第15話 モーニング

《3章》

 寮生活の朝は早い。

 小鳥のさえずりがチュンチュンと響く中、僕は目を開けまいと必死に抵抗した。

 頑張れ、睡魔! 負けるな、睡魔!


 今日は休日、待望の日曜日。

 規則正しい生活を心がけるなんてお題目はおさらばだ。

 それがホリデー。


 天地創造に勤しんだ神でさえ、7日目は休暇を選択したらしい。

 然るに、神の子たる我々はその慣習を踏襲すべく――


「いつまで惰眠を貪っておるのだ、久能明爽!」


 バサッ! と、掛け布団を剥がされた。

 あぁ、脳が覚醒していく。辛い現実に引き戻される感覚はいつも無情だよね。


「待って、僕の睡魔たん……」

「妄言を垂れ流すな。目覚めが悪ければ、私が活を入れてやろう」


 五十嵐さん、木刀の先端で頬をグリグリしないで。


「起床っ」


 さよなら、まどろみをくれた睡魔たん(ソシャゲに出てきそうな萌えキャラ)。

 これからは、現実と折り合いをつけて生きていくよ。

 仕方がない。これが、大人になるってことだ……

 大事なものが忘却の彼方へ旅立ち、僕はまた一つ強くなった。


 閑話休題。


 明爽です。

 本日早朝、綺麗な女子に起こされるというラブコメイベントを体験しました。

 胸の鼓動が止まなかったのは果たして、ときめき?

 いいえ、ただの緊張感です。生命の緊急アラームが正常に働いたと感謝しよう。


「む。貴様、その残念そうな顔は何だ?」

「いやね。五十嵐さんみたいな子が優しく起こしてくれたらなぁ~って。素晴らしい1日の始まりになるんじゃないかって」

「ふんっ。極めて優しく起こしてやっただろうに。現に、愛刀を振り下ろさなかった」


 五十嵐さんは腕を組むや、そっぽを向いてしまう。


「そう、なぜか叩き起こさなかったのだ。久能明爽……軟弱者のくせに、私の心をかき乱す。やはり、可及的速やかに討つべきか」

「敵じゃないよ! 味方、味方っ」


 お侍さまに懇願する庶民よろしく、僕が両手を合わせるや。


「中庭で精神統一の素振りをしてくる。貴様はあの二人を起こしておけ」

「承知!」


 五十嵐さんがそそくさと部屋を後にする。

 ドアが閉まる音を聞き、思わず独り言ちた僕。


「初日と比べて、コミュニケーションが結構マシになったかな」


 彼女の男性嫌いの節は依然残っているが、完全無視や暴力制裁はかなり薄れていた。

 この変化を、僕たちの担任ならきっと、全部ワタシのおかげじゃなぁ~いとのたまうね。


 ま、ちっとも0じゃないけどさ!

 両手で数えられるようになっただけでも、進捗OKです。

 僕は、いそいそと行動を開始した。


 珀さんのロフトへお邪魔することに。

 相変わらず、ゲームやPCの配線がグチャグチャ。床には、ヨガマットとバランスボール。その上に、ウサギガールが倒れている。結果にコミットしたのかな?


「すぴ~」


 ベッドに近づくと、珀さんが油断した顔を覗かせた。

 いつもの小悪魔感はナリを潜め、完全に天使の様相。

 いと、あいらし。

 美少女の寝顔を拝めるのは、貴族の趣味なりけり。


「珀さん、おーい。そろそろ起きないと、怖い鬼がやって来るよ」


 棍棒じゃなくて、木刀持ってるタイプの女夜叉。


「うにゃ。あと、10分……」

「それくらいならまあ、誤魔化せ」

「と、加えて、170分で……」

「3時間コース!? 絶対、雷落ちるぞ!」


 僕のリアクションを目覚まし代わりに、珀さんは眠り眼を擦りながら。


「おはよう、明爽くん。ぷりちーな女子の寝顔は満喫したかい?」

「あ、うん。すごく可愛かったです。あと、ペラペラなルームウェアが良い」

「今日も正直が過ぎるぜ、君は。まあ、悪い気はしないよん」


 珀さんは目を細めたまま、寝ぐせを手でクシクシ梳く。


「ふわ~。なんだ、まだ7時じゃないか。ボクは三文の徳より、3時間の二度寝を選ぶ」


 そう言って、再び横になった珀さん。


「明爽くん、知ってるかい? 日曜日は、寝て曜日さ。日頃の疲れを癒すためにも、ゆっくりさせておくれ。ふふ、なんなら、ボクの隣空いてるぜ?」


 珀さんが、温もり溢れるスペースをポンポン叩く。

 ルパンダイブの衝動に駆られたけれど、僕の脳裏で鬼人の眼光が瞬いた。


「残念だけど、先に命令を受けちゃって。恐怖は人を支配するんだ」

「忠実な部下は辛いね~。よ、手下上手っ」

「全然、褒めてないよねそれ……」


 僕は、ガックリと落胆するばかり。


「澪ちゃんが戻れば挨拶するよん。ボクはそれまでレム睡眠。君は先に、ナナちゃんの寝込みを襲いに行けばいいさ。まったく、プレイボーイはお盛んじゃないか」

「僕にそんな度胸はないよ」

「へー。でも少なくとも、女子を三人手籠めにする予定だろ?」

「コンカツ! コンカツの話ね!」


 クスクス笑って満足したらしく、布団を被った珀さん。


「おやすみ~」

「珀さん。鬼に追いかけられる夢が、現実で起こらなければよいね!」


 僕は捨て台詞を残して、堀田さんのロフトへ移った。

 小物やリモコンの位置が整理整頓された空間。

 テレビの縁まで掃除が行き届き、堀田さんらしい几帳面さが窺えた。


「……え?」


 僕は一瞬目を疑う光景に遭遇していく。

 まるで、本人のイメージと重ならない。


「いやいや。まかさ!」


 何かの間違いかもしれない。もう一度良く、目を凝らそう。

 僕の目には、ベッドから転げ落ちたような格好の堀田さんが映っていた。

 足を枕に乗せて、腕立ての途中みたいなうつ伏せスタイル。パジャマがめくり上がり、背中をチラリズム。きらびやかな金髪を前方へ投げ出すや、無造作乱れ髪。



「え、事件!? 殺人事件っ!?」


 ――死んでません。寝息、ちゃんと聞こえるでしょ。

 堀田さんの寝相がすこぶる悪いとは予想できず、つい狼狽しちゃったね。

 このアクロバティック寝相が珀さんならば、解釈通りと納得したけどさ(失礼)。

 さりとて、堀田さんの現状に気が動転した僕。


「い、一体、誰がこんなひどいことを……っ!? うぅ……仇は取るよ……っ!」


 俯くな、久能明爽。お前が彼女の無念を晴らせ。

 それが、コンカツパートナーへの手向けってもんだろう!

 あられもなくもない姿な堀田さんが忍びなく、彼女を担いでベッドへ寝かせようとしたちょうどその時。


「ぐっ」


 突如、胸ぐらを掴まれた。

 追い詰められた犯人の抵抗ではなくて、それは眠り姫の腕力でした。

 先方の引き手と崩しの捌きがスムーズで、気付けばベッドに転がされていた僕。


「体落としっ!?」


 刹那、中学時代、廊下で先生に食らった体落としを思い出した。

この手際。あぁ、懐かしい。それくらい脳天に衝撃が走ったね(正気)。

 しっかり固め技も頂戴し、一本取られた上に技あり判定。

 否、審判がおらず、このままでは引き分けだなあと思えば。


「もうおしまいですかぁ~。わたし、大外刈りが一番得意なんですよぉ~、じつはぁ~」


 煽られた。

 万能AI味を感じたけれど、彼奴ほどストレスは感じない。

 やっぱり、HUKAN先生は凄いや。


「堀田さん、堀田さん。伝家の宝刀は今度披露してもらうよ。目覚めの時だ」


 顔が近い。まつげ長いね。唇は薄桃色。全体的に柔らかい。香水使ってる?

様々な感想がゴチャゴチャに交ざりながら、僕はどうにか身体を揺らしていく。


「んん……おはよう、ございます……」


 僕を視認して、こくりと頷いた堀田さん。

 夢見がちなお嬢さんはどこかへ消え去り、パッと大きく目を見開いた。


「え、えっ。久能くん!? ど、どうして、わたし、一緒に寝てるんですか!」

「決まり手は、体落としでした」

「はい? え? 体落とし?」


 頭上にクエスチョンマークが浮かびそうなほど困惑顔の堀田さん。

 僕は、現状に対する理由をかくかくしかじかと語ろう。


「――つまり、わたしの寝相の悪さに巻き込まれてしまったと。久能くん、ご迷惑かけましたね。いつか起こると案じていたのですが、まさかこんなに早く訪れるとは……」

「もしかして、堀田さんは思い当たる節があるの?」

「はい。小さい頃からよく朝起きた時、枕をパジャマの中に隠したり、ロールケーキみたいに布団に包まっていました」


 堀田さんが、照れくさそうに笑った。


「意外とダイナミックだね。流石、堀田さん」


 何が流石か分からないけど、とりあえずフォローしたつもりになる。


「恥ずかしい癖なので、ゆのんさんと澪さんには内緒にしてください。二人の秘密ですよ」

「か、かしこまっ」


 耳元で美少女に囁かれると、もにゅっとするね。

 いとこそばゆしと感慨に耽れば。


「あ、でも! 今回はわたしが原因ですが、目が覚めてすぐ、久能くんが寝込みを襲いに来たんじゃないかって勘違いしちゃいました! 意識がないことをチャンスとばかり、あんなことやこんなことまで!? うぅ~~~~、ダメですよそこはぁ~~っっ!? わたしたち、健全な関係を築くパートナー同士なのに好いではないか~~っっ!」


 そして、悶絶である。


「今日も調子はばっちりか」


 覚醒の飛躍が常人の域を超えている。きっと才能ってやつだ。

 僕がそろそろリビングへ向かおうと、身体を起こしたタイミング。


「久能明爽! 堀田ナナミーナはまだ起きんのか? 珀ゆのんが朝食を催促しているぞ」


 それは何の前触れもなくやって来た。


「あっ」

「む」


 ここで突然、状況を俯瞰してみよう。あまり使いたくない言葉だけどさ。

 第三者が僕の醜態をご覧になられた場合、どんな結論に達するか。


「……貴様、何をしていた?」


 五十嵐さんが眉をひそめている。

 視点を変えればあら不思議。

 冴えない男子が、ベッドに可憐な女子を押し倒したシーンに見えちゃうね。やらしいね。


「ハッ! ち、違うよ! 僕は何もやってないっ。無罪だ!」

「語るに落ちたとはまさにこの瞬間。論こそ証拠。久能明爽、正体現したな」


 いつもの得物を構えた五十嵐さん。


「欲望に満ちた貴様の性根、今こそ断ち切らん」


 彼女の踏み込みは、速すぎて目で捉えること叶わず。

 さりとて、振り下ろされた一撃は僕の額に届かない。


「なに。白羽取り、だと!? 貴様、その得手をどこで?」

「ふぅー。ちょっと、通信講座を嗜んでいるんだ」


 危機管理として、『誰でもできる手刀の全て』は昨日履修したばかり。


「往生際が悪いぞ、久能明爽! 大人しくすれば、痛みはないぞ!」

「たった今、やられるところだったよ! それでも僕はやってないっ」

「嘘をつくな。堀田ナナミーナが未だ顔を紅潮させ、悶え苦しんでいる様は何だッ」


 未だ、妄想に支配されているだけさ! 彼女はまあ、残念だからね!

 なんて叫べるはずもなく、僕はぐぬぬと耐え忍んだ。

 この一件を弁解するには、寝相のくだりを白状しなければならない。それはダメだ。さっき、堀田さんと約束しちゃったよ。二人には秘密にすると。


「貴様の動向に神経を尖らせてしまうのはやはり、虫の知らせゆえか!」

「別の虫の意見もちゃんと聞いてあげて!」


 徐々に押し込まれ、そろそろ腕がプルプルきつい。

 正義が必ず勝つなんて嘘である。

 歴史は常に、勝者の日記。即ち、勝った者が正義なのだ。


 哀しいかな、敗者は無残に散るのみ。

 僕は、ゆっくり天を仰いでいく。


「えぇ~、久能さん、年貢の納め時みたいねぇ~。うんうん、ワタシ万能だからぁ~、公平に町奉行開いちゃうなぁ~」


 天におわすは、スイカ柄のパジャマを着たHUKAN先生。

 両手を合わせて、胡散臭い笑みを携えた。


「五十嵐さん、せっかちな判断じゃなぁ~い。ただの勘違いなんですよ、じ・つ・は」

「現行犯だぞ、教諭! このような狼藉を見逃して、教育者を名乗る資格はないッ」


 そうだ、そうだ! ……あれ?


「五十嵐さんには、もっと視野を広げてほしいなぁ~。真実は一つだけじゃないんです」


 HUKAN先生がパチンと指を鳴らすや、万能AIの超技術を披露した。

 カーテンをスクリーン代わりに、僕が体落としを食らう先ほどのシーンが流される。


「これは……」

「久能さん、呆気なく組み倒されちゃうタイプぅ~? ワタシみたいに、インナーマッスル鍛えなくちゃダメじゃなぁ~い。体幹ですっ」


 スイカみたいな腹を揺らした、我が担任。

 僕が五十嵐さんの木刀を拝借し、夏の風物詩を先取りする間際。


「これではまるで、堀田ナナミーナが久能明爽を押し倒したように見えるな」

「まあ、ワタシは体落としより腰車が得意なんですけどね」


 HUKAN先生の変な張り合いは無視しておく。

 バツが悪そうな五十嵐さん。心なしか、ポニーテールも元気がない。


「久能明爽!」

「はいっ」


 カッと睨まれ、ビクンとしちゃう。


「此度は、私の早とちりだったようだな……す、すす……すまない」

「!?」


 あの五十嵐さんが、僕に頭を下げた!? 非を認め、謝罪だって!?

 僕は、あんぐりと口を開いてしまう。今、桜餅を突っ込まれても気づかないレベル。でも、喉につかえてむせちゃうね。


「分かってくれれば、僕は満足だよ」


 うんうんと頷いた。

 大体いつも、五十嵐さんが人の話を聞かないからでしょ!

 この際、至極真っ当なツッコミは胸の奥に納めよう。彼女の成長に、乾杯。


「なぜ、正直に言わなかったのだ。貴様が早々に釈明すれば、事を荒立てなかったものを。次は、頼むぞ」

「……」


 なぜって? ははーん、面白いことを聞くなあ。それはもちろん。

正直に言っても、信じないでしょ! 五十嵐さん、頑固だからね!

 木刀を振り回す前に、頭を柔らかくする体操して、どうぞ!


 まだ胸ポケットにあるツッコミに手をかけたものの、持ち前の自制心を発揮。

 僕は、ふか~いふか~い深呼吸をする。よし、落ち着いた。


「あの、ごめんなさい! わたし、もう平気ですから!」


 堀田さんが勢い良く立ち上がった。


「おはよう」

「ふふ。挨拶はさっきしましたよ?」

「もう一度言う意味はあるけどね」


 妄想から目覚めた分だよ。


「なるほど?」


 堀田さんは首を傾げるや、視線を移した。


「久能くんはわたしの寝相の悪さを告げ口しませんでした。ちゃんと約束を守ってくれる、律儀な人だと思えませんか?」

「堀田ナナミーナ、その純粋そうな瞳で直視するな。狂気さえ飲み込むような魔性、誤魔化せんぞ」

「ねっ」

「クッ……! ああそうだな。その通りだとも!」


 プイっとそっぽを向いてしまう、五十嵐さん。


「存外、私が警戒すべきつわものはお前なのかもしれない」


 バトルモノみたいなフラグはやめて。コンカツは、異能力使いません。


「みなさん、丸く収まったじゃなぁ~い。ワタシです、ワタシの機転で解決しました!」

「寝相の件を最後まで隠せれば凄かったです。先生、万能なんですよね?」

「えぇ~、久能さん、重箱の隅をつついちゃうタイプぅ~? 先端が潰れた爪楊枝じゃあ、残ったご飯粒も取れないんですよ、じ・つ・は」


 イライライライライライラ。

 やっぱり、万能AIの煽りはブチッと来るや。

 心を落ち着かせる自己啓発本を注文しかけた瀬戸際。


「君たちー、ご飯まだー? ボク、お腹と背中がくっつくぜ?」


 ひょっこりと、珀さんがロフトに顔を出した。


「まったく、朝からダラダラ揉め事は感心しないよん。ボクみたく、シャキッと集合してくれたまえ、シャキッと」


 そして、ドヤ顔である。


「そだねー」


 釈然としない中、僕は空っぽの返事をする。


「バツとして、みんなのおかずを一品徴収しよう。澪ちゃん、シャケを献上せよ!」

「何、だと!? それだけは……私の好物だぞ……頼む、後生だッ。珀ゆのん!」

「え~、一人待ちぼうけされたボクの傷心は深いんだよん」


 僕に一瞥をくれて、珀さんは頭の後ろで腕を組みながらリビングへ下りていった。

 五十嵐さん、堀田さんもあとに続く。


「うんうん、まとまりが出てきたじゃなぁ~い。横の繋がり、育てますっ」


 HUKAN先生が満足そうに独り言ちていく。

 さりとて、僕は万能AIが注視しない漠然とした違和感を覚えていた。

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