第13話 ペットショップ

 ペットショップの店内は、明るいライトで照らされていた。

 ケージごとに、ワンちゃんネコちゃんが分けられている。

 ペット専用の美容院やクリニックが併設され、我が物顔で飼い主に抱っこされている子がチラホラいました。


 大方は、オモチャやおやつコーナーへ視線を注いでいる。欲望に正直だね。

 可愛い動物に眼もくれず、僕はお目当ての子を探す。

 店の中心へ向かうと、特大ショーケースの前に一際目立つ凛々しい女子の姿あり。


 五十嵐さん、発見。


 僕はやれやれとため息をこぼし、声をかけようとした。近づこうとした。

 しかし、歩を進められなかった。

 躊躇したのは五十嵐さんが怖いとか恐ろしいとか殴られそうとか、単純に嫌われているなどという感情論うんぬんではなく――


「よ~しよしよし。おまえ、かわいな~、ぎゅ~ってしちゃうぞ。ぎゅ~~~~っっ」


 ショーケースを開け放ち、五十嵐さんはチワワと戯れに興じていた。


「ほ~れほれ~、ここがいいのかここがぁ~、おぬしもすきよのぅ~」


 チワワのお腹に顔を埋める五十嵐さん。


「せなかわしゃわしゃわしゃ~、けなみもふもふ~」


 五十嵐さんが、チワワの背中をブラッシング。


「……」


 戦慄。

 開いた口が塞がらないとはこのことか。そうだよ。

 仏頂面の化身だと思われていたあの五十嵐さんが……

 彼女の幸福に満ちた表情に反比例するかのように、僕の顔は狼狽に支配される。


 うん、ここは引こう。僕は何も見なかった。戦略的撤退。

 けっして、逃げることは卑怯ではない。

 無駄に命を散らすことが恥なのだ。


 偉い人が断じたかもしれないセリフを胸に、くるりと回れ右。

 でもね、人は緊張状態において簡単なミスをやらかしてしまうもの。

 ガンッ!


 どうやら、ドッグフードの棚に思いっきり足をぶつけたようで。


「……っ!? く、久能明爽っ!? い、いつだ……いつからそこに……っ!」

「いや、いやいやいや! 全然いないよ! 僕、存在感ないし! いてもいなくても変わらないね! つまり、何も見ていないことと同義! 目撃してないったら!」


 チワワをポロリした五十嵐さんに、僕はソクラテスもかくやというほど弁明を図った。

 五十嵐さんが無類の動物好きだったなんて存じ上げない。

ほら、これってすごく無知の知だよね?


「……そこを動くな、久能明爽……私は今、貴様とじっくり言葉を交わしたい気分だ……」


 やる気満々、意気沈痛。

 先方は、完全にヤる気だった。

 チワワをショーケースに戻すや、ゆら~りと肩を揺らした五十嵐さん。


「逃げていいんだっ。逃げていいんだッ」


 目の前に重症の女子がいても、僕は見捨てる覚悟だ!

 世界を救う以前に、僕を救ってくださいお願いします。

 ペットショップ脱出を企て、スタートダッシュは成功。


 床を蹴った俊足が、コーナーで差をつけろと――しかし、回り込まれた。

 僕の命を脅かす魔の手から逃れんと抵抗を重ねた結果。


「どこへ行くというのだ? 私を探していたのだろう? 私はここにいるぞ」


 ネコちゃんゾーンの壁に追いやられていた、僕。


「これが袋のネズミー……」


 ハハッ。

 正気を保つために冗談を嘯いたつもりが、笑い声は自然と出ちゃったね。


「ふ、フフ、フハハハ。見られてしまった以上、口封じするしかあるまい。久能明爽、後生だ。その命、頂戴仕る」


 案の定、五十嵐さんは木刀を手にしていた。

 どこに隠し持っていたのだろう。ツッコんだら負けな気がする。


「否! 五十嵐殿、殿中でござる! 気を改めて候!」


 目下、僕も乱心ですぞ。

 さりとて、生命の危機に瀕した折、窮地を脱しようと天啓閃かん。

 願わくば、窮鼠猫を噛め。


「いざ、覚悟――」


 上段に構えた木刀が瞬く間に、死神の鎌へ変貌した刹那。


「五十嵐さんが動物好きなの、全くおかしくないよ! むしろ、隠す方がおかしいよ!」

「っ!?」


 ピタリと、殺人剣が額で止まる。


「動物を慈しむ心、なんと素晴らしきことか。感動した!」

「……む」


 五十嵐さんは眉を寄せたまま、矛(木刀)を収めてくれる。

 ただ、猜疑心は残っているようで。


「どうせ、内心ではほくそ笑んでいるのだろう? 堅物女のくせに、小動物を好むなど軟弱極まりないと」

「そんなこと思ってないよ。ちょっと驚いたけど」

「本当か? 本当に、嘘偽りなしと誓えるか?」


 不安そうに唇を噛んだ、五十嵐さん。

 隠していた趣味が露見するのはリスクが高い。

 その気持ち、分かるなあ。


 これは友人MKの話だけど、中学の頃、大人向けの映像作品を友達に借りたのが隣の席の女子にバレてしまったんだ。途端、侮蔑の視線にしばらく無視。


 あの時は辛かった……

 まったく以って僕の話じゃないけれど、同じ目に合わせるのは酷だよね。


「さっきの五十嵐さん! 例えると、ヤンキーがずぶ濡れの捨て犬を拾うシーンみたいだったよ! つまり、心温まる感じ――ぐへっ」


 そして、腹パンである。


「む、無言の暴力はきついね、どうも」

「不思議なものだな、寮での騒動では貸しを作った。にもかかわらず、直接手を下してしまうのだ。久能明爽を、無性に成敗したくなるこの気持ちはもしや……恩返し?」


 五十嵐さん、ばっちり100倍返しでした。

 やっぱり、チワワは似合わない。もっと、軍隊でドーベルマン調教してどうぞ。

 理不尽暴力には戦う姿勢を見せたいけれど、話が拗れて進まなくなる。

 誠心誠意、大人の対応で進行することに。


「一応、コンカツパートナーだし、知ってしまったので聞くけどさ」

「断る。干渉するな……と、普段なら一蹴するのだが、露見した責はこちらにもある。貴様の疑問に答えよう」


 責はそちらにしかないと思うよ。他人の秘密を暴き立てた覚えはないし。

 犯人が推理ショー直前に自白して、肩透かしを食らった名探偵の気持ちを味わいつつ。


「さっきも言ったけど、別に隠さなくて大丈夫だよ。むしろ、あんなに表情が和らぐんだ。ずっと一緒にいた方がいいね」

「フン、醜態を曝して暢気に過ごせと? 欲望を律してこそ、我が人生――煩悩の犬は追えども去らず。否、私は必ず断ち切って見せよう」

「かっこいい」


 僕は、おぉと感嘆した。

 でも、難しい言葉はあまり使わないで。煩悩の犬……って何?

 こういう時、万能AIが解説してくれれば万能ディクショナリーだと思いました。


「要するに、難しい表現で照れ隠し、っと」

「な――っ! そ、そんな訳あるかっ馬鹿者!」


 五十嵐さん、動揺走る。顔は真っ赤で視線が泳ぎ、忙しない。

 もしや意外と、一番分かりやすいパートナーなのかも。


「僕は五十嵐さんの好きを秘密にする。趣味を満喫してこそ、オリエンテーション――ペットショップの犬は追えども去らず。よし、あっちの触れ合い広場に行こう」

「待て、久能明爽。勝手に決めるな。触れ合い広場など、不埒極まる。行かんぞ。あんな、子犬とじゃれ合える憩いの場など――ッ!」


 なるほど、今すぐ向かいたいらしい。

 その証拠に、僕が五十嵐さんの背中を押す形で前進させたのに、殴る蹴るの暴行で許されたのだから。……許された?


 木刀の出番なく、触れ合い広場へご案内。

 小さな柵の中、元気いっぱいわんぱくドッグたちが駆け巡っていた。


「ふ、ふん。不承不承だが他の客の手前、子犬に手荒な真似は控えるしかあるまい」

「僕にはすこぶる手荒だったよ」

「郷に入っては郷に従え。戯れも一興か。是非もなし」


 あ、無視されました。

 滑り台や迷路、ボールのプールで遊ぶ子犬たち。

 触れ合い広場の中心で腕を組み、支配者然とした人間を感知するや。


「わんっ」

「わんわんわん」

「ワワンワン!」


 ワンちゃんズ、遊び相手へ特攻を仕掛ける。


「ほう? 私の足にすり寄ってご機嫌取りのつもりか? 卑しい奴らめ」


 五十嵐さんが座り込むや、我先にと言わんばかりに子犬たちが膝をよじ登っていく。

 忠誠の証か、両足を上げてお腹を見せたり、尻尾を全開で振っていた。


「貴様らにプライドはないのか? 我が寵愛、そう易々と渡さんぞ」

「きゃう~ん」

「キャンキャンッ」


 純粋な潤んだ瞳が五十嵐さんに突き刺さる。

 傲慢な態度のわりに、ずっと子犬たちを撫ででいたのは無自覚かな?


「クッ――癒せっ!」


 可愛い子犬の波状攻撃に、暴君が陥落したようで。


「よ~しよし~、おまえら~、かわいいなぁ~。みみぃ~、ぴくぴく~。あんよ、ぷにぷにぃ~。あご、かいちゃうぞぉ~、ここがええんか、たまらんのかぁ~」


 そして、チョロ甘である。

 存分に触れ合い広場を満喫していた、五十嵐さん。


「これが萌え、か……」


 美人な女子が小動物と共存する。こういう社会を繁栄させたいものだなあ。

 僕は、博愛主義だからね。こういうので良いと思うよ、こういうので。

 すると、柵の外にいた別の観客が共感したらしく。


「へー、ほほえまシーンじゃん。澪ちゃん、デレデレしやがって」

「澪さんが楽しそうで良かったです。わたしも嬉しくなっちゃいます」


 珀さんと堀田さんが、まるで我が子の成長を見守るような母性を――


「って、二人ともいつの間に!?」


 僕の素っ頓狂な声に、チョロ甘さんは現実に引き戻された。


「お、お前たち……っ! い、一体、いつから……!?」

「ん~、チワワのくだり? ボクもぎゅ~ってされたいぜ、ぎゅ~って」

「~~~~っっっ!?」


 絶句。


「ごめんなさい。わたしは、けなみもふもふ~の辺りです」

「~~~~っっっ!?」


 硬直。


「仏頂面より、よっぽど似合ってるよん。素直になれば、世界は変わるさ」

「とても可愛かったです! ぜひ、部屋でワンちゃんを飼いましょう」

「――」


 フリーズ。

 彼女はもう、風前の灯火もとい燃えカスだった。


「もうやめて! 五十嵐さんのヒットポイントはゼロだよ!」


 僕のフォローなど何の意味もない。

 焼石に水。サウナだったら、ロウリュの始まり。

 ある意味、発汗作用バッチリな事態へ突入していく。


「諮ったな諮ったな諮ったな諮ったな諮ったな諮ったな諮ったな諮ったな諮ったな諮ったな諮ったな諮ったな諮ったな諮ったな諮ったな諮ったな諮ったな諮ったな、久能明爽」


 ふら~りと、女夜叉が立ち上がった。

 くぅ~んと、子犬たちは退散する始末。


「僕じゃないよ! それでも僕は、やっていないっ」


 形容しがたい殺気で、冷や汗かいちゃうね。


「問答は不要。そこになおれ」


 恐れ多い表情を滾らせ、女夜叉が木刀を抜いた。


「……っ!」


 気付けば、僕は動いていた。

 回転数を上げろ。此度は逃げろ、韋駄天。


「明爽くん、愛の逃避行かい? 青春じゃないか」


 そう見えるのかい、珀さん?


「もうすぐ集合時間です。ちゃんと帰って来てくださいね!」


 そーゆー問題じゃないよ、堀田さん。

 命、刈り取られる瀬戸際だってば!


「待てぇぇええ、久能明爽ぅぅうううっっ! 八つ裂きにしてくれるッッ!」


 ショッピングモールに響き渡るは、鬼の絶叫。

 捕まったら、ヤラれる。

 単純明快にして、真理。

 一発勝負な鬼ごっごの火ぶたが切って落とされた。

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