第22話 夜の語らい
さすがに豪邸だけあって、脱衣所も広い。二人の酔っ払いと一人のシラフが入っても余裕がある。
(ああ、またお風呂タイムか……)
セルリアンでのことを思い出す。
イツキの背後で酔っ払いたちが、きゃっきゃっとはしゃぎながら服を脱いでいた。
(ううむ、困るなあ……)
所作アシストと外見のせいで完全無欠の美少女にしか見えないイツキだが、中身は男性である。
なので、女性と風呂に入ることに対して強い罪悪感があった。
この状況を役得! と思える、まるでギャルゲの友人キャラのような鋼メンタルを前世のイツキは持ち合わせていない。
(……あんまり見ない作戦でいこう……)
そんなことを思いつつ、イツキが服を脱ごうとしたところ――
肌色たちが背後からしがみついてきた。
「ひゃ!?」
「もー、何やってるの? 遅いよー」
「お世話になっているから、手伝ってあげるよー」
驚くイツキに、酔っ払ったリッツーとリティアがご機嫌な声で適当なことを言ってくる。
「いえいえいえ、自分でやる、やりますから――!」
イツキの反抗は無力だった。
(ひ、ひ、ひいいいいいいいいいいい!)
まるで服を剥ぎ取られるような勢いでイツキは素っ裸にされる。そして、意気揚々とした酔っ払いたちに浴場へと連れていかれた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
(あー……のぼせる、のぼせる……)
風呂が終わり、バスローブに身を包んだイツキは椅子に座ってぐったりしていた。
大きい風呂というものはテンションが上がるものだ。おかげで、ただでさえ高い酔っ払いのテンションは天井をぶち破り、ただ一人シラフのイツキはとても大変だった。
酔っているせいか、やたらと距離が近く、迫り来る肌色から目を逸らし続けるだけでイツキの精神が削られる。
(大変だった……)
だけど、そんな二人の態度はイツキへの好意があってこそだ。これはこれで幸せなことなんだろうとイツキは思うことにした。
宿泊用に用意された寝室へとイツキたちは戻っていく。
そこは3人で過ごすにしても広い部屋だった。ベッドは一台しかないが、3人でも充分に余裕がある大きさがある。
「みんなで寝よう! 疲れたー!」
依然として酔っ払ったままのリッツーが叫び、リティアとともにベッドへと突撃する。イツキはベッドの端っこで静かに眠ろうとしたが、空気の読めない酔っ払いたちによってなぜか真ん中にされた。
「だってさー、イツキちゃんが今日の主役だからねー!」
実際のところ、主役はリティアなのだが、リッツーは完全に忘れているようだ。
部屋の明かりが落ちる。
窓から届く月明かりがぼんやりと部屋を照らしていた。
左右を酔っ払いの二人に挟まれて、ハイテンションで呂律の怪しい会話に振り回されながら――やっぱり楽しい時間は過ぎていく。
イツキはこの二人のことが友人として好きになっていた。
なので、多少の理不尽も軽く流せる。
やがて、二人の会話は少しずつ静かになり、寝息へと変わった。
(ああ、やっと静かになった……)
今日はイベントの連続だった。疲れていたイツキの意識も、すっと闇に落ちる――
次に目が覚めたとき、まだ窓の向こう側は暗かった。
(……あんまり眠れなかったか……)
変な時間に目覚めたので困っていると、隣から声がした。
「イツキ、目が覚めた?」
酔っ払いのものではない、しっかりとした声だ。
イツキが目を向けると、酔いの抜けたリティアがこちらを見ていた。
「……起きていますけど?」
「そっか。わたしも目が覚めちゃって……眠れないから、おしゃべりしない?」
「構いませんよ」
どんな話題を切り出してくるのかと思っていると、リティアは少し悩んでからこんなことを聞いてきた。
「……ところでさ、酔ってたせいで食事の後の記憶があんまりないんだけど、何かわたし失礼なことした?」
あんなことやこんなことしてきましたよ! とイツキは思ったが、もちろん口にはしない。
忘れているのなら、忘れていたほうがいいだろう。
「特には」
「そう……ならよかった」
ほうとリティアがため息をこぼした。
「あのさ、教えて欲しいんだけど……わたしはもうクビってことかな?」
「はい?」
思いも寄らない言葉にイツキは目をぱちくりとさせた。
「だってさ、こんな名もない演奏家をどうしてこんなにもてなしくれるの? クビにするから気分を悪くさせないためのイベントじゃないの?」
想像もしていなかったリティアの妄想にイツキは驚いた。
「そ、そんなことはありません! だってほら、ロゼさんも才能がある演奏家だって言っていたじゃないですか?」
「社交辞令じゃないって言っていたけど、社交辞令でしょ?」
「いえいえ、そういう人じゃありませんから。今回の件はリフレッシュで――わたしとしは、リティアさんと仲良くなりたくて準備したことなんです!」
「……え、そうなの?」
ぽかんとするリティア。恥ずかしいことを言ってしまったとイツキは思ったが、勢いに乗って全てをぶっちゃけることにした。
「はい。その、わたしは――リティアさんと友達になりたいんです!」
その言葉を聞いて、固かったリティアの表情が柔らかくなった。
「あは、あははははは、ありがとう。そうだったんだあ」
心底から安心した声で言った後、こう続けた。
「でも傷つくな」
「……え?」
「私はもうとっくにさ、イツキのこと友達だと思っていたよ?」
そして、二人は小さく笑った。
たったそれだけなのに、リティアとの距離がずいぶん近くなったようにイツキには思えた。
「なら、友達でお願いします」
「うん」
少しの沈黙の後、リティアが言葉を続けた。
「……なんだか面倒なことに巻き込んじゃってごめんね。頑張ってくれたんだから、結果は出さないとね」
「あまり気負わないでください」
「気負っちゃうよ。1人だけの戦いじゃないんだから。音楽を続けてていいのかな、ってね」
「続けてくださいよ。好きだから始めたことなんですよね?」
「いや、それは違くて――ミューレで生まれたからかな。ここの子供たちは、みんな学校で音楽に触れるからね」
リティアは天井をしばらく見てから続ける。
「……でも、続けているのは好きだから、かな。子供の頃はさ、本当にすごかったんだ。才能ってのがあって。ずっと一番だった。あの頃はよかったな。音楽が心の底から好きだった。自分が音楽に愛されていると信じることができた時代だね。だけど――」
夢を見るようなリティアの声色が、一転して暗くなる。
「成長すると自分が特別ではないことに気づき始めた。続けている子はみんなすごい子ばかり。わたしは1番を維持できなくなったんだ」
それは楽器のハンデが顕在化したためだろうとイツキは思った。
周りの才能が高くなっていくと同時に、楽器もまたいいものを使い始める。一方、リティアは楽器に問題を抱えている。
リティアの弱点が無視できなくなってきたのだ。
「周りから離されていく感覚はあるんだけどさ。やっぱり昔の栄光も、音楽が好きって感情も忘れられなくて……ここまできた」
そして、次の言葉をため息と同時に押し出す。
「でも、そろそろ潮時なのかもね。ルフェイン楽堂なんてすごいところにバックアップしてもらっても結果が出ない。ここが限界なのかもね」
寂しい言葉だった。
限界を見たことがない、と悲しそうに言った人物が、ここが限界だと悟ろうとしているのだから。
どうせなら――
「そんなことを言わないでください」
本当の限界を見てから、未来を決めて欲しい。
「リティアさんには間違いなく才能があります。必ず、それに見合う楽器を作って見せますから。自分の才能も、私の力も信じてください!」
イツキはリティアの目を見つめる。
リティアは柔らかい笑みでそれを受け止めた。彼女の顔には喜びと信頼が浮かんでいる。
「ねえ、イツキ」
「はい」
「ありがとう」
本当に嬉しそうな声でリティアが応じる。
「わたしはいい友人を持ったよ。あなたが作ってくれる、最高の楽器を待っているよ。それでさ、必ずコンクールで優勝するよ」
「頑張りましょう」
複雑に考える必要はない。答えはシンプルなのだ。最高の楽器を作る――それ以外に職人にできることはない。リティアの信頼に答えるだけのものを作るのだ。
それは、もともとイツキの胸にあった答えだったが、今回のやりとりではっきりとした。
――そして4ヶ月後。
コンクール予選が始まろうとする頃、イツキは己の思う最高のヴァイオリンを作り上げたのだった。
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