第26話 パン食い競走

 第二種目、パン食い競走。

 僕が小学校三年生を境に、運動会のスケジュールから外れた競技だ。

 確か、食品衛生的にどうなんだーと保護者からクレームが入ったらしい。

 昨今、苦情が入ると何でも中止にする教育現場である。


 在りし日の少年・明爽君は、批判を恐れて尻込みする教師を大いに残念がっていた。


 え、もっとパン食い競走の喪失を悲しめ? そっちはまあ、どっちでも大丈夫です。

 さて、我らが税金ジャブジャブ・コンカツ高校の対策は果たして。


「さあ、全自動吊り下げマシーンは絶好調です! 所定の位置に着いた生徒をセンサーが感知するや、身長を検出してギリギリ届かない高さにパンが設置されます! 衛生面を配慮した結果、直前まで真空パックに入ったパンは工場直送なのでご安心ください! 競技終了後、余ったパンは全て肥料として再利用されます。スタッフは美味しく頂きません!」


 一体、誰に言い訳しているのかな? 環境保全団体やらPTA?

 とにもかくにも、国や自治体の補助金で全自動吊り下げマシーンを購入したと。

 スタイリッシュなフォルムの大型マシーンが、パン食い競走のために稼働中。


「どうしてこうなった?」


 僕は、その光景を呆然と眺めていた。


「久能くん! 1レーンが空いてます。行きましょうっ」


 堀田さんに連れられて、僕たちは所定の位置に着いた。

 途端、マシーンの真空パックを保管した部分が開き、パンが一つ吊るされる。

 もたつかない流麗な動作に、僕は深く考えまいとため息を漏らすばかり。


「う~ん、やっぱり届きませんね」


 パンに食い付こうと、堀田さんがピョンピョン跳ねる。

 どことは言わないけれど、ゆさゆさ揺れちゃってるよ。


 偶然たまたま、首回りの下――いわゆる胸部、もしくはおっぱいの盛り上がり的なサムシングが視界に入ったものの、僕は至って平常心でパートナーの奮闘を手に汗握って見つめています。体操着のシワの締め付けに皆が熱中するわけだ、と随筆せざるを得なかった。


 刹那、パン食い競走はとても素晴らしい競技だと実感しました。


「ルール上、手で取るのは禁止。それは分かりますが、なぜパンを取るのは女子限定なのでしょうか? パートナーで協力する姿勢があれば、どちらでも構わないと思います」

「いや、断然堀田さんじゃないとダメだよ! やっぱり、見応えがあるからね!」


 心の中の比木盾君も断言していた。まるで、心の友!


「花のように可愛い子が頑張ってる姿は、目にも環境にも優しいんだ。時代は、エコでサステナブルが求められている。つまり、そういうことなんだよッ」


 どういうことかサッパリだった。


「そ、そうですかっ。そんなに熱心に言われてしまったら、頑張りますね、わたし!」


 堀田さん、急に頬を赤らめてしまう。

 もしや、熱中症? でなければ、理想のイケメンに口説かれてお熱?

 明爽です。自分に一生縁がないシチュエーションを想像するのは虚しいね。


「とりあえず僕を踏み台にして、堀田さんがパックンチョ作戦かな」

「少し我慢できますか? なるべく早く済ませますね」


 この作戦に欠点があるとすれば、最大の見所が見れない点。

 まさに――盛り上がりに欠けたひどくつまらない作戦。

 滂沱の涙を堪えながら、僕が片膝を折ったちょうどその時。


「え~、こちらパン食い競走の特別ルールを改めて説明しまぁーす……おい、そこの野郎ども! ペコペコ踏み台になってんじゃねえぞ。男ならっ。男なら、大事なパートナーを丁重に持ち上げてやれ! 頼もしいところ見せちゃいなよ! 今ならなんと、獲得ポイント3倍にしちゃうぜぇ~~~っっ!」


 実況の煽り文句に、堀田さんの頬がピクリと動いた。


「ポイント3倍です! お得です。賢い選択をしましょう」

「……御意」


 お得が好きらしいカルテットのボスに、僕は頷くだけ。


「踏み台はなし、か。接触面が増えるけど、堀田さんはその、平気?」

「はい、大丈夫ですよ。何か、懸念があります?」

「たとえば、おんぶするとして嫌じゃない?」

「うーん、久能くんの心配事に見当が付きませんが……パートナーを信じています」


 不思議そうに首を傾げた、堀田さん。

 僕は少し、安堵する。


 パン食い競走が五十嵐さんとペアだったら、破廉恥成敗、セクハラ断罪、とポイント3倍チャンスは活かせない気がする。木刀でパンを叩き落とす禁じ手を披露しそう。


「よし。堀田さん、いざっ」


 再び、僕が片膝を折ったタイミング。

 隣のスペースが騒がしく、様子を窺ったところ。


「急げ、デカ女! さっさと乗れよっ」

「うるさいわね、チビ男! あんたの背中、狭すぎなのよっ」


 大貫君(小さい)と小貫さん(大きい)のあべこべペアだった。

 どうやら、彼らも同じ作戦を決行したらしい。小貫さんに覆い被されてしまい、大貫君の姿がほとんど確認できなかった。


「オメー、何食えばそんなに成長しやがるんだ!」

「何でも食べるわよ! いい加減、偏食を直しなさいっ。いつまでチビでいるつもり?」

「うるせー。偏食と身長は関係ねえよ。ただまあ、親御さんに感謝しとけ!」

「あっそう! アタシのパパは、乳製品好きだけど家族で一番小さいわ。アンタ、パパと気が合いそうねっ」


 なるほど、これが痴話喧嘩というやつか。

 他所のコンカツ事情を拝見しつつ、僕は改めておんぶの姿勢を構えた。


「では、失礼しますね」


 堀田さんが僕の首に腕を回した。

 滑らかな肌の感触が伝わり、形容しがたいムズムズした感情が芽生えていく。

 否、それは序の口だった。

 むにゅんっ。


「――っ!?」


 刹那、僕の背中に電流が走った、気がする。

 背中に押し当てられた豊かな実りが、春の訪れを知らせてくれた。

 とっくに季節は初夏だけれど、事態はそんな浅い話じゃないんだ。


「今、ビクンって反応がありましたけど?」

「いや、全然、大丈夫……問題なし……アイムオーケー」

「様子がおかしいですよ!? しっかりしてください」


 心配そうに慌てた、堀田さん。

 あ、ちょっと、揺らさないで。女子の柔らかい部分が素敵すぎっ。

 形を変えて、寄せては返すおっぱいの包容力は神経毒の類。


 事実、動きたくとも、動けない。この快感を手放すものかと、脳が叫んでいる。

 むにゅん、って! 刺激、強いから! 極上だよ、極楽浄土だね。

 僕は昇天するかのような興奮を抱きつつも、恐れおののいていた。


 まさか、優勝を目指す僕を最も妨害する存在が堀田さんだったとは……

 これが、金縛りもとい乳縛りというやつか。違うね。


「久能くん、もしかして……」


 徐に、口を開いた堀田さん。


「いや、違うよ! これは、不可抗力といいますか。堀田さんが魅力溢れる女性という発端の裏返しのやつです」

「……いいんです。ふふ、流石わたしのパートナー。やっぱり、誤魔化せませんでした」


 僕の言い訳を遮って、彼女は吐息を漏らす。


「背負おうとすれば、絶対に気づきますよね。えぇ、白状します。懺悔させてください。わたしは昨日、バナナクレープ、ショートケーキ、モンブラン、ドーナッツ、その他もろもろ。スイーツバイキングの誘惑に負け、たくさんパクパクしてしました!」

「――え?」


 あれ、僕が思春期の宿命と肩を寄せ合っていた件を糾弾するのでは?

 予想が外れ、逆に困惑しちゃったね逆に。


「わたし、すごく重かったんでしょう? 久能くん、感情を押し殺して必死に持ち上げようしてくれたのに、立派に肥えてごめんなさい」

「……」


 何ということだ。

 愚かな男子がおっぱいに浮れた結果、穏やかな少女が傷ついてしまった。

 しっかりしろ、久能明爽! おっぱいは大事だけど! おっぱいは至高だけど!

 お前がやらなくちゃいけないことは、ハッキリしてるでしょうが!


「うぉぉおおお――っっ!」


 歯を食いしばれ。魂を燃やせ、奮起しろ。

 堀田さんの細い膝に腕を回すや、しっかりと固定。力を腕に込めて、集中。


「無茶はやめてください! 怪我させてしまったら、もう立ち直れま」

「女子がスリムとかスマートに拘るのは永遠のテーマだし、仕方がないけどさ」


 僕は、わざとらしく割り込んだ。

 膝はしなやかに弾み、腰が浮かび、前傾姿勢を緩やかに上昇させていく。


「それでも、堀田さん、すごく軽くて心配になるなあ」

「――っ」

「これは内緒の話だけど、男子はプニプニした女子の感触に弱いんだ」


 ダイエットの必要がない子ほど、ダイエットにのめり込む。人は矛盾が大好きです。


「本当に……本当に、重くないですか?」

「重くないよ!」


 即答がてら、堀田さんをおんぶしたままピョンと跳ねた。


「わたし、甘い物が大好きで、油断するとたくさん食べてしまいます。もし、あなたに太ったと言われたら、絶望してさらに焼け食いに発展していたと思います」

「リアルガチに、言わないからね。ウェイトが増えたら、一緒にジム通いしよう」


 税金ジャブジャブ・コンカツ高校には、生徒たちの健康を守るためにフィットネスジムも完備されています。お灸や漢方、針治療の資格を持ったトレーナーもいるので安心だね!


「はいっ、安心しました! 久能くんとコンカツができて嬉しいです。これからもよろしくお願いします」


 声に元気が戻っていた。明るい堀田さんは素敵です。


「これも、HUKAN先生のマッチングのおかげです!」

「おえ」


 ――ぜぇ~んぶ、ワタシのおかげじゃなぁ~い。そこに気付いてほしかった!

 幻聴が脳を揺さぶった。

 貧血とめまいに襲われながら、僕はパートナーに当初の目的を促していく。


「流石に昨日は食べ過ぎました。今日のおやつは、これだけで我慢しますね」


 そう言って、堀田さんが吊り下げられたアンパンに食いついた。


「ついに、出たぁっ! ポイント3倍チャンスを獲得したのは、久能・堀田ペアだぁああ」


 実況の大声が鳴り響いた。

 ふぅ、と脱力する僕。


「ちょっと、アンタがモタモタしてるから先越されちゃったじゃない! チビ男、もっと筋肉鍛えなさいよっ」

「うっせ、デカ女! オメーがもっと、痩せれば済む話だろーが! 覚えとけ、プロテインはおやつに入らねえんだよっ」

「「やんのかっ」」


 あいかわらず、夫婦漫才を披露していた。もう閉幕ですけど?

 背中越しに伝わる心地良さと惜別するや、僕は次の競技会場へ急いだ。

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