第19話 ねこ

 エントランスから脇道に入れば、緑豊かな中庭へ繋がっている。

 芝生の手入れが行き届き、花壇の花が咲き乱れ、イギリス庭園風靡さえ広がった。

 噴水の彫刻像もピカピカに磨かれて、税金がジャブジャブ流しだと思いました。


「珀さんならきっと、今日はお昼寝日和だよん。とか、言いそうだけど」


 僕は、周囲をキョロリズム。

 しかし、目当ての人物を発見できず。

 珀さんに代わって寝転んでみた。

 天然芝の具合を確かめれば、クッションみたいに柔らかい。


「こんな絶好のロケーションを見逃すなんて、まさか……彼女はすでに」

「生きてるぜ?」

「バッハッ!?」


 別に、音楽の父はお呼びじゃない。

 僕が吹けるのは、リコーダーくらい。カスタネットもギリいける。

 ではなくて、勢いそのまま飛び起きた。


「明爽くん、どこを見てるんだい? ボクは、こっちだよん」


 珀さんの声が木霊した。

 周囲を見渡すものの、無駄に豪奢な中庭で地味な男子が佇んでいるだけ。


「珀さぁーん。戻っておいでー。もう帰るよー」

「別に、迷子じゃないけどね。あと、そっちじゃない。真逆だ」


 振り返れば、やはり誰もいない。

 そこには、樹齢を重ねた大木が頼りない若人を見守っていた。


「憐れな若者よ、顔を上げるが良い」


 木が喋ったっ! そんなリアクションをすべきだったが。


「堀田さんが心配してたよ。珀さんが目を離した隙に、やられたって」

「人の隙を突くのは得意だよん。ちょっとネコちゃんに、パーティーに誘われてさ」


 太い枝の上、ネコを抱いた珀さんが足をプラプラさせていた。


「へー。何のパーティー?」

「お昼寝パーティー。隣の芝生はフカフカだにゃん。こやつ、そんな眼をしていた」

「だと思った!」


 珀さんが楽しそうで、僕は満足です。


「残念ながら、イベントの準備がまだ終わってないよ。パーティーはお開きだ」

「フフフ。そいつは聞けねー相談だぜ、明爽くん」


 ニヤリとほくそ笑んだ、珀さん。


「……如何に?」


 僕がごくりと唾を飲みこむや、先方がその理由を不敵に語っていく。


「だって、ボク――この木から下りられないからね! 絶賛困惑中と言わざるを得ない」

「な、ナンダッテーッ!」


 此度は、仰け反ってリアクションを取った。


「いやいや、こんなご立派な大木を駆け上がったんでしょ? 僕は木登りなんてできないし、ちょっと羨ましいくらい。凄いね、珀さんは。じゃ、早く下りてきて」

「……若者よ。人は上ることに夢中になれても、下りることには躊躇してしまうものじゃ」


 世の理を悟った仙人のごとく、目を伏せった珀さん。


「つまり?」

「ここ、めちゃくちゃ高い。下見るの怖い……助けておくれ、明爽くん」


 珀さんが、木の幹にしがみつく。


「……」


 どうしてこうなった?


「ネコちゃん、お昼寝パーティーに招待しておいて、にゃんと木登りがしたくなったらしい。ほんと、気まぐれな子の相手は大変だぜ」

「その気持ちは共感できるけどね」


 僕の耳元で、分かるぅ~と囁かれた気がした。空耳だと信じたい。

 さて、どうやって珀さんを救出しよう。

 冷静に考えて、脚立を持ってきましょう。さっき、体育館倉庫で見かけたし。


 このシチュエーション、きっと加納君ならば颯爽と木登りを披露する。パートナーに手を差し出すや――おかげで綺麗な景色に立ち会えたな、と嘯くだろう。


 これは、イケメンのみに許された業。真のリア充、ここにあり。

 僕がいくら模倣したところで、結果は伴わない。まず、木登りできないしね。


「珀さん、脚立持って来るから。ちょっと待ってて」

「その必要はないよん。ボクに良い考えがある」

「良い考え?」


 嫌な予感しかしなかった。


「明爽くん、もう少し前へ。ちょっと、右。気持ち、左。両手を広げて、ばんざーい」

「??? どゆこと?」

「こういう時は、考えるな、感じろっ。そら、ダーイブッ!」


 僕の疑問が解消されぬまま、珀さんはぴょーんと飛び下りた。


「ちょ、待っ……!?」


 女子が空から降ってくる。アニメの導入パートかな?

 躊躇するって話は何処? 狙いが随分正確だね! 僕を仕留めるつもりかなあ。

 ぶつかったら痛いだろうなと思いつつ、撤退は許されなかった。


 珀さんが怪我するか、僕が人柱になるか。

 答えなど決まってるゆえ、一考に値しない。

 なんせ、僕はすでに両手を広げて待ち構えていたのだから。

 ドスンと衝突。


「んごばあっ!」


 奇声が漏れちゃったのは仕様です。

 気分屋の女子をキャッチした瞬間、その衝撃に耐えかねて倒れ込んでいく。


 あぁ、天然の芝生じゃなかったら、今頃背中が粉砕されてたね。ナイスクッション。

 税金の無駄遣いに感謝するや、どうにか呼吸できるまで回復した。


「かはっ……はぁ、はぁ……」

「もしや、明爽くん。美少女にお触りして、興奮したのかい? やらしー」


 息が当たるほど近くで、珀さんの口元が緩んだ。


「生命維持の危機……っ!」


 ネコちゃんの脇を抱きかかえた珀さんの脇を抱きかかえた僕。

 おみゃー、何やったんだ?

 ネコちゃんが、そんな瞳を向けてくる。


「違うじゃん! 全然、飛べるじゃん! 高い所怖いとか、全くないじゃん!」


 珀さんも乙女になれると信じていました。僕のピュアハートは裏切られました。


「そんなことないよん。現に、君が来るまで途方に暮れていたさ」


 珀さんは、伸びきったネコちゃんの頭を撫でていく。


「無力なボクは、ネコちゃんの毛並みを弄ぶしかなかったぜ」

「ニャーン」


 仕方がにゃい奴だと、ネコちゃんもそう言ってます。


「実際、怖かった。でも、決心はすんなりと。なぜって? そりゃもちろん――」


 移ろいやすい瞳に意志を宿し、パートナーが独白を遂げようとしたちょうどその時。


「珀ゆのん! いつもフラフラと、どこをほっつき歩いておるのだ?」


 五十嵐さんが、迎えにやって来た。


「久能明爽、貴様も暢気に遊んでいる場合か? 堀田ナナミーナの名代が聞いて呆れるぞ。迷い子を見つけたなら、すぐに報告するのだな」

「ボクは迷子じゃないよん。流浪に旅人さ」


 珀さんは立ち上がると、大丈夫かいと僕に手を差し伸べた。

 ……ん? あれ、なんかおかしくない? イケメン枠は珀さんだった?


「うむ。人生の迷子というやつか。お前は雑念が多すぎる。もっと鍛錬に励め」

「澪ちゃんは手厳しいぜ。ま、それでこそ! イジリ甲斐というものが生じるよん」


 お気に入りのオモチャを見つけたネコちゃんよろしく、珀さんがにじり寄っていく。


「クッ……その怪しげな挙動をやめろ。ネコを解放しろ。そいつだけ、私に寄こせ!」

「にゃ~!」

「お前は、堀田ナナミーナの元へ急げ! 今なら小言の一つで勘弁してやるぞ」

「にゃにゃ~!」


 珀さんと五十嵐さん、なぞの小競り合いを起こす。

 そういえば、同じレベルじゃなければケンカは起きないらしい。


「おい、ネコにパンチさせるのは卑怯だぞ! 戦うなら、己の拳で戦え!」


 二人はとても仲良し。

 じゃれ合いを邪魔しちゃ悪いので、僕が堀田さんに報告しよう。

 すなわち、堀田さんを心配させたのはこの二人ってことだね!

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