第40話 上陸

 湖畔の桟橋に、小波が寄せては返していく。

 仮にデートの途中に寄ったのであれば、せせらぎに耳を傾けていたね。


「こちらです! ターゲットは、別のお客さんのカヤックに飛び乗って逃走中です」


 湖へ視線を向けると、カップルらしき利用者が乗った小舟の後方で、木刀を咥えた  

 ゴールデンレトリバーがお座りしていた。ワンッ! とひと吠え。


「まったく、水辺のアクティビティーにしゃれ込んじゃって。あれは反省の色なしだよ」

「うむ。とっちめてやるぞ」


 僕たちもカヤックをレンタルし、すぐさま追いかける。

 両手でパドルを漕ぐ度、バシャバシャと水面が揺れた。全速前進だ!

 しかし、思ったほど小舟へ推進力が伝わらない。

 挙句の果てには、前進するのではなく旋回するばかり。


「クッ、このじゃじゃ馬め」


 カヤックです。


「これが空回りというやつか……」


 匙もといパドルを投げ出しそうになった、僕。


「力任せに漕ぐのではなく、息を合わせてください!」


 考えてみれば、至極当然のアドバイスが届いた。

 五十嵐さん、バツが悪そうな俯き加減。ちょっと赤くなってるよ。


「私と久能明爽が息を合わせる、だと……? 逆立ちしたまま、暗算する方が容易いぞ」

「脳内そろばん弾いちゃう感じ?」


 ちなみに、僕は珠算が下手。小学生の頃、願いましてはぁ~の掛け声が妙に嫌だった。

 連携が苦手なパートナー選手権にて、殿堂入りしそうな我がパートナーへ決意表明。


「五十嵐さんはさっきの調子で良いよ。僕が合わせるからね」

「む。貴様、まるで私に協調性がないかのような言い草だな」

「……もし違うなら、謝るけど?」

「……フ、否定はせんよ」


 五十嵐さん、静かに微笑を携える。

 それはちょっと、否定してほしいと思いました。シンクロ率プラマイゼロ。

 閑話休題。


 僕は、五十嵐さんの腕の動きを見た。肩の動きを覚える。手の動きを真似る。

 息遣いを感じる……ふぅ、別に美人を舌なめずりするヘンタイじゃないのよ?


「舌なめずりするヘンタイの所業はやめろ。不愉快だ」

「違うって言ったでしょ! もう全力で漕げばいいさ」


 小舟が真っ直ぐ進み、スピードがぐんぐん上昇していく。

 そよ風を切り裂くように、標的目掛けて弾丸コースだ。

 ピチャピチャッ。魚が飛び跳ねたのもお構いなく、前方の小舟を追いかける。


 幸い、前方の二人組は優雅なひと時を満喫中。ゆったり、まったりと、カヤック体験を純粋に楽しんでいた。

 こちとら、競技さながら必死にパドルを漕ぎまくり。正直、腕がパンパンだ。


「久能明爽、私の挙動と寸分狂わず合致させるか。誠に遺憾だが、感心せざるを得ないぞ」

「渋々感この上ないね。五十嵐さんこそ、僕より腕細いのにしんどくない?」

「日頃の鍛錬の成果だな、見くびってもらっては困るぞ」

「まあ、一番運動神経凄そうだしね」


 僕は一応、サッカーなら得意だよ。

 なんせ、試合の度にベンチウォーマーとして活躍していたのだから。


「……戯言を抜かしおって。道化の軽口にしても笑えんな」


 なぜか、五十嵐さんがムッと不満げな表情を作ってしまう。

 僕は素直に答えたのに、おやと思った。皮肉、混入してませんけど。

 さりとて、その理由を聞きだす前に事態が移り行く。


「ワンッ」


 小賢しくも犯犬は、ジッとしたまま捕縛されるようなワンちゃんにあらず。

 ドボンッと、水面を叩く音が広がる。


「きゃっ。な、なぁ~に~?」

「犬が湖に、落ちたんだっ」


 突然のアクシデントに驚き、思わず抱き合ったカップル。仲睦ましいね。

 彼らの不安に反して、ゴールデンレトリバーは何食わぬ顔で泳ぎ始める。


「犬かきが、上手!」

「犬だからな」


 スイスーイと湖の中心へ向かった、ドッグスイマー。

 行く手を阻むゴツゴツした岩など物ともせず、離れ小島をひたすら目指した。


「追いかけるぞ」

「ヨーソローッ」


 右舷集中。面舵いっぱーい!

 気分だけ航海士の僕は、腕を大振りに針路を修正。

 ゴールデンレトリバーの軌跡をなぞると、小舟が岩礁に阻まれた。


 岩を避けて遠回りすれば抜けられるものの、時間を大幅にロスしてしまう。

 これ以上、鬼ごっこを続けるつもりはない。ワンちゃん、遊びはおしまいだわん。


「よっと」


 別に、帆船に浮気したわけじゃない。

 僕は小舟に荷物を預け、水面からわずかに顔を出した岩に飛び移る。


「おい、何をしておるのだ?」

「ここからあの島に入るなら、岩礁を渡った方が一直線。五十嵐さんは、カヤックで回り込んで来て。犯犬が逃げた場合、挟み撃ちにできるかも」

「岩礁と言えど、土砂が堆積した陸続きではあるまい? 此度は、我が失態。貴様が、危険を冒す必要はないぞ。加えて、あやつの悪知恵が地の利を活かすだろうな。疾く戻れ」


 五十嵐さんが、ピシャリと僕のゴリ押しを制止する。

 まかさっ、心配してくれたのかな? 全米より泣きそう。


「乗りかかった船だよ」


 たった今、下船したばかりなのは杞憂にあらず。


「それに、五十嵐さんの問題は僕の問題でもあるしね。五十嵐さんの大事なものは、僕の大事なもの」


 正直、木刀は修学旅行のお土産でさえ買わないと思いました。せめて、短剣に龍が巻き付いたキーホルダーで勘弁してください。あれ、いつどこでなくしたっけ?


「フン、貴様の見返りを求めない態度が癪に障る。あまり私を憤慨させるな」

「え~!?」


 言いがかりの極致にハラスメントを感じていると。

 五十嵐さんが慧眼を瞬かせた。


「久能明爽……任せていいか?」

「もちろん」


 パートナーに頼まれた以上、僕は下手な格好は見せられない。

 もう遅いだろ! 元々、かっこよくねーぞ! 久能さん、意地張っちゃうタイプぅ~?


 多方面から襲いかかる幻聴を振り払って、岩から岩へ跳躍していく。

 僕は昔、リア充グループに属していたけれど、まさか彼らとの交流が役に立つとはね。


 自然公園のフィールドアスレチックで汗を流し、水上コースを何度も往復したものだ。


 ほんと、一軍メンバーのアクティビティーに対する積極性は恐れ多いや。

 その結果、僕は岩礁地帯でたたらを踏まずに済むゆえ未知の体験は大事かもしれない。


 ホップ、ステップ、ジャンプ。

 砂泥に足を滑らすことなく、僕は渡島した。

 砂の更地に木が一本生えた程度の、無感動な光景を見つめる。

 さりとて、お目当ての人物もとい我が物顔の犬と木の下で感動の再会を果たす。


「君さぁ~、泥棒はいかんよ泥棒は。ワンちゃんは許されるとか、世の中甘くないよ?」

「……」


 そして、無視である。

 黙秘権の行使? 弁護士呼ぶ? かつ丼食べる? 利益誘導、ダメ絶対。

 まだ任意同行の段階と思いつつ、被疑者がゴソゴソと怪しげな行動を起こした。


 ゴールデンレトリバーは地面を掘り進め、やがて大きな穴を広げた。

 すると、ポイッと咥えた木刀をその底へ投げ入れた。


 仕上げとばかりに、丸見えの穴に盛られた土を後ろ足でせっせと埋めていく。

 はい、元通り。手際良く仕上がりました。


「ちょ、待って! 僕の目の前で、証拠隠滅!?」

「ワンッ」


 こいつ、清々しい顔しやがって……っ! まるで悪びれた様子を感じない!

 大胆不敵な犯行に僕が戦慄する最中、犯犬は後ろ足で顔を掻いていた。


「ワンッ」


 あまつさえ、一仕事して満足したのか、必死な追手たる僕にさして興味を示さない。

ゴールデンレトリバーはハアハアと息を漏らしながら、元来たルートを戻っていく。


「え、もう帰るの!? 定時上がり? おやつの時間なんで、帰っちゃう!?」

「ワンッ」


 犯犬が一度振り返るや、こくりと頷いた。


「お、おう……お疲れ様です」


 呆気に取られた僕は、ワンちゃんの犬かきをただただ見送るばかり。

 ナンダカナー。一人取り残されてしまい、虚無感に包まれる。

 幹の太い木に体重を預け、気分転換に空を眺めた。

 灰色の曇天模様は、まさに僕の心情にピッタリ。一雨降りそうだなあ。


 とりあえず、穴掘っちゃいますか。

 におう、におうぞ。お宝のにおいがする。まるで埋め立てホヤホヤだ。

 ここ掘れワンワンと言わんばかりに、僕は泥棒犬の隠し財産を押収していく。

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