは選び取った参加書をぺらりと提示した。


 星駆けにはいくつかの種目がある。

 それは禁止事項とレース形式の組み合わせによって大別される。


 六人以上の儀式魔法のみが禁じられた正式規則『全解禁オールフリー』、直接の妨害に制限がかかり純粋に速さを求める『決闘デュエル』、一度も着地してはいけない『巡行者ノンジャンパー』。

 様々な禁止事項が地域やレースによって設けられるが、これらが代表的なところだ。


 形式についても様々だが、どんな手段を使ってもゴールすれば良い『デスドロップ』、コースが明確に決められた『箱庭ガーデン』、何日も続けて行われ規定の行動で得られるポイント数で勝利を競う『ポイントアップ』が有名どころだ。


 テティスがリパゼルカのために選んだレースは、ダイナー特別<暁天>【トライアングル・タイムトライアル】。


 これはガイナー領で行われる<暁天>クラスのレースであり、また例年にない一度限りの特別なレースという意味になる。

 何らかの意図があり、領主肝煎りのレースが開かれたと読める。


 『タイムトライアル』はレースの形式だ。純粋にスタートからゴールまでにかかった時間が問われ、何よりも早さ、そして全力で飛びきる持久力が要る。

 トライアングルとは、おそらくレースの特性を掴んでいる。そのまま考えるのであれば、三角形になる三つのチェックポイントを通る形だろう。あるいは都市かもしれないが。


 リパゼルカはこのレースに出場することをにっこり笑顔で承諾した。


 もちろんリパゼルカとて、いきなり通用するとは思っていない。<朝露>ですら四年かけてようやく優勝したのだ。

 速さが足りないことも分かっているが、どの程度足りていないのか体感しておきたかった。あとせっかく昇格したのだから、少しぐらいは夢見てもよいのでは?


 なけなしの貯金から参加費を支払い、リパゼルカは早速スタート予定のダイナー領都ダイナクルスへと向かったのである。

 その後ろ姿を見送り、テティスは「はあ……」と重く息を吐いた。


「大丈夫でしょうか……」

「おまえが見込んだように、わしも少しは期待している。なあに、大怪我せずに帰ってくるくらいの力はあるじゃろう」


 アイゲンはそう言って、髭をもさもさと撫でながら主任室へ戻っていった。


「無事に済めばいいんだけれど」


 はあああ、と再び息を吐くと、テティスは頭を振って嫌な気を追い払い、長らく待たせていた次の人を呼び出した。

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