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 窓を開けて、新雪のように積もった埃の層を外に捨てていく。テティスが作り出した小さなつむじ風は、吸着力を持つかのように埃を吸い上げていった。

 とりあえず部屋の中だけでも綺麗にしたところで、テティスは途中で放り出してしまっていた手土産を思い出す。


「そういえば何か食べられそう? 焼き菓子を持ってきたのだけど」

「えー、悪いなあ。ありがとうございます。椅子もテーブルもないんで、汚くて申し訳ないですけどベッドに座っててくださいよ。飲み物を取ってくるんで」


 リパゼルカが言って、隣の部屋から持ってきたのはいつも彼女が買っている飲用水だった。比較的新しいのか、埃は付いていない。

 テティスは内心ホッとして水を受け取る。この家にある食器について、現状では使える気がしない。


 ベッドに並んで座り、間に焼き菓子を広げる。


 テティスが買ってきたのは、トトガンナでも新しい話題の菓子店で人気のやつだ。『ラエルディーヴァ』と名付けられた指先にころんと乗っかる白いそれは、口に入れるとほろほろと崩れてとけていき、味わっているうちに消えてしまう不思議な焼き菓子なのだ。

 そこそこのお値段だが、たまにはヨシ、とテティスもご満悦の品である。


 リパゼルカはこれを初めて見たのか、ちょんとつついてからひょいと拾って口に放り込んだ。


「わ、美味しいです」

「そうでしょう」

「弟子入りさせたいぐらい」

「……弟子?」

「はい。でも無理か。少し習ったくらいじゃ治らないな」


 呟いて、リパゼルカは再び『ラエルディーヴァ』を摘まんだ。

 しばしリパゼルカが焼き菓子をちょんちょん摘まんだのを見届けて、テティスは本来の用事を切り出した。いや、気になることはいくつもあるが、まずはこの用事を済ませてから。


「昨日も話したけれど、リパゼルカさん、あなたに星駆けスターレースの招待状が来ています。確認をした上で、返事をしてほしいの」


 テティスは懐から預かりっぱなしの封筒を引っ張り出した。

 リパゼルカは少しずつ首を傾かせながら封筒を見つめ、


「ああ、そういえば昨日何か言われていたような……」

「忘れてたんですか!?」


 ぽん、と手を叩くリパゼルカにテティスはびっくりした。

 レースに関わることだからと、あんなにも意味ありげに伝えておいたのに!?


「覚えてました! 覚えてましたよ! 寝起きでちょっと抜け落ちていただけで」

「それを忘れていたと言うんです! 大体ですね、もうすぐ夕方なんですよ。言い訳は苦しいと思いませんか」

「……ええと、そうだ。テティスさんが意味ありげに<黎明>だって言うから楽しみで眠れなくて」

「はいはい……、分かりましたよ、私が悪うございました。そう言うからにはすぐに確認して、すぐにお返事をくださるんでしょうね?」

「えっへっへ、頂戴いたします……」


 にこやかな笑みを作ってごまかすリパゼルカに嘆息しながら、テティスは封筒を手渡した。

 端を破ってリパゼルカは中の手紙を取り出す。


「ふーん……、これって他の人に見せても大丈夫なやつなんですかね」


 軽く内容を読み、リパゼルカはテティスに尋ねた。

 貴族の世界には厄介な守秘義務やら、口の軽さが身の安全に関わる事案が多すぎるので、一応の確認だ。


「単なるレースの招待であれば、そうね、大丈夫です。明らかに私文が混じっていたら気を付けた方がいいけれど」

「じゃあ平気かな。テティスさんから見てどう思います、コレ」

「拝見しますね」


 テティスが受け取った手紙は手触りが良く、思わず撫でたくなるほど質が高かった。職場の書類は全部この紙に変えてほしい。


 指先で楽しんだ後は目でも楽しむ。

 文面に視線を移し、


「でぅあっ!?」


 思わず変な声が出た。あまりにも驚いて。



『リパゼルカ・ライン様。貴女を来たる冬の日に開催される下記の星駆けにご招待いたします。

 <黎明>DR【ダイナー・レネルチア横断スターレース】

 ご参加を表明いただけましたら、詳細をまた改めてご連絡いたします。

 貴女のご助力をお待ちしております。』



 そう来るのか〜〜〜、と全文を読んだ後でもテティスの衝撃は収まらない。


 まさかのDR。

 つい数日前まで挑戦権すらなかった年若い少女に対して、DRの招待とは思ってもみなかった。


 リパゼルカが訊いてきた。


「このDRってなんだっけ? ルールの示唆?」

「違いますよ!? えっ、知らないの!?」

「<黎明>も初めてですし、そりゃね」

「半ば常識でしょう、空駆者としては知っておいてもらいたいぐらいの」


 いやしかしとテティスは思い直した。


「これぐらい無知な方がリパゼルカさんらしいか……」

「そんなに言われることなんです?」


 テティスはごほんと咳でごまかし、羨望の目で見られること間違いなしのDRについて解説する。


「DRとはもちろん略称で、正しくは『ディサイシヴレース』……正式な星駆けの時に使用される区分けです」

「……今までのは正式な星駆けじゃなかった?」

「いえ、星駆け――レースではありましたよ。ただ本来の意味で行われる星駆けではなかっただけで」


 現代でこそ娯楽と化した星駆けだが、古来より争いの象徴として扱われてきた歴史がある。

 史実として、武器や魔法を用いる全滅必死の大戦における代替手段として執り行われてきた。


 歴史の転換点。


 その勝敗が大きく歴史に関わるであろう、星駆け。

 決死の飛翔を、ディサイシヴレースと後世では呼ぶようになった。


「参加者は歴史に名を残す可能性が非常に高いですから、名誉を重んじる方々には垂涎の星駆けですよ。滅多に行われない区分です」

「そんな名誉なレースに呼ばれる理由が分からない」

「それは私もですが、おそらくは【トライアングル・タイムトライアル】が一種の選考会だったんでしょう。あれも特別レースでしたし」


 通常のレースで見つけられる素材があればそれはそれ、リパゼルカのように特異な才能を持つ者を探していたのかもしれない。


「どうしよう……」

「え? リパゼルカさんなら喜び勇んで参加の二文字で返信されるかと思っていましたが……、そこまで身体に不調が?」

「いや、さすがに負けると分かっている星駆けに参加したいとは思わないですよ」

「【トライアングル・タイムトライアル】には参加したじゃないですか」


 あれには負けると分かっていて参加したはずだが、とテティスは首を捻った。

 リパゼルカは「うっ」と一瞬言葉に詰まり、


「……こっちの星駆けは本当に得るモノもなさそうなので……」

「出場するだけで名誉とか栄誉とか……、それこそ星駆けの履歴に書いて恥ずかしくない星駆けになりますよ」

「自分で理解しているので。<黎明>クラスになると、生身では置いていかれるって。横断レースはね、無理です」

「あら、それなら今、開発している装備が完成すれば参加するんですね?」

「それは……まあ、試験にはちょうどいい星駆けではありますけど」


 テティスは懐から取り出した紙に印字魔法で何かを記載した。


「では参加する、ということでお返事しておきますねー」

「いや、しないと」

「まあまあまあまあまあ。装備が完成してから参加しようとしても締め切ってますから。開催までに装備を完成させれば全く問題ないでしょう?」

「そうかもしれないですけど、完成しなかったら?」


 少し考えて、テティスは言った。


「今まで生身で出てるんですから、生身で出ればいいですよ。リパゼルカさんならなんとかしてくれるかもしれないし」

「ならんならん、なんともならん……」


 はー、とリパゼルカが息を吐く。


「完成しなかったら、棄権しますからね」

「それは主催の領主様にお伝えください」

「ズルい……」


 ぐったりと肩を落とすリパゼルカに、テティスはぐっとガッツポーズを返した。

 だってDRなんて十年に一度レベルの貴重な星駆けに参加する担当の姿見たいし。


 テティスが勝手に代筆したリパゼルカの返答を大事に仕舞い込む。


 それから、テティスは少し息を止めた。次の話題に移るにあたって、きっかけを踏む勇気が必要だった。


「さて……と……。そろそろ聞かせてもらっても、構いませんか? いえ、私が伺っても良い事なのかも分かりませんが……」


 テティスが遠慮がちに尋ねると、リパゼルカは何でもないことのように平然と頷いた。


「なーんでもいいですよ。テティスさんに隠してることなんか何もないですし。ただ言ってなかっただけで」

「そうでしたね……。私もあなたには何も訊いてきませんでした」


 仕事のスタンスとして、あまりプライベートには深入りしないのがテティスのやり方であったが、もっと選手のことを――リパゼルカのことを知っておくべきではなかったのか。

 時が凍りついたかのような部屋を目の当たりにして、テティスの心には興味よりも先に後悔が立った。


「この部屋の様子は何? ご両親はどうなさったの? 何より……リパゼルカさん、あなたのあの眠っている時の様子……あの尋常ではない寝姿に問題はないの?」


 およそ何もかもの全てが知りたいといった様子のテティスに、リパゼルカはやはりこっくりと頷いて見せた。


「順番にお話し、しますよ。少し長くなりますけれど」

「構いません。今日はまだ長いですから」


 テティスは一度深呼吸を入れ、落ち着いて見えるよう微笑む。

 リパゼルカも釣られるように笑みを浮かべた。

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