第40話 レベル999生産職は旅立つ
サンタ・マリア号が桟橋に着いた。
船の帰還はあっという間に町中に広がり、関係者たちで周辺はごった返していた。
彼らは手を振って「おかえりー!」と叫び、船の乗員たちも船の上から手を振って「帰ったぞー!」と叫んでいる。
船から船員たちが降りてきた。
人だかりが凄すぎて、大変なことになっていた。
「ええと……お姉ちゃんは、どこ?」
「これは洒落になりませんねえ……」
ノルもイツキも人だかりの外で途方に暮れていた。特に、チップは背が低いので、この状況では探せそうもない。
だが、帰るつもりもなかった。
ここでチップなりジンクスなりに出会えないと、仕事をしようという気分にもなれないのだから。
そんな感じでしばらく待っていると――
「おおい……帰ってきたぞおお!」
そんなことを言いながら、人だかりからチップが抜けてきた。
「お姉ちゃん! おかえり!」
ノルがいきなりチップを抱きしめる。
「わ、ちょ、ちょっと! 船だとあんまり体が洗えないから臭いよ!?」
「いいの! いいの! お姉ちゃんが無事だったから! よかった!」
「ったく、本当に――心配性だねえ」
相変わらずの毒を吐くが、チップの口調は普段よりも穏やかだった。
離れないノルに抱きしめられたままのチップにイツキが声を掛ける。
「よく、私たちを見つけられましたね?」
「こいつがノッポだからな。船の上から探したら、すぐに見つかったよ」
今度はチップがイツキに尋ねる。
「妹はリーダーとして、問題なかったかい?」
「充分でしたよ」
「そうかい。ま、あんたあってのことだろうけどな」
ノルを引き離して、チップがイツキの前に立つ。そして、右手に持っていたガラスの瓶を差し出した。
中には真っ黒の液体が入っている。
「はいよ、これがお求めの品のショーユだ」
「ありがとうございます!」
「あんたのいう通り、これで生魚を食ってみたんだけど、確かに美味かったな」
「気に入っていただけたようで嬉しいです」
「大量に仕入れておいたから、あとでジンクスに言って受け取りなよ。とりあえず、一本だけ持ってきたんだ」
イツキはもらった醤油を眺める。
(ああ、これで料理の幅が広がる!)
別に醤油だけに限らないが――
今確かに、西の大陸は大きな変革の始まりを迎えたのだ。
そんなことを思っていると、大きなどよめきが起こった。
「子爵だ!」
「領主様だ!」
子爵一行が姿を現した。
さすがに子爵が現れては騒動も止まる。そして、まるで海が真っ二つに裂けるように、人だかりが割れた。
その先に立つ、ジンクスとの道が生まれた。
船長服姿のジンクスは毅然とした足取りでエタンロイ子爵――父へと近づく。
「ジンクス、ただいま戻りました」
「ふむ。今回は帰還直後に挨拶ができたか」
軽い皮肉だが、ジンクスは動じない。
その様子を、子爵は頼もしげな目で眺めた。
「いい顔になったな。何かのきっかけが人を大きく成長させると言うが、今回のこれが、お前にとってはそうだったのかもな」
一拍の間を置き、エタンロイ子爵が続けた。
「よくやった、ジンクス。お前の海道楽も落ち着くべき運命にたどり着けたのだな。これからも存分に己の道を進め」
それは父から子への、祝福だった。
ジンクスはしっかりと頭を下げた。
「ありがとうございます。その言葉に恥じぬよう、今後も邁進していこうと思います」
同時、わああああああああ! と周りの人だかりが声を上げた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
サンタ・マリア号が最初の航海から戻ってきてからというもの、1分が1秒のような感覚で時間が過ぎていった。
彼らが持ち帰った大量の『東からの産物』はライゼン商会の会長クラインを大いに喜ばせた。あっという間に二度目の航海が決まり、2隻目の本格的な建造も正式なゴーが出た。
慌ただしいままにジンクスは航海に出かけた。
あまりにも忙し過ぎて、
「すまん、チップ! 結婚式は二度目が終わってからにしよう!」
そんなことを言い残してジンクスは再び東を目指した。
今度の航海には、チップは同行しなかった。
「ま、船大工としての腕がなまっちゃうからね」
そんなことを言って、2隻目を作っている。
「……お姉ちゃん、寂しい?」
「はあ!? さささ、寂しくなんかないよ! そもそも、別にまだ結婚しているわけじゃないし!」
「で、でも……キスくらいはしたんだよね?」
「はあ!? ううう、うるさい! いつからこんなマセた妹になっちまったんだい!?」
「キス、したんだ?」
「あんたには、関係ないだろ!? ほら、仕事仕事!」
2隻目のサン・ガブリエル号の建造では、イツキはサンタ・マリア号の時よりも己の関与を低くした。
それはもちろん、職人たちの技量が向上しているのもあるが――
イツキ本人の意思でもあった。
東の大陸との交易を始める。その目的は達成された。醤油もゲットできた。
門を開けるのはイツキの仕事だが、そこから歩き続けるのは彼らの仕事だ。
そのためには、イツキがいなくてもできなくてはならない。
そして、ノルを中心とした職人たちの腕はそれを行うには充分だった。
(頃合いかな……)
作業する彼らを見ながら、イツキはそんなことを考えていた。
最初の帰還から1年が過ぎた頃――
サンタ・マリア号は二度目の航海から戻ってきた。
戻ってきたジンクスはチップを両手で持ち上げると、出迎えの人や船員たちのことなど気にせず叫んだ。
「よし! 今度こそ、結婚するぞ!」
「いや、ちょっと、場所を選びなよ!?」
そして、盛大な結婚式が開かれることとなった。
ジンクスは子爵家の息子であり、今や、始まろうとする大航海時代の先陣を切って走る、この街の英雄だった。
街を上げての、大きな祭りのような結婚式だった。
これから幕を開ける、熱くて明るい未来を象徴するかのような。
披露宴に姿を見せたジンクスとチップは、当然、花婿、花嫁の服装だった。鍛え抜かれた体格のジンクスは姿勢もよく、実にかっこよかった。
一方――
「何も言わないでくれよ、イツキ。似合っていないのは、私が一番よく知っているからさ……」
ウェディングドレス姿に身を包んだチップがため息を吐く。
別にそうでもない、とイツキは思ったが、そんなことを言っても、きっとチップは納得しないだろう、と思ったので、隣に立つジンクスに向かって言った。
「どう思われますか、ジンクスさん?」
「いやー、かわいいよ、チップ。食べてしまいたいくらい可愛い」
「恥ずかしいこと言うんじゃないよ!」
チップは腕を組んでプンスカと怒った。
興味深かったのは、披露宴の食事に『刺身』が供されたことだ。洋食料理が出てくる間に、ぽつんと刺身が並んでいるのはおかしかった。
(ははは……布教のかいがあったな……)
最初の航海で醤油をゲットしたイツキは、刺身という食べ方をリキララに広めたのだった。
まだ醤油が一般庶民としては高いのもあって、そうそう食べられるものではないため、刺身は高級料理となっていた。
そんなわけで、こういう場では欠かせない珍しい逸品となっている。
イツキはフォークで鯛の刺身を取ると、醤油につけて口に運んだ。
上品な甘い味と醤油の風味が口内で広がる。
(……ああ、やっぱり刺身はいいな……)
実はこの1年間、刺身を食べまくっているのだが、飽きることなくそんなことを思う。
膨大な量の醤油をインベントリに確保しているが、残念ながら、活きのいい生魚がここ以外だと手に入らない。
(ここを立ち去ると、しばらく刺身も食べ納めか……)
その寂しさはあったが、そろそろ旅立ちのときだ。
披露宴が終わり――
まだまだ宴は続こうとする中、イツキはノルに「私は戻ります」と告げて、造船所へと向かった。
作業場になる机に、あらかじめ用意しておいた手紙と、その上に自作のウサギの置物をおもしとして置く。
別れを告げる手紙だ。
今回は、そっと出ることにした。
あらかじめ別れを告げると、チップたちはいろいろと気を回してくれるだろう。だが、それはチップとジンクスの結婚式で高まっている機運に水を差すことにもなる。
今日の主役はチップなのだから、それは申し訳ない。
ならば、別れを告げないのもひとつだろうと思った。
まだ造船半ばのサン・ラファエル号にイツキは目を向ける。
今のところ、できは問題ない。
そして、彼らの技量を考えれば、今後も問題ない。
イツキの作業についても、もともと持分が少ない上に、キリがいいところまで片付けている。それとなく引き継ぎもしておいたので、彼らが慌てることもないだろう。
イツキの役目は終わった。
「あとは任せましたよ」
小さくつぶやくと、イツキは街の外へと歩き出した。
祝祭に浮かれる人々の間をイツキはすり抜けていく。楽しそうな人たち、楽しそうな会話、楽しそうな雰囲気。
常夏の街にふさわしい、幸せな空気がそこにあった。
(新時代の幕開け。これからもっと騒がしくなるんだろうな)
もっと賑やかな雰囲気を楽しむのもいいな、とイツキは思った。
「なら、次は王都にでも向かってみますか」
次の進路を決めて、不老の少女は旅に出る。
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