3-7
「よぉ、ベベル。調子はどう……いや、大丈夫か? すげぇ顔してるぞ」
「ザム……ザムさんか。身体的には問題ないが、精神的に折れかけてる。その自覚がある」
レースの開始五分前。
スタート地点に集まった第一飛翔者たちが情報収集を兼ねて、話しかけながら相手の顔色を窺っている。
その中において、一番顔色が悪いのは、間違いなくベベルであった。一人離れた後方でえずいている。
リパゼルカの相方というところで気にかけている『DPS』が様子を見るのも当然ではあろうが、ベベルはその疲弊を隠せるような状態ではなかった。
原因となったブツをベベルはザムに差し出す。
「リパゼルカ曰く、試作秘密兵器だそうだ。ザムさん、あんたも一つどうだ」
包みを開けると見た目は何の変哲もないブロック型のクッキー、あるいはビスケットのように見える。レース前の小腹にぴったりのサイズ感だ。
「お、おお悪いな、いいのか?」
「データとやらが必要らしいから、感想を伝えてやってもらえれば」
ザムはベベルの妙に強く感じる押しに負け、そろそろと手を伸ばし、
「……いや、ちょっと待て。もしかしてこれはアイデアル研究室の製造物か?」
「そのあたりは聞いていないが、魔法力の回復増進を促す試験食だと言っていた」
「あからさまに“そう”じゃねえか! 俺は二度とトッテマ先生の手料理は食わねえって決めてんだ! おい、離せッ!」
「そんなこと言わずに味見ぐらいどうだ。リパゼルカからも“よろしく”と」
引っ込めかけたザムの手をがしぃっと掴み取り、無理やり指を開かせてブロックを押し付けるベベル。それを絶対に受け取って溜まるかとかつてないほどの握力を発揮するザム。
「アレを食うぐらいならお嬢の不興を買う方が万倍マシだ、少なくとも死なないからよ!」
「安心しろ、オレは食べたが生きているだろう? 少しばかり顔から元気がなくなるだけだ」
「ちょっと食べただけで精気に満ちた大の男が血の気無くなるのはもはや毒なんだよ!」
「分かった、そういう感想だったと伝えておく」
「えっ……」
ベベルはそう言って、ザムの手を離した。
「オレはその開発者の人となりはよく知らないが、研究畑の人は凝り性だと聞くしな。ザム、あんたが美味いと思えるようになるまで、頑張って研究をしてくれるんじゃないか」
「いやあ、急に腹が減ってきたなあ! 今日だけなら実験でもなんでも付き合ってやるから、ベベル、そいつを一つくれねえか!?」
「そうか、助かる。リパゼルカが山ほど持ち込んできたけど、全然減らなくて困ってたんだ。レースが終わったら渡しに行く」
「えっ……」
呆けているザムの手に砂よりは美味いブロッククッキーを乗せ、ベベルはスタートラインに向かって駆けだす。
地面を蹴って加速を得たベベルは、レース開始の号砲と共に最後方から全員をごぼう抜きして、先頭へと躍り出た。
「なんだあいつは!?」
「あの加速はスタート前から飛んでなきゃ無理だろうが!」
ベベルがリパゼルカとのレースで得た知見だった。
レースによっては妖精族が流れを追うことがある。妖精族は幻影魔法を得意としており、自身の視界を遠くの壁や空間に映し出すことが可能だ。
【トトガンナ・スパイラルレース】でも、トトガンナに住んでいる物好きな妖精族がレースを視界に捉えていた。
妖精族の幻影魔法は記録媒体への保存も可能だ。魔法戦闘の映像集も、幻影魔法によるもの。
ベベルは自身が負けたレースの映像を購入し、なぜ負けたのか、リパゼルカの動きを研究していた。
市街地におけるコーナーの処理の差も大きかったが、ベベルは別の重要な点に着目した。
「ハッ、早速効果覿面じゃねえか!」
自身の足による疾駆で加速を得る技術。
大半の空駆者は重量のある外装を装備している。そして速度制御は外装に委ねている。
外装への魔法力供給は開始するまで許されていないことを考えれば、スタート時点での初速は紛うことなきゼロだ。
そこに多少の加速を得た外装が飛び込めばどうなるか。
ごみごみとして乱雑に込み合ってスピードを出そうにも出せない前方と、誰もいない場所から走り込んで初速を得た外装が邪魔されることなく飛び上がれる後方。
ベベルは誰よりも早く、高く飛び上がり、一気に後方から先頭へと突き抜けた。
予想していない形での奇襲。
それに追翔する影があった。
ザムだ。
呆けている間を突いた的確な奇襲ではあったが、すぐさま精神を立て直し、ザムはベベルの後を追っていた。
ザムは本来『DPS』でシールダーを担当している。ゆえに普段であれば、超重量級の防衛向き外装を装着しているところだが、今回はコース設計上、逆に超軽量の鳥獣外装を持ってきていた。
それが功を奏した。
最も飛ぶのが速い種族の一つ、鳥族を模した外装はトップスピードへの到達速度や取り回しに重点を置き、防御力は捨て去ったもの。つまり使用金属が少なく、ベベルよりも走る上での負荷が少なかったのが遅れなかった理由になる。
ベベルとザムは山肌の内側に取り付くと、螺旋を描いて鐘楼へと向かって登っていく。
広間から見ると白い蜘蛛の糸のように見えた路が、明確に壁となって行く手を遮る。
路の下を潜るのはベベルで、上を羽撃くのがザムと綺麗に分かれる。
ガイドに沿って登っていく関係で余計な角度を付けるのはロスになる。
できる限り、加減速の回数を減らしたいとベベルは糸路を躱した後で角度と速度を調整。
ザムはその鳥型外装のメリットを存分に使用し、糸路を上に避ける。
鳥型の最大のメリットは、速度を維持したままの軸移動がしやすいところにある。
どのようなコースであろうと、最も早くゴールに到達する最短経路は変わらない。
だが、それぞれの選手が最も早く飛べる経路は、各々で変わってくる。
それは使用する外装の種類であったり、身体の柔軟性など個人の資質によって変化し――そして、それを正しくなぞって飛べるかは、飛んでみないと分からない。
当日の天候、相手の有無、自分の体調……様々な要因が絡み合う。最高の飛翔を目指してはいるが、そう簡単にできるものではない。
その最高の飛翔に重要な、基礎にして奥義とも称される『軸取り』。
回転パリィの安定や水平を保つための説明によく使われる、自身の中に一本の軸を持つこと。自身の中心に、一本の真っ直ぐ通った芯を入れること。
意識の話、あるいは鍛えられた体幹の話とも捉えられるが、強い空駆者には間違いなく強い軸がある。
軸があるとまず姿勢が綺麗にまとまり飛翔が安定する。綺麗な姿勢は、不格好に風を受けない。
飛翔が安定すると全体のコントロールが容易くなり、速度を出しやすく、また不測の事態も察知が早くなる。
軸は、空駆者の背骨にも例えられる。
背骨の無い人間が早く飛べるはずもない。
ただし、軸はその性質上、激しい機動についていけない場合がある。安定から生まれるものであり、そこから外れた場合は軸を失う。
ゆえにどれほどの軸をどのように持てるかが重要になってくるわけだが、鳥族を始めとした翼を持つ種族は羽撃きで軸を移す技術に長けている。状況に応じて軸を変化させることなく、今使っている軸をそのまま持っていく。
飛翔の安定感や速度で追随を許さなくて当然だ。理論ではなく本能で行うからたまらない。
他種族特有の飛翔技術を外装で再現したものが模倣外装であり、鳥獣型は操作がシビアな代わりにかなりの精度で軸移動を再現していた。
ザムの外装捌きは、メインで使用していると言われても頷ける、そういったレベルにあった。
羽撃き一つで軸を上下に動かし、なめらかに最速経路をすり抜けていく。ベベルは少しずつ開いていく差を唇を舐めて見ているしかなかった。
しかし、このまま置いていかれるか、と思ったところで風向きが変わった。
ザムが経路を変えて、ベベルの近くに寄ってきたのだ。
「ベベル、このまま二人で逃げねえか?」
「乗った」
「よしよし」
正直なところ、ベベルの当初の目論見は破綻していたので、この申し出はありがたかった。
意表を突いて一人逃げをかますつもりだったが、一番厄介な相手にひっつかれてしまった挙げ句に置いていかれる寸前だったわけだ。
メイン集団に吸収されることもチラリと頭を過ぎったくらいだ。
それよりは当初のプランに近い二人逃げの方がマシだ。人数の多い方が消耗も少ない。
ザムはせっかく前に出れたから逃げておこうぐらいの感覚だろう。逃げるなら人数はやはりいた方がいい。
ベベルが足手まといにならない程度には飛べることを確認してから誘ってきた。経験値が違う。
経路選択の難しそうなところはザムが先導し、直線的なルートはベベルが速度を上げて引っ張っていく。
交互に先頭を進みながら、眼下のメイン集団を観察する。山肌の内側を螺旋に登っていく関係で、集団は目に入れやすい。そこまでは想定内であったが、さほど離せていないのは想定外だ。
「初っ端から上手くいかないな……」
「俺はお陰様で逃げに乗れたがな。まー、逃げ切るのは無理っぺえけどよ」
ベベルの呟きを耳聡くザムが拾った。
「ザムさんなら、囮でも使って逃げ続けるかと思ったが」
「やるにしても第三区間だろ。それに無駄だろうしな……誰が牽いてんのか知らんが、あのメイン集団はちょっとおかしいぞ」
「おかしい?」
ザムはこっくりと頷いて、再びメイン集団の先頭――鈍色の槍を連想する外装に視線を当てた。
「逃げを捕まえに動くのが早すぎる。集団が瓦解するんじゃねえか?」
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