第20話 裸の付き合い
「あぁ~、せっかくの休みが無駄になったぜぇ~」
比木盾君が湯船に浸かりながら、深い溜息をこぼした。
氷山泊の浴室は、古き良き日本を回顧させる銭湯スタイル。
暖簾をくぐれば、デカデカと富士山が描かれていた。
さりとて、スーパー銭湯のごとく。
温泉、泡風呂、水風呂、炭酸泉、岩盤浴、サウナ。バッチリ完備。
税金ジャブジャブ掛け流し。いい加減、ワイドショーに噛みつかれそう。
「週に一度しかない日曜日が! 学校行事の準備を手伝う羽目になり、徒労に終わった! こんなこと、果たして許されるのか? いや、許されない!」
ザバーンと温泉から立ち上がった、比木盾君。
あまり言いたくないけれど、比木盾の真須君がポロンする。
「近いって。そやつ、振り回さないで」
「あーん? ここは風呂場だぜ。裸の付き合い上等じゃねーか」
比木盾君は、脱衣所から一切隠そうとしなかった。
素直に男らしいと思った。ご立派である。
否、誠に残念ながら、ご立派様はご立派にあらず。ちょこん、って感じ。
「友人たちとイベントの準備って、案外始まった後より面白くないか?」
水も滴る良い男然とした、加納君。
細身で長身という印象だが、肩回りと胸板の厚みが引き締まっている。
「カーッ、出たよリア充理論! 俺たち、今青春しちゃってるぜ、ってか! ってか!」
比木盾君、憤慨の極み。
学校行事は往々にして、一軍メンバーの思い出作り。
苦労したこと、辛かったこと、失敗したこと、成功したこと、楽しかったこと。
その全てが振り返れば、かけがえのない青春の歩み。
巻き込むことは善という信条がリア充グループの証。
彼らの進行を阻むは、悪。疑念は、悪。受動は、悪。
きっと、彼は外野だった疎外感を忘れていない。
僕もまた、一軍メンバーの内側に潜り込んでなお感じていたからね。
「そうか。皆で盛り上げるのが苦手な奴もいるもんな。悪かったよ、真須」
「けっ。俺は、加納のそーゆー事なかれ主義なところ嫌いだぜ」
「俺は、真須のハッキリ言うところ好感が持てる」
真のリア充は、いつでも場を整えなければならない。一種の呪いかもしれない。
閑話休題。
5分くらい、黙々と湯船に浸かった。
そろそろ風呂上がりの一杯に思いを馳せるや。
「久能。なぜ――男湯が女湯の隣にあるか知っているか?」
……哲学は勘弁して。
「知らないけど」
無知を知る。それって、とってもソクラテス。
「バーローッ。女湯を覗くために決まってんだろ! オメー、それでも付いてんのか!」
性欲の権化だった。
比木盾君に残念な視線を送れば。
「そうか、そうか。つまり、お前も覗きたい一派だったんだな。このムッツリスケベめ」
満足そうに頷かれてしまう。
僕は、結局人は相互理解なんてできないと悟った。悲しいね。
「よく聞け、同志・久能。マスターコースのお歴によると、実はこの風呂場、混浴スペースがあるらしい」
「君と同志は勘弁被るけれど、ちょっと興味出てきた。あと、覗きはダメだよ」
「おいおい? おいおいおい? そりゃねーだろ。逆に考えろ、逆に! 嫁の肌を見て、何が悪いんですかぁ~?」
まだ、嫁じゃないでしょ。比木盾君、パートナー以外をガン見する筆頭じゃないか。
「女体は常に平等! 区別は差別! 俺、差別反対っ」
「並々ならぬ欲望が強いね。加納君、この人どうにかしてよ」
僕では、彼の劣情を抑えること叶わない。
炭酸泉で血行改善を図ったイケメンに、助けを請うた。
「そうだな……真須、覗きは卑怯な行為だぞ」
「過ちを持ち込んでこその風呂場だ、この優等生め。そんなんじゃあ、どれだけ面が良くても男前とは認められねーな。ああん?」
比木盾君は、エロパワーを充電するとなかなかしぶとい。
「まあ、混浴スペースで偶然遭遇したら仕方がないかもな」
「流石、裸の付き合いを交わした心の友! 話の分かる奴だぜっ」
鼻息荒いヘンタイに粘着されて、加納君は肩をすくめるばかり。
「たまたまだ。うっかりちゃっかり、鉢合わせ。桃源郷、いざ目指さん」
「間違いなく、故意だよね?」
「オメーら、俺について来やがれ! マル秘を知った以上、もう共犯だかんなッ」
「この学校、人の話を聞かない人ばっかり……共犯ってつまり、罪の認識はあった?」
僕は、やれやれと落胆した。
風呂上がりのコーヒー牛乳が恋しいよ。
しかし、エロ盾君の若気の至りの後始末を加納君に押し付けるのは良心が痛むね。
「本当に気が進まないけど、僕も同行しよう」
「ったく、素直じゃねーな、久能は。俺たちと一緒に、世界の真理覗こうぜッ」
イライライライライラ。
今日はほとんど我が担任と邂逅しなかったのに、ストレス値が妙に高い。
ふと、洗い場の桶が視界に入った。頭部を殴打するのにちょうど良いサイズ。
自発的に、魔が差しそう。
「明爽、俺がフォローするし落ち着こうな」
「お、オーケー」
来週の健康診断、僕だけ血圧で引っかかりそう。
比木盾君船頭の下、僕たちはサウナルームへ入った。
段差がついた部屋の中央に、サウナストーンを敷いたカゴがある。
目下、頭を冷やしたい気分だけど、一体どういう了見だい?
「まず、汗を流し、邪念を振り払う」
ごたくは、やめたまえ。冗談は顔だけにして。
「別に、サウナーの布教じゃねえって。混浴の湯へ通じる扉は、サウナで心を整えなきゃ開かないんだとよ。通過儀礼ってやつ? 面倒くさい仕様じゃねーか」
比木盾君が上段に座った。
一応、スケベ対策が施されているらしい。
「真須の煩悩が振り払われた頃に扉は開く。ハハ、考えられた仕組みじゃん」
加納君も上段に腰を下ろすと、感心したように笑った。
「煩悩だあ? 俺はいつも、己を騙さず誠実に生きてるだろ!」
「そだねー。性欲に実直なキャラ、嫌いじゃないよ」
「久能に好かれても嬉しくねぇから!」
比木盾君はフンと腕を組み、やがて口を閉ざした。
「……」
「……」
僕と加納君もそれに倣い、自分と向き合っていく。
ジリジリと蒸し暑く、額や背中から汗が垂れ落ちる。
アロマの香り漂う中、どれくらい、ぼぉーっとしただろう。
意外と、何も考えない時間を作るのは難しい。それだけ日常は煩雑に満ちている。
感覚が研ぎ澄まされたかのごとく、僕の身体は浮遊感に支配されていた。
何もしないをする。
畢竟、無我の境地。
何も求めないものに、与えられるものがある。
――あちぃ~~~っっ! もうダメだ。今行くよ、愛しの水風呂ちゃんっ!
――クッ、俺もギブアップだ。全く動じないなんて大したもんだ、明爽は。
友人たちが一言残して、サウナルームを退出していく。
ハッと気付けば、僕だけが取り残されていた。
「え、二人ともいつの間に!?」
子供の頃、初めて友達と訪れた遊園地で迷子になった感覚。
思わず、寂寥感という言葉を使いたくなるよ。みんな、どこ行ったの……
サウナで充分発汗したはずなのに、冷や汗が止まらない。
早々に退散を企てれば、入り口がガチャンと閉まった。
「どうして」
返事の代わりに、反対側の壁がズドンと答えた。
無駄にハイテクなスライド移動した壁の先、例の混浴の湯が現れる。天井は解放され、岩礁と竹垣が囲む露天風呂のようなロケーションが素晴らしい。
しかし、僕は孤独に佇むのみ。
「男だけで混浴の湯に辿り着いても、混浴は成立しないよね。その辺、比木盾君はどう考えていたんだろうか」
おそらく、間違いなくノープラン。
彼のバイタリティーならば、竹垣の隙間から女湯を平気で覗く。よじ登りも注意だ。
「トクセンから覗き魔を出さずに済んだだけ、良しとしよう」
僭越ながら、僕は乙女たちの柔肌をヘンタイの魔の目から守った。
事件は未遂ゆえ、誰からも称賛はされない。けれど、それで良いんです。
「戻ろう」
僕はくるりと踵を返すや、水風呂へ向かうことにした。自分へのご褒美ってやつさ。
否、幸運の神は僕を見捨てなかったのかもしれない。頑張った人は報われる。
「美人の湯、楽しみですね! お肌がすっごくスベスベになるみたいです」
「堀田ナナミーナ、それ以上肌艶を求めてどうするのだ? この上なくきめ細かいぞ」
「ナナちゃん、美肌嬢っ! う~ん、ずっとお触りしたくなるね」
女湯側の壁が動き、僕の耳へ聞き覚えのある声が届いた。
「……あ、あんっ、ゆのんさん……くすぐったいです」
「好いではないかぁ~、好いではないかぁ~」
モクモクと立ち上がっていた白い湯気が、お邪魔かしらと雲散霧消していく。
「……っ!? 何奴だ、姿を現せ!」
すなわち、視界良好。
然るに、バスタオルを巻いていた美少女たちは予期せぬ先客を目視する。
「や、やあ。みなさん、お揃いで」
昔馴染みと駅でバッタリ遭遇。そんな感じで手を振っていた。
「久能くん? よかった。澪さんが怖い顔で制止するので、痴漢かと思いました」
堀田さんがふぅと胸を撫で下ろした。
どこの胸とは言わないけれど、タオルの膨らみが生々しい。
見たいけど、見られない。これが尊いという概念か。
「久能明爽……貴様がなぜここにいる? いや、予想は付く。大方、我々の裸体を覗きに来たのだな? 不埒な奴め、成敗してくれるッ」
いつも通り、五十嵐さんが木刀を構えた。ほんと、どこに忍ばせていたのか謎である。
「誤解だよ、誤解! 比木盾君が混浴の湯に熱心だったから、試しに来ただけで」
「誤解も六階もない。そもそも、比木盾とは誰だ? そんな男、どこにも存在しないぞ」
「いろんな意味で悲しい! 認知くらいして。こんなの辛すぎるっ」
いるもん、比木盾君いるもん!
同情の念を禁じ得なかった。
「まあまあ、澪ちゃん。どうやら、この場所は女子には美人の湯、男子には混浴の湯って触れ込みらしいじゃん。明爽くんもタオル巻いてるし、そんな慌てふためく必要ないぜ」
「珀ゆのん、楽観しすぎだぞ。まさか、この男が性欲を自制できるか? いや、できまい」
五十嵐さんは頭を振って、即決した。
「えぇ~!? 久能くん、わたしたちの肌を見て興奮しちゃったんですか? もしかして、全身泡まみれで洗ってくれとか、温泉の中でおっと手が滑ったとか、お腹やお尻を触るつもりですか!? だ、ダメですよ! そんな手つき、エッチですよぉぉ~~っっ!」
「堀田さん、いつもイマジネーションがクリエイティブです」
女子は風呂が長いって聞くし、のぼせちゃったのかな?
彼女の対応に慣れ始めたことに一抹の不安を覚えた今日この頃。
「アハハ! ナナちゃん、確変だ、フィーバータイムだよん」
珀さん、堀田さんの妄想シリーズ好きだよね。
「ところで、明爽くん。君にどうしても聞きたいことがあるよん」
「……如何に?」
妙に真面目な面持ちをされたので、身構えた僕。
果たして――
「澪ちゃんのおっぱいが大きいの! 男子にとって、巨乳はたまらないのかい?」
瞬く間に、珀さんが五十嵐さんの背後へ忍び寄る。
僕にとって目に毒だった、果てしなく甘美に見える果実をわし掴み。
「きゃっ!?」
きゃっ!?
「このおっぱい、弾力が過ぎるぜ。こぼれんばかり、溢れんばかりだよん」
むにゅ。むにゅん。
珀さんがおっぱいを揉む度に、今にもタオルを弾き飛ばす勢いでプルンと揺れ動いた。
「は、珀ゆのん……そ、そこはやめ、ろ……弱い、ん……んんっ」
嫌々と駄々をこねるように赤面した、五十嵐さん。
「ふ~ん、エッチじゃん」
その悶える表情は、僕もエッチだと思いました。
「わ、私を、見るなっ。久能明爽!」
「ごめんっ! 覗きはするつもりないけど、目が離せないっ」
「クッ、殺せ……っ! 頼む、後生だ……」
五十嵐さんの膝はもう、生まれたてのバンビさながらだ。
「ボクもこんなボインボインだったらなー。世の男子なんてイチコロだね」
珀さんは極めて真面目に、おっぱいへの感想を述べた。
「大きさも重要だけど、一番は誰のそれなのかと思うよ。そろそろ、やめたげて」
「その判断は正しいさ。だが、断るッ」
「なぜにっ?」
「グフフ、澪ちゃんを助けたいのかい? さぁ、君が魔の手から救うのだ」
そして、悪ノリである。
自覚はあるらしい珀さん。けれど、ニヤニヤしていた。
助けに行けば、ヘンタイと罵られるだろう。
向かわなければ、薄情のそしりを免れない。
どの道、僕が悪いという結論に帰結する。知ってるよ、こーゆーの詳しんだ。
仕方がない。本当に乗り気じゃないけれど、パートナーを助ける方向で調整しよう。
断じて、美人の巨乳をもっと近くで眺望したいとか、そんなやましい話じゃないんだ。
「珀さん、これ以上罪をカサネナイデー。五十嵐さんをハナスンダー」
僕は、迫真の演技で一歩、また一歩くんずほぐれつな現場へ急行していく。
「よせ……く、来るなっ。私などに構わず、先に上がれッ」
まるで、殿を務める兵のような五十嵐さん。
けれど、紅潮した頬はなまめかしい。
「おっとっと」
普段、険しい表情が多い女子の意外な一面を目撃したのが理由だろう。
僕は、つい大理石のタイルに足を滑らせる。転びそうになるが、踏み止まった。
……これがラブコメなら、僕は素っ転んで、五十嵐さんの胸に飛び込むんだろうなあ。タオル越しのおっぱいの感触に想いを馳せるのだろう。
さりとて、これは現実であり、残念ながら僕に主人公補正なんてない。
世知辛いと体勢を戻すや、五十嵐さんと目が合った。
「――っ」
先ほどまでとは一転、なぜか表情が強張っている。やがて、ガチガチに凝固した。
原因が分からず首を傾げるや、珀さんまでも目を丸くしていた。
「おいおい、明爽くん。君は時折、予想外の大胆さを見せつけるじゃないか」
「どゆこと?」
皆目見当が付かない。
「下を向いてごらん」
下? 指示通り、視線を下げてみると。
「……っ!?」
腰巻にしていたタオルがひゅーすとん。
そんなノリで、ずり落ちていた。
「~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~っ」
もちつけ。いや、落ち着け。久能明爽。冷静に考えろ。
どうしてこうなった? なぜすぐに気づかなかった?
これじゃあまるで、僕が五十嵐さんのおっぱいに夢中だったみたいじゃないか!
注意力散漫。おっぱい、一直線。その他事象は全て些事。
そんな比木盾イズム、継承した覚えはない。
サウナの10倍、汗をダラダラかいてしまう。フラフラと脱水症状を添えて。
「出会いは、いつも突然。ボク、そっちの明爽くんは初めましてかな?」
珀さん、ぺこりと頭を下げる。
「見ちゃ、らめぇぇえええエエエエーーっっッッ!?」
急いでタオルを装着するが、時すでに遅し。
同い年の女子に、久能の明爽は暴かれた(自爆)。
クラスメイトに、あいつショボいらしいよウケるぅ~、って噂されたら立ち直れない。
失意のどん底へ落とされたと思った矢先。
「く、くく、久能明爽っ!? なんて卑猥なものを! ヘンタイ、死すべしッ」
別の意味で、顔を真っ赤にさせた五十嵐さん。
此度は、紛れもなく正当な憤慨。誅を下して、どうぞ。
これは運命か、投擲された木刀が僕の急所をチーンと捉えた。
「ふぁっ!?」
「おぉ、クリティカルヒット! 効果は抜群だよん」
腰に手を当てながら、僕はゆっくり仰向けに倒れていく。
「うぅ……オチだけは、ラブコメの波動を感じました……がくっ」
刹那、人生は結果だけでなく過程も大切だと身に染みる。
僕の意識が薄れゆく中、パートナーたちは何か喋っていた。
「珀ゆのん、一つ答えてもらうぞ。であれば、お前の蛮行、不問に処す」
「んー、何だい?」
「その、あのな……男子のアレというのは、どれもあんなに屹立しているのか?」
「さあね。ボク、初めて見たから詳しくないよん。多分、澪ちゃんの美しきナイスバディーに興奮しちゃった現象かな?」
「そ、そうかっ。おかしなことを聞いたな。疾く、忘れろ」
「そ・れ・に・さ! 澪ちゃんほど、ボクはマジマジ観察してないぜ。あっちの明爽くんに目が離せなかったのかい、ムッツリスケベなんだからぁ~」
「……っ!? やはり、お前も許さん。その根性、叩き直してやる!」
「うわぁ~、ナナちゃん助けてぇ~。澪ちゃん、ご乱心だよん」
「――あれ? わたし、また悪い癖出ちゃいました? ……え、久能くんが倒れてます!? 貧血ですか、大丈夫ですか!? 二人とも、遊んでないで手伝ってください――っ!」
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