1-5

「ななな、な、なに……っ!?」

「右の前方で転倒らしいわ。横風でバランスを崩したみたいやね。危なかったー」

「へえっ?」


 いきなりの事案にビビりちらすリパゼルカの呟きに、期待もしていなかった回答が返ってくる。

 振り向くと、赤銅色のスリムな鎧に身を包んだ選手が「やっ!」と指先を立てて挨拶してくれた。


「どうも……転倒?」

「風に煽られて横っちょとぶつかったぽい。『DPS』のキャリアーも一人削れたからチャンスやね」


 にしし、と愉快に笑う相手は口からしか表情が読めなかった。口元だけが空いた兜を装着している。


 あのクラッシュはかなりの事故だ。

 巻き込まれたらタダでは済まない。


 レース中に参加者以外の手を借りると失格になる。自力で治療して復帰しなければならないが、ワンデイレースでは至難の業だ。

 おそらく即座に再飛翔できない選手はこのままリタイアになる。


 怪我は心配だが、レースはこういうこともある。どんなに上級者が集おうと、事故は発生してしまうのだ。


「なぁなぁ、名前聞いてもええ? 生身でよぉ参加するわー思て気になってたんよ」


 さらなる動揺を誘われつつも、リパゼルカは名乗った。


「ええと……トトガンナの町から来たリパゼルカよ。気にしてたって、何?」

「リパゼルカ、はちーと長いね、リーゼって呼ぶわ。ウチは“夕焼け”のミレイズ、よろしゅうな!」


 一方的に差し出された手を思わずリパゼルカは取ってしまった。ミレイズに振り回されるような握手をする。

 リパゼルカは強く握られた手をふりふり、姿勢を正し改めて尋ねた。


「注目される要素なんてあった?」

「おお、途中で切り捨てても問題なさそうな即席チームメンバーにはちょうど良さそうやん?」


 ミレイズの台詞は興奮で取り乱していたリパゼルカに精神を凍らせた。

 一瞬の沈黙を経て、リパゼルカは頷く。


「確かに優勝の目が無い私を切り捨てるのは正解だろうけど、“夕焼けの”、そもそも即席でチームを組む必要ある?」


 自称か他称かは知らないが二つ名を揶揄すると、ミレイズは「ひっひ」と笑う。


「ブリーフィングやとコース詳細が明らかにならなかったやろ? ウチの予想やと市街コースが少なくとも二回あると思っとる。そこを越すまでは引っ張ったってもええかなって」


 思い返すと、確かに衛星都市を巡るルートの概要は説明されたが、具体的に都市のどこを通るのかは、はぐらかされていた。

 リパゼルカは思わせぶりだった司会者の言葉を反芻しながら、ミレイズに答えを返した。


「市街地はあなたを牽けば良いワケね?」

「そうそう。したらウチがゴールの手前までは連れてったるわ。もちろん、あんまし遅いよーなら置いてくけどなぁ」


 あんまりな言い草ではあるが、これがレースである以上はお互いに利用し合うのが当然だ。


 ミレイズは細身の外装を装備しており、速度に特化した外装を予想させる。すなわち、直線の少ない市街地は特に苦手なコースメイキング。

 逆に市街地特化なところがある生身のリパゼルカに牽かせることで、少しでも遅れを減らそうといったところか。


 リパゼルカを牽くことで発生するマイナスと、リパゼルカに牽かせることで発生するプラス。プラスがマイナスを下回ると判断されたら、リパゼルカは置いていかれるだろう。

 そういったリスクを差し引いても、ミレイズと組むのはリパゼルカにとってはメリットが計り知れない。


 勝てる目の無い勝負が、百回に一回勝てるチャンスに変わった。


「とりあえず、しばらくはよろしく」

「よきよき、よろしゅうな。んじゃまあ、はよう後ろ入りな」


 集団の中に紛れ込んで息をしていたリパゼルカは、ミレイズの後ろ、足首が掴める近さに寄る。

 ミレイズは風を切り裂いて飛ぶ鳥のような外装で他者と比べて細身だが、それでも目の前を飛んでくれると安心感が違った。

 予定外のアクシデントに上がっていた息が落ち着いてくる。


「リーゼ! そろそろ速度出るで、付いてきい!」


 その意味は理解できた。

 先程のトラブルに巻き込まれた選手がギリギリ戻ってくるのを待てる距離がこのあたり。戻ってこないのであれば、待った分のタイムを取り返さねばならない。


「スタート直後で良かったわ、『海の旋律』も協定通りに待ってくれとう」


 勝負所以外で有力選手が予期せぬトラブルに巻き込まれた場合、復帰まで全力を出さないという了解がある。

 争った結果の転倒ならそれは受け入れるべきだが、こういった序盤の事故や天候不良による墜落などはお互いに配慮する。決着を着けるのはあくまでも全力を出し切った星駆けの中で。


 そのような意識をみな共有してはいるが、それを行使できるのは彼らの転倒を知る者のみだ。

 刻一刻と先行している選手たちの間は広がっている。先行者たちはあの転倒事故を知らず、逃げている者たちを追っていた。


 あの事故で状況は著しく変化した。


 今、真っ先に速度を上げたいのは『DPS』であり、逆にのんびり行きたいと考えているのは『海の旋律』である。

 前者は一人脱落がほぼ確定し、後者は万全の状態だからだ。人数としては同数であるが、五人チームが四人に削れた場合と、元から四人のチームであることは意味合いが違う。

 それぞれの人数に合った戦略を組んでレースに臨み、片方は今それが崩れ去った状態だ。


 『DPS』は先行したメンバーと合流して戦略を組み直したいし、『海の旋律』はそれをさせたくない。先行に送り込んだスカイはこういった場面で抜群の効き目があるエースであり、いっそ逃げと合流して一緒に逃げてもらいたいくらいだった。『DPS』が出した選手はアシスト役で、自分がゴールするとは思ってもいない。


 チーム全員が巻き込まれたものの位置が良くすぐに復帰してきた『DTA』を加えて、三つ巴の主導権奪取争いが予想される。

 どこがメイン集団の先頭を抑えるか。

 主導権を握らない限り、このトレインは加速を止められない。


「ウチらとしてはお姫さんとこに張り付いておきたいなあ」

「え゛っ」


 ミレイズの台詞にリパゼルカは心臓から声を漏らした。


「先頭交代されても無理だよ!?」

「優勝を狙っとる身としちゃあ、ここで先頭交代しとかんといかんの。それにウチも入ってコントロールせんと、リーゼはほんまにちぎられるで?」

「うぐぐ……」


 こんなに早くも速度不足に悩まされることになるとは、とリパゼルカは唇を噛んだ。


 いや厳密には持久力の不足だ。リパゼルカも全力を出せば並の外装をブチ抜く速度が出せる。ただし、その後は魔法力が切れてヘロヘロと墜落してしまう。

 加速力や攻撃、防御力の上昇など様々なメリットを挙げられる外装の一番の魅力は、なんと言っても追加で装備できる魔法力タンク……メリット部分を持続可能なところにある。

 生身のリパゼルカにはどうあがこうと不可能な持続距離を、外装は楽々と飛破する。


 こんなところで先頭に立つ状況自体がリパゼルカのリタイアに繋がる。

 その懸念をミレイズは「はっは」と笑って振り払った。


「安心しいや、街道区間でリーゼは前に出さんように交渉する。――代わりに市街地じゃあウチを含めて『DPS』の前を牽くことになっちゃろうが」

「ううん、それはそれで怖いけど……分かった、行こう!」


 いつまでも怯えていてはせっかくのレースがもったいない。

 想定よりもレースの良いところを体験できそうなのだから、これはもう踏み込むしかないのだ。


 リパゼルカは弱気の虫に殺虫剤を注入し、心意気を新たに頷いた。


 そうだ、持久力がなんだ。そんなのは最初から分かっていたことで、そもそも最初から持久力を問われる状況にはならないと思い込んでいた自分が浅はかだったのだ。

 後ろについていけばいいところまで行けるぜ、なんて考えが愚かの極み。いつだって全力で飛ぶことを頭の片隅に置いておき、必要があればどんな状況であれ飛べば良い。

 それで力尽きて墜落したら、実力が足りなかった。また鍛えて挑めば良い。


 何度でも。

 命ある限り。


 なんだかんだ意地を張っていても色々言われて日和っていたリパゼルカの瞳に火が灯る。

 リパゼルカはパンパン! と自身の頬を叩き、


「よおし、やる気出てきた。市街は任せて!」

「おお、言いおるなぁ。そんじゃあ、早速行こか!」

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