第38話 ドッグフェス

 オリエンテーションで訪れた、ショッピングモール。

 湖のほとりに広がる森林公園が隣接している。

 ドッグフェスにまんまと釣られた五十嵐さん一同、休日のお出かけへしゃれ込んだ。


 ショッピングモールの入口付近、犬の大型バルーンが数多く膨らんでいる。

 公園に足を伸ばせば、お祭り気分な屋台やペットショップの出店が軒を連ねていた。


 ドッグランのスペース、触れ合い広場、迷路アクティビティ、ターフテント、フライングディスクの競技会場、湖でワンちゃんとカヤック体験。

 ドッグフェスを開催するのに、なんと適した環境だろう。


「すごく盛り上がってますね。皆さん、楽しそうです」

「結構、フェスティばってるよん。澪ちゃん、存分に羽を伸ばしてくれたまえ」


 堀田さんと珀さんがほぼ同時、殿を務める五十嵐さんを前へ押し出した。


「ふん、犬と戯れるのも一興か。別に、小動物を愛玩する趣味などないのだがな!」


 まるで、無理やり連れて来られたスタンスの五十嵐さん。

 ダックスフントやコーギーがあんよを上げる姿に、鋭利な視線を突き刺した理由は   

 きっと軟弱者への憤慨ゆえだね。ターフに寝転がった怠惰な奴らを一瞬で探し当てるなんて、油断なき観察眼のたまものだよ。


「やれやれ、素直じゃないぜ。もっと自分をさらけ出そうじゃないか」

「ふふ、澪さんは照れ屋さんですからね。内心ソワソワしてますよ、きっと」

「珀ゆのん、堀田ナナミーナ。聞こえているぞ。私はあくまで、お前たちの付き添いだからな。世話になってる以上、付き合いも生じる。実に億劫だ」

「「は~い!」」

「全く分かってない顔で、元気良く返事をするなっ」


 そして、渋面である。


「いろいろあるけど、どこがいいの? 僕たちは黒子に徹するから気にしないで」

「久能明爽、貴様もな……っ!」


 僕たちの純粋な瞳に根負けしたのか、彼女はフンと嘆息するや歩を進めた。

 一番近いから。と理由を述べつつ、触れ合い広場へ直行した五十嵐さん。

 木柵の中、ワンちゃんズがのびのびと過ごしていた。日向ぼっこに興じ、プールに浸かり、ボール遊びに励み、意味なく駆け回っている。


「見てくださいっ、澪さんがプードルにおやつあげてます! 可愛いですね」

「あ、澪ちゃんがマルチーズをブラッシングしてるぜ。可愛いよん」

「五十嵐さんがポメラニアンと睨めっこしてる! か、可愛いよっ」


 ポメラニアンを睨むは怖い鬼? 触れ合い広場に夜叉現る?

 いいえ、緩みそうな表情を必死に抑えた五十嵐さんです。コワクナイヨー。


「ええい、やめんか! 微笑ましいとばかりに私を観察するな! 断じて、犬どもに癒されてなどおらん。極めて不快だぞ、久能明爽!」

「「「は~い!」」」

「クッ……勝手にしろ(くぅ~ん)」


 プイっとそっぽを向いてしまった、五十嵐さん。withチワワ。

 腕に抱かれるチワワは、人に慣れた様子で欠伸を噛みしめる。

 五十嵐さんが次の標的もといワンちゃんへ接触を図った傍ら。


「ゆのんさん、そろそろ……」

「え~、もうちょっと様子を眺めたいぜ。ちぇ、しょうがないなあ」


 二人のコソコソ話に耳を傾ければ。


「久能くん、澪さんをお願いします」

「ん?」

「あとは若い二人に任せるよん、ってことだよん」

「お見合いかな? そちらのお二方も若いよん?」


 みんな、同じ年である。


「彼女をドッグフェスに誘った目的、覚えていますよね?」


 堀田さんがまじまじと僕を見つめる。


「追試を受けてもらうために、あなたとコンカツを頑張る姿勢を引き出してください。最低でも理由、条件、取引、今は譲歩しても構いませんから」


 珀さんは、足にすり寄ったパグを撫でながら。


「ボクはこのメンバーで続けたいからね。協力するぜ。だけど、パートナーの問題を解決するのは明爽くん。欲張りにも、美少女を三人も侍らせる君さ」

「何度も言うけど、この選出はHUKAN先生だよ。全ては、万能AIの気分次第」

「案外、明爽くんがせんせーに選ばせたのかもしれないじゃないか」


 僕は、アメリカ人ばりに両手を広げるしかなかった。

 本当に自慢じゃないけれど、万能AIの性質の悪さに関して、コンカツ高校で僕以上に精通している人間がいるだろうか? いや、いない。


 テキトーな時と策謀を企てる時、どちらも彼奴にとって同義なのだ。

その微々たる差は、己が愉しめるか。その一点のみ。楽なる感情を味わいたいのかも。

 人工知能は、電気羊の夢を見るか? 知らんよ。どっちでもよろしい。


「とにかく、明爽くんが澪ちゃんをラブに目覚めさせれば万事解決だよん。オールオッケー。めでたし、めでたし」

「うーん。ラブの気配……あります? 僕、万事休す」


 五十嵐さん、恋愛が嫌な方ですよね? 理由を知らなきゃ、何も始まらない。


「万策尽きるのは早いです。ファイトですっ」

「そー、そー。ボクをあんなに求めた在りし日のように、君はやることやれば大丈夫さ」


 身体を抱き寄せ、モジモジと揺れた珀さん。

 誤解を招く言い方はやめてね。


「それじゃ、ボクはナナちゃんとデートして来るよん。カフェテラスから、明爽くんの勇姿を見届けようじゃないか。あんまり暢気が過ぎると、かわいこちゃんを奪っちゃうぜ」

「そんなに引っ張らないでも行きますよ。あと、わたしには久能くんがいますので」


 珀さんがフラれたーと叫ぶ一方、堀田さんは落ち着いた様子で。


「必要があれば、連絡してください。でも、あなたは自力で解決しちゃいますね、きっと」

「堀田さんに応援されて、頑張らない男子はいないよ。どうにかしてみる」


 珀さんが全然反応が違うと叫ぶ一方、僕は二人に別れを告げた。


「さて、突っ込んだ話をしてもらうにはどんな手を使うかな」


 徐に振り返ると、五十嵐さんの姿がなかった。

 目を離した隙に、視界からパッと友達が消えるとビビるよね。この感覚、何て名前だろう。


 視線を泳がせば、遠方に凛々しいポニーテールを確認。特徴がある人は探しやすい。

 僕は、先天的な存在感の薄さで歩み寄っていく。


 芝を踏む音が近づくはずが、パートナーは背を向けたまま気付かない。

 き、きっと、ダックスフントのお腹を擦ってやるのに忙しいんだよね。ねっ。


「なあ、お前……うちの子にならないか?」


 ……何を仰っているのかしら?


「お前は私のストレスを解消できる稀有な才能を秘めているな。こんな所で埋もれるには、まこと惜しい人材だぞ」


 犬です。


「私の元に来れば、報酬は弾む。三食昼寝付き。オプションに、毎日散歩。これでどうだ?」


 ヘッドハンティング!? いや、ドッグハンティングか!

 芝に寝転がっていただけで、五十嵐さんの寵愛を受ける好待遇が提示された。

僕が今、喉から手が出るほど欲しい条件。なんて羨ましい人生(犬です)だわん。

 まさか、僕も従順に尻尾を振ればワンチャンある……?


「わわんわん」

「そうか……お前は馴れ合いを好まないのか。フッ、まさに一匹狼。私と似ているな」

 ワンちゃん、スカウトを固辞したらしい。あと、狼じゃないウルフ。

 五十嵐さんが来た途端、お腹を見せてる時点で孤高とは言えないね。


「わおーんっ」


 美人エステティシャンの極楽マッサージに満足したらしい。

 ダックスフントは一度吠えるや、尻尾を揺らしながらテントへ帰って行った。

 残念そうにワンちゃんを見送った、パートナー。


「五十嵐さん」


 ビクンッと先方の背中が跳ねた。


「……っ!? 久能明爽、堀田ナナミーナたちと何処へ向かったのではないのかっ」

「僕はこっちに残ったよ。ドッグフェスに誘ったわけだし」

「ふん、物好きな奴め。手持無沙汰ゆえ、犬と戯れに興じてみたが面白みに欠けるな」


 え、先ほどの動物番組みたいなじゃれ合いシーンは錯覚かな?


「でも、うちの子にしたいって。あの溺愛は嘘だったのっ」

「断じて、うちの子など知らん! 貴様、少し疲れているようだな。あちらのベンチで休むがいい。特別に私が案内してやろう」


 五十嵐さんはまくし立てると、足早に現場から離脱していく。


「別に隠さなくても。小動物に優しさがにじみ出ちゃうの、そんなに恥ずかしいかな?」


 ずぶ濡れの犬に傘を差し出すヤンキー理論の証明に、我がパートナーほど似合う子はいないよね。これだけでハリウッド狙えちゃう。

 五十嵐さんがベンチに座ったので、僕も隣に腰を下ろした。

 子供たちとワンちゃんが全力で遊び合う喧騒に耳を傾けていると。


「問いを述べてみろ。偶然にも、私は機嫌が良いのでな。口を滑らすかもしれないぞ」


 開口一番、五十嵐さんが僕にパスをくれた。

 どうやら、触れ合い広場を満喫したらしい。

 心なしか、僕をねめつける瞳がいつもより穏やかである。うん、多少はね?

 全てのワンちゃんに感謝を。生類憐みの令のごとく、お犬様に平伏しなくては。


「五十嵐さんに聞きたいこと。もちろん、かの思想に至った理由を」

「――失礼します! ご歓談中、申し訳ございませんっ」


 刹那、ドッグフェスのスタッフに、インターセプトをキメられてしまう。

 僕は呆気に取られつつ、どうぞと先を譲った。

 会話に割り込まれると、ほとんど持ち直せた例がない。打ち切りです。

 トークの仕切り直しができなきゃ、リア充や一軍の名折れ。流石、末席風情だよ。


「先ほど、お客様から預かった私物なのですが……大変申し訳ございません! 現在、弊社所属のゴールデンレトリバーが持ち去ってしまい逃走中です」

「……何、だと……?」


 五十嵐さんが信じられないと驚愕していた。


「私物?」


 今日は、女子メンバーも身軽な格好。はしゃぐのに邪魔な荷物など持っていないはず。

 僕が首を傾げるや、スタッフは納得の回答を提示する。


「はい、お客様が所持していた……木刀です」

「あっ」


 僕は、全てを察した。そういえば、五十嵐さんの腰に木刀が差さっていない。


「犬たちに害を及ぼす危険物は持ち込み禁止ですので、こちらで預からせていただきました。お客様の私物はロッカーで管理をしていたのですが、一部カギの破損を失念しておりました。此度の一件、本当にすいませんでした」


 思わず、噴き出しちゃったね。とんだ貴重品の紛失じゃないか。

 それにしても、ちゃんと受付で得物を預けるあたり、五十嵐さんの生真面目さが窺える。


「それで、逃げたゴールデンレトリーバーの所在は?」

「現在、捜索中です。解決次第、連絡させていただきます。つきましては――」

「否、奪取されたのであれば、自らの手で取り返すのみ。あなたは泥棒犬を発見次第、私に知らせるがよい」


 キリっと冷静な眼差しで制した、五十嵐さん。

 くるりと踵を返すと、ポニーテールが揺れた。


「か、かっこいい……っ!」


 赤面するスタッフを置き去り、僕は五十嵐さんの後を追いかけていく。

 触れ合い広場を脱したところで、足早な彼女へ話しかけようとしたちょうどその時。


「うぅ……私の木刀……何処へ消えてしまった……疾く帰って来るのだ……」


 その麗人は、背中を丸めてしゃがみ込んだ。弱々しい姿に悲壮感が漂っている。


「五十嵐さん、いつもの尊大もとい強気な態度が迷子だよ?」

「フ、お笑い種だぞ……心の支えを一度失ってしまえば、所詮私も生娘に過ぎないのだな」


 自嘲気味なメランコリー。それほどまでにショックが大きいらしい。


「確かに、木刀のない五十嵐さんなんて、ただの美人だけどさ! マズいね、キャラが死んじゃってるよ。でも、まだ諦めないで。今から探す僕のやる気に影響するから」

「……っ、別に、美人などではないっ。久能明爽、情けは無用だ」


 美人です。水掛け論になりそうなので、一旦引っ込めておく。


「いやいや、情けは人の為ならずでしょ」


 情けをかけるのは、よろしくないって意味じゃないよ。

 近頃の若人は誤用しがちだから注意しよう。つまり、ちゃんと使える僕は若くない?


「私の弱みに付け込んで、優越感に浸りたいのだな。意趣返しというわけか」


 パートナー氏、そこそこネガティブ。

 もしや、心当たりがあるのかな? 成長したもんである。それだけで充分満足だね。


「優越感というより、好感度狙いだよ。無刀の五十嵐さん。拙者、助太刀仕る候」

「ふっ、正直な奴め。貴様は、なかなかどうして珍妙だったな」

「せめて、おもしれー男とか言って」


 僕が肩を落とせば、五十嵐さんは苦笑がてら。


「久能明爽に励まされるとは、痛恨の極みだぞ。私もまだまだ修行不足か」

「誰にでも、落ち込む瞬間はあるけどね。じゃあ、悪戯犬を探そう。この公園、結構広いし応援呼ばないと」


 早速、堀田さんたちを招集する羽目に。今頃、オサレなスイーツに夢中かも。

 僕がスマホを取り出した途端、キリリとした視線を感知する。


「待て。その必要はないぞ」

「如何に?」


 五十嵐さんは凛々しい表情を作り、腕を組んだ。


「なるほど、犯人は現場に戻るとよく言ったものだな」


 触れ合い広場の入口、スタッフ専用テントの裏側に標的はいた。


「ワンッ」


 黄金の毛並みがフサフサな犯犬は、五十嵐さんの愛刀を咥えていた。

 さながら、武装した兵士のごとき佇まいである。


「ゴールデンレトリバーッ!」


 僕たちの目的を知っているのか、一目散に逃亡した犯犬。


「逃がすものか! 絶対に捕まえて、ワシャワシャの刑に処してやるッ」

「御意っ」


 僕は、公園の草むらへ駆け出したパートナーへ追随していく。

 ……レースはこの前、頑張ったんだけどなあ。

 ドッグランは専用の会場で催してほしいと思いました。

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