4-6
「そんな……」
テティスは何かを言おうとして、しかし想いを言葉に変換出来ないでいた。
想像もつかない過去と未来に待つ苦難を背景にするリパゼルカに対し、掛けるべき言葉とは。
「テティスさん」
リパゼルカはただ、そこに佇むのみ。
「“わたし”はまだ諦めていません」
「……っ!?」
確かに動いている心臓を、その小さな拳で叩く。
「たったの一欠片だとしてもリパゼルカの心はここにあり、それを燃料に“わたし”は稼働している。であるならば、最後の最期まで抗い、闘うつもりです。“リパゼルカ”はまだ生きている」
力強い台詞の中に嘘や諦念はなかった。ただし熱量も感じられない。
リパゼルカは存在を見失ってしまいそうなほど透明な声で言う。
「これは――“わたし”が“リパゼルカ”を取り戻す闘いです。わずかに残されたこの心が燃え尽きぬ限り、“わたし”は定められた宿命に逆らい、空を飛びます」
「――そうじゃない……っ」
「……えっ?」
テティスが魂の奥底から絞り出した言葉に、“わたし”は戸惑いを返した。
単なる“わたし”の意思表明に反する台詞があるとは思ってもいない。
テティスはいつの間にかきつく、きつく握りしめていた拳を開いて、嗅ぎ慣れぬ雰囲気に強張っていた自身を解放するように振り払う。
「そうじゃ、ないでしょう! あなたは間違いなくリパゼルカ! リパゼルカ・ライン!!! そうじゃなかったら、あなたは誰だって言うんですか!?」
「わたしは……“わたし”。“リパゼルカ”の抜け殻でしかない。リパゼルカだった時を演じているだけで、それは以前も今も、これからも変わりません」
「そんなはずがないッ!!!」
胸を震わせて怒鳴るテティスの声は……届いていない。リパゼルカの眼前に唐突に現れた透明な壁を叩いているかのような感覚が残った。
だがしかし、
「リパゼルカさん。私はあなたが頑張る姿をずっと見てきました。思い通りに飛べない苦しみも、相手に置いていかれる悔しさも、今までの全部が嘘だって言うんですか!? 初めてレースに勝った時の喜びや、私の意見を跳ねのけた頑固さも!」
そんなはずはない、とテティスは思った。
演技や嘘で塗り固めた自分で飛び続けられるほど、星駆けは簡単なことじゃない。
「嘘ではありません。“リパゼルカ”であれば、あのようにする」
「あなたの気持ちは一片も混じっていないとでも!?」
声を荒げるテティスとは対照的に、やはりリパゼルカは静かに問う。
「そんなに怒られるようなことですか? テティスさんと出会った時からわたしは何も変わっていないのに」
「ええ、私にはあなたを怒る権利がある」
「なぜ? 結果的に騙してしまうような形になったから?」
「私はあなたの担当だからです。間違っている時に正してあげるのが、私の責務です!」
「わたしが、間違っている?」
テティスは言う。
「絶対的に、完全に、圧倒的に。あなたは間違っています。そして、そのままであるのなら、いくら強力な装備を得たとしても勝つことは不可能です」
「……どうして、そんなことが言えるの」
「逆に、私以外の誰があなたにこんなことを言えると思うんですか? 私はあなたを一番長く見てきた人族ですよ。はたして的外れな意見かしら」
字面だけ見ればおちょくっているような言葉回しに、リパゼルカはわずかに顔を歪める。
テティスはそこに勝機を見た。
「今、ちょっとムッとしましたね? 心が死んだなんてよくも言えましたね」
「してないです。わたしは<黄昏>でも勝つつもりでいます。負けるつもりなど塵ほどもありません」
「そこ」
テティスが指を差す。
「私が知るリパゼルカさんは、今、そこにいる。負けず嫌いで思い込みが強くて、空を飛ぶことに全力の人」
「“わたし”は――」
「衝撃的な事象で心に変調をきたすことはよくあることです。例え人が変わったように思えても――」
二人の間に静かに横たわる透明な壁に、テティスは歩み寄り、その指先で突いた。
「――あなたはリパゼルカ。他の誰でもない」
「“わた、し”は……わたし……? ……ぅう……っ」
空想の壁は突如砕け散り、呻きながら身体を折るリパゼルカ。
慌ててテティスが駆け寄り抱き留める。
死んでいるのかと紛うほど冷たかった身体が、今度は爆ぜるかのように熱い。
「テティスさん……わたし……」
「あなたが抜け殻だなんて、そんな言い草、信じません。あんなに楽しそうに飛翔しておきながら演技だなんて、誰が信じると思うんですか」
「楽し、そう?」
「気付いていないんですか? リパゼルカさん、あなたが会心の飛翔を見せる時、いつも笑みを浮かべていること」
テティスが見込んだリパゼルカの資質とは、生身で闘い抜ける技量などでは決して、ない。
どんなに辛く苦しそうに思える展開でも、ニヤリと笑ってみせる、その精神性だった。
心の底から楽しそうに飛ぶ、その姿にテティスは魅せられたのだ。
それが偽物だなんて、演技だなんて、信じられない。
仮初めの人格だとしても、テティスが触れてきたのは今のリパゼルカだ。
そのリパゼルカが死に向かって飛んでいるだなんて、絶対に信じてやれなかった。
「リパゼルカさんが心を失った結果生まれたのがあなたなのではない。今も昔も、リパゼルカさんであることは変わらない。変わったのは、その在り方だけ……だと私は思います」
「在り方……」
「昔はもっと天真爛漫だったのかもしれませんが……人生の過程で形質を失うことすらよくあること。新たに得るものと合わせて、それを成長と呼ぶのです」
もしかしたら本当にリパゼルカの心は破壊されているのかもしれないが、テティスはそれを認めるわけにはいかなかった。テティスが認めなければ、壊れていないことになると信じた。
偽証のような、上辺だけを取り繕う綺麗な言葉をテティスは並べる。
リパゼルカが信じ込んでしまいそうな、信じたくなるような台詞を考える。
このままリパゼルカを送り出してはならないと、テティスの直感が言っていた。
リパゼルカの煌めいて見えた資質とは、燃え尽きる直前の流れ星のようなものだったのかもしれない。
過去のリパゼルカと今のリパゼルカを別の人間だと思っていて、過去のリパゼルカを生き返らせるためになら今の自分はどうなっても良いのだと。
そんな犠牲願望、実現させるわけにはいかない。
「昔のあなたなど知りません。私が入れ込んでいるのはあくまで空駆者のリパゼルカ・ラインであって、きちんと帰ってきてほしいのは今のあなたなんですよ――」
……と、後に思い返しては恥ずかしさで悶えそうな台詞をぶつけている途中で気付く。
ぐったりと力の抜けたリパゼルカは、テティスの腕の中で熱い吐息を落としている。瞼は閉じられて、意識は夢うつつ。
「なんで寝てしまっているんですか……」
さっきまで死体のように寝ていたというのに。
テティスには想像の付かない事象だが、病み上がりの身体に心の軋轢を加えるのは、非常に重い負荷だったのかもしれない。
「全く、目を離せませんね」
久方ぶりにテティスは強化魔法を自身にかけると、前抱きにしていたリパゼルカを背中に載せる。
思い出の残る家なのだろうが、こんな冷たい家で療養などさせられない。テティスは自分の部屋にリパゼルカを持ち帰るつもりであった。
赤子のような熱量で眠るリパゼルカを凍えさせるような家に居させてはならないのだ。
呼吸の瞬間さえ感じられそうな血熱が肌を通じて伝わってくる。
そのくせ、無垢な寝顔は穏やかに微笑んでいる。
「……これが亡霊の表情なもんですか。その思い違い、徹底的に叩き潰してあげます」
よっこいしょ、と年齢の割には軽いリパゼルカを背負い直し、気合も新たにテティスは冷たい部屋を後にした。
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